ROSE and ROSE
「マルス! あのさ、そこでバラもらったんだけど……」 両手いっぱいに赤いバラを抱え、ロイは逸る心のままマルスの部屋の扉を開けた。瞬間、初夏の涼やかな風が吹き込み、赤い髪をさらりと撫でた。窓が開いているのだ――波のように揺れて広がるカーテン、相変わらず本だけが多い簡素な部屋。その真ん中に佇む人物を認めたその時、ロイは思わず呼びかけた言葉を途中で止めてしまった。 「ロイ?」 「マルス。それ」 青い髪、青い瞳。人目を惹く色彩が、今日はなおさら部屋から浮いて見えた。なぜなのかは、すぐにわかった――マルスの腕に、青いバラが抱えられていたからだ。 「どうしたんだ、それ? すごいな、青なんて初めて見た」 「花屋の女の子にもらったんだ。新しい品種だから、よろしければって」 「ああ。バラって、あっちとこっちを掛け合わせて、みたいなことするんだっけ」 さらりと答えると、マルスは意外そうに目を瞬いた。だいたい予想のついていた反応だ。ロイにとっては花というものは、基本的にはどうでもよく、マルスに似合うか似合わないか程度の区別しか出来ないのが常である。 「バラは父上の好きな花なんだよ。庭にいっぱい咲いてた。それで、庭師にあれこれよく聞かされたんだ」 「ああ……エリウッドさんが来るたびにバラをくれるのは、だからなのか。 ……そういえば、ロイ。お前のそれはどうしたんだ?」 マルスに問われて、ロイはようやく自分の腕に抱えられていたものを思い出した。見慣れた赤いバラの花束。花と葉と棘をぐるりと覆う新聞紙が、かさりと擦れる。 「そこでおばあさんにもらった。綺麗に咲いたからお裾分けだって。で、マルスの部屋に飾ってもらおうと思って」 「僕の部屋に? いいのか?」 「俺だとすぐに枯らしちゃうし。あんたの方が似合うし」 「……、そうか。ありがとう」 はにかんで微笑むマルスに、少年の胸の奥、心臓が、わかりやすい音をたてた。 「……で、でも、そっちどうにかしてからじゃないと駄目だよな。待ってるよ」 誤魔化すようにわざとらしく、ロイはいつもより大きな声で話し始める。幸いにも、テーブルの上に、白い花瓶が用意されていることに気づいていた。おそらくは、バラのために取り出してきたのだろう。素直に頷いたマルスが視線を外し、花を活ける準備を始めたので、ロイはひとまず安堵した。 なにか話題はないだろうか。三秒僅かに考えて、それはすぐに浮かんできた。 「なあ。バラってさ、色で、花言葉っていうやつが違うんだよな?」 「うん? ……ああ、そうだな」 「青いのは、なんていうんだ?」 「“不可能”“ありえない”。転じて、“奇跡”“夢かなう”」 「…………。『転じて』?」 おかしな言葉が挟まれたような。思わず尋ね返すと、マルスはなんでもないように口を開いた。 「青いバラは、本当は“ありえない”らしいんだ。だからそういう言葉だった。 けれど、人の手で作ることができたから。だからそれから変わったんだって」 「……都合良いなー」 「僕もそう思うけど」 マルスの白い手が、青いバラを一本ずつ、束の中から抜き取ってゆく。棘がないかを確かめているのだ。青い髪、青い瞳、青いバラ。人目を惹く色彩はすっかり見慣れてしまったが、改めて眺めると、それらはひどく不思議なものに見えるのだった。 「花言葉は、人の気持ちだからな。願いたいなら良いんじゃないか。 ……そうだ。花言葉が変わる、っていえば」 声色が、ほんの少し変わる。優しげなものから、楽しげなものに。花のことを語るマルスは、いつだって幸せそうだ。ロイにとっては花というものは、基本的にはどうでもいい。しかし、マルスの傍にあるときは、別だった。 「バラは、花の色の組み合わせで、花言葉が変わるんだって」 「……へえ。そうなのか。例えば?」 「赤と白とか。赤と黄色とか。良い意味になったり、悪い意味になったり」 ロイの腕の中のそれを軽く指しながらマルスはそう言い、検査らしきものを終えた花を両手でそっと持ち上げた。陶器の艶やかな白に、青い色はよく映える。マルスは白い服は着ないのだろうかと考えたところで、ロイの頭には違う疑問が生まれていた。 「赤と青は?」 「え?」 当然の流れである。しかしマルスにはそうではなかったらしい。きょとんとしているマルスの目の前、青いバラのすぐ傍に、ロイは一輪抜き取った赤いバラを添える。 隣でじっと見上げると、マルスは困った様子で口を開いた。 「それは……まだ無いんじゃないか? 最近できたばっかりみたいだし」 やっぱりか――それを聞くと、ロイは唇の端を上げ、いたずらを思いついた子どもの顔で提案した。 「じゃあ、今決めちゃおうぜ!」 「え……」 「赤いのと青いのが、もうここにあるんだぞ。なら、あってもいいだろ?」 「それは……まあ、そうだけど」 ロイの横で、マルスは指を顎にかけ、難しそうな顔で視線を泳がせた。気が進まなさそうなわりに、真面目に考えるのがそれらしい。そういうところが好きなんだけどと満足することだけは忘れず、ロイもまた、バラを見つめて思案する。 「あ。情熱的な愛とか!」 「恥ずかしいから却下」 マルスの返事はにべもないものだったが、残念なことにいつも通りなのであった。 「えー。ぴったりだと思ったのに」 「……赤いバラにはそれだけでそういう花言葉があるんだ。意味がないだろ」 「なんだ、そうなのか。じゃあ、マルスは何が良いと思うんだ?」 「僕? ……僕は……」 真剣な青い眼差しが、二つのバラに思いを注ぐ。赤と青。情熱と不可能。愛と奇跡。マルスの語ったことを脳裏に巡らせながら、ロイはマルスを待っている。風が、二人の髪を撫でてゆく。 砂時計を見つめているような時間だった。 やがてマルスは、かたちの良い唇でそっと紡いだ。なにかとても大切なものを口にするように。 「運命の出会い、とか」 「…………」 ふと笑った横顔は、花のようだ。初めて見たときより、ずっとあたたかな光の中。 ロイは思わず、口元を手のひらで覆う。しかし隠し切れなかったらしい、マルスは眉間に皺を寄せ、怪訝そうな視線を向けていた。 「……ロイ。何にやけてるんだ。気持ち悪い」 「え。いやー、だって。嬉しいなあって」 「念のため言っておくけど、お前のことは関係ないぞ」 「誰もそんなこと言ってないだろ」 ささやかに揚げ足取りをしてみれば、マルスは反論に詰まったらしく、それ以上のものは返ってこなかった。頬を染めてこちらを睨みつける様に、ロイは盛大に吹き出してしまう。 青い色彩から成る、綺麗な姿が好きだった。けれど笑ったり怒ったり、花を手にして表情を緩めたり。そんな顔が、もっともっと好きだった。 「あんたも、結構恥ずかしいこと言うよなあ」 「なっ……お前が言えって言ったんだろ!?」 額を叩かれる痛みが嬉しかった。堪え切れずに声をあげて笑えば、マルスは恥ずかしそうに俯いてしまう。 テーブルの上には赤いバラと青いバラが二つ、傍に寄り添って、そこにいる。
2013年ロイマルの日。 |