あの日の第二ラウンド
「っなに、するんだ、このバカ 「うぉわあああぁぁ ガシャアアァァァン、と派手な音とともに聞こえた怒声と叫び声に、通りすがりのリンクとその頭の上に乗ったピカチュウは、びくっと肩を震わせ立ち止まった。視線をそちらに移すとそこには扉があり、扉の向こうにはリビングがある。どうやら、中で何かあったらしいが。 「……今の……」 「青いおにーさんと、赤い剣士さんかな?」 「またあの二人……? さっき派手にやらかしたばっかりだろ」 先程のちょっとした出来事を思い出しながら、二人は怪訝そうに顔を見合わせた。中に入るか否かの話し合いを、目と目で行っているのである。時刻は、昼と夕方のちょうど真ん中。ぱたぱた揺れるピカチュウのしっぽが、わずかな時間のめぐりを告げる。 そして、 「……。放っておくわけにはいかない、か。大丈夫か?」 「リンクと一緒なら大丈夫。……あの音、またなにかひっくり返ってるよね。 今日から一緒に暮らすのに、こんなにいろいろ散らかるんじゃ困るもんねえ」 「……というか、喧嘩はちょっとなあ……」 結論はあっさりと出た。ピカチュウの非常に現実的な訴えを耳に留めながら、リンクはドアノブを捻り、軽い扉を押し開ける。 「おーい、一体何やって……」 「いっ……ってえなあッ、何するんだよ!?」 「お前が言えたことか! 一体何のつもりだ!」 「……………………」 そこには、ちょっとした惨状が広がっていた。ピカチュウの予想通り、テーブルが一つと椅子が四脚、ひっくり返って散らばっている。その真ん中に、上半身を起こした格好の赤い髪の少年。少年と対峙する位置に、細身の剣を握り締めた青い髪の青年。 赤い少年はロイといい、青い青年はマルスという。昼食前、屋敷に到着したと聞き迎えに行ってみたら、門前で血を見るほど派手にやりあっていた二人だ。もっとも、血を見ていたのは、ぶっとばされたロイの方だけであるのだが。 リンクとピカチュウがこの場にやってきたことにはまるで気づいていない様子で、ロイとマルスの言い合いは続く。 「何って、ちゃんと言っただろ! 人の話はちゃんと聞けよ!」 「人の話を聞いてないのはそっちの方だろ! 門の前で! 僕はちゃんと言っただろ!?」 「だーかーらー、それが嘘っぽいから訊いたんだろーが!」 「なんで嘘だと思うんだ! そんな嘘をつく必要、どこにもないだろ!」 推測するに、今回のこれは、やはり出会い頭の喧嘩に起因するようだ。口を挟む隙も無く、リンクは戸惑いながら、そしてちょっぴりの面倒くささをその表情に滲ませながら、事の成り行きを辛抱強く眺める。 「そもそも、あんたがそんな紛らわしい顔してんのが原因だろ!?」 「……ッ、悪かったな、こんな顔で! だったらもう二度と見られないように、今すぐここで眠らせてやる!」 「……は!? え、ちょっ、待ッ、いやそれはちょっと困ッ ごづっ。 なんだか痛そうな音が響く。立ち上がり退こうとしたロイの顎を、マルスが右の拳で思いきりぶん殴ったのだ。 見事なアッパーカットだった。 「……いや。剣使えよ」 ぽつりとリンクは呟いたが、すべてが終わった後では、当然、何の意味もなさないのであった。 ぜえはあと肩で息をしているマルスに、リンクは左手をひらひらと振りながら、恐る恐る声をかける。 「……えーっと。……マルス?」 「え? ……、なんだ、お前」 「なかなか厳しい反応だな……」 困ったように微笑んでみても、マルスは怒りの収まらない冷たい視線を向けるだけだった。空でもなく海でもない、不思議な青。そんなものを確認しつつ、リンクは生来の穏やかさを遺憾なく発揮しながら、笑顔で名乗り出る。 「さっきも会ったよな? この屋敷の、元からの住人だよ。 ……で? 今度はまた、なんでそんなに怒ってるんだ?」 「……。……なんでもなにもない! こいつが……!」 マルスは声を荒げ、床に転がっている赤い頭を指差す。少年の方はすっかり気絶してしまっているようだが、まあ死ぬことはないだろうと軽く流しておくことにした。この“世界”にくる者は、こんなことではびくともしないはずである。 「こいつが、僕を、女の子じゃないかって言うから」 「……それは……門の前のときもそうだったよな?」 「……。ああ、そうだよ。さっきと同じだ。 でも、今度はそれで……。…………」 「ん? ……それで、どうしたんだ?」 「…………」 青年は、なぜかそこで言い淀んでしまった。首を傾げ、同じ角度に傾いた頭の上のピカチュウを左手で支えてやりながら、リンクはマルスを不思議そうに見つめる。 「……?」 「……。……そ、その……」 マルスはふいと視線を逸らし、一向に続きを口にしようとしない。何を躊躇うことがあるのか が、とりあえずは、喧嘩の原因究明が先である。そっと催促をしてみようとした、その時。 「……ッ大体なあ!」 「うわっ……!?」 気絶していたはずの少年が、がばっと勢い良く起き上がった。思わず後ずさるマルスの襟首を、ロイは引っ掴み食ってかかる。自分より背の高いものに立ち向かうその姿に、リンクはなんとなく、その辺の子犬を思い出してしまった。 「……すごいな。もう復活した」 「そうだね。これは、ヨッシーさん並にしぶといかもねえ」 「まあ……これ以上はやめさせるか。二人とも、そこまで」 再び 「頼むから、少し落ち着け」 「落ち着いてられるかよ! だってなあ、ひっでーんだぞこの人!」 「ひどいのはどっちだ! ……ッ……、」 怒りと、それからやはり恥ずかしさがない交ぜの表情で、マルスはロイを睨みつける。そんなマルスをびしっと指差しながら、ロイは。 「本当に男なのか、って。 「……………………。」 ロイの口から告げられた『原因』に、リンクはぐったりと脱力するしかなかった。 気苦労もむなしく、二人は結局言い合いを始めてしまう。同じ話題を何度も何度も、なにがそんなに楽しいんだろうと考えてみても、やはり現状は何も解決しないのであった。 「だから、なんでさわる必要があったんだ! 僕は男だって言ってるだろ!」 「さわらねーと信じられなかったからだよ! 言葉より確実だろ!」 「僕が女の子だったらどうするつもりだったんだ!?」 「女の子じゃなかったんだから、別にいいじゃねえか! なんで怒るんだよー!?」 「……。いや、それは、あなたが悪いんじゃないかなあ……」 頭の上で声がする。ちら、と目線を上げると、黄色い耳の先端がゆらゆら揺れているのが見えた。ロイとマルスの驚き、戸惑いの表情は、ピカチュウが人間の言葉を喋っているからだ。一度や二度で慣れるものではないだろう。ほんの少し、懐かしさを感じた。 「いきなりさわられたら、びっくりしちゃうよね」 「…………」 小さな子どもの言葉の意味も、その瞬間、ピカチュウをきつく睨んだマルスの真意も、リンクにはわからなかった。そのときは、まだ。 ピカチュウはそれだけを告げると、リンクの帽子を取って頭を突っ込み遊び始めた。一つに結った髪が零れて、ぱさりと背中に落ちる。これは隠れているのだ。ここから先は自分の仕事だと、正しく理解する。 リンクは腰に手を当て、まずはロイを見下ろした。威勢の良い眼差しに、よくこの背丈でこんな迫力が出せるものだと変なところで感心する。 「ほら、そういうことだからさ。……ええと、ロイ?」 「なんだよ」 「あんまり納得してなさそうだから、オレは謝れとは言わないけど。 とりあえず、その頬、冷やしてこいよ。痛いだろ」 「…………。痛いけど」 頬に手を当て、ロイは視線を泳がせた。意外と素直である。 「じゃあ、行ってこい。今日の夕飯、全員集まって自己紹介するんだってさ。 いきなり皆に心配かけたくはないだろ?」 「わかったよ。ったく、殴られ損じゃねーか。ほんと納得できねえ」 「それについては、そのうち試合でもなんでもやって解決してくれ」 それがここのルールだからなとリンクは笑う。この少年はなかなか手強い相手になりそうだ。屋敷には今まで剣使いがいなかったので、いきなりの問題児ぶりに呆れつつも、内心、期待の方が大きいのだった。お人好しだねと囁かれたが、今更なので応えなかった。 ロイはまだぶすったれていたが、やがてくるりと背を向けた。リンクが入ってきた扉、ドアノブに指をかけ、 「あ、手洗い場ってどこにあるんだ?」 「その廊下を右に進んで、突き当たりを左」 「わかった。ありがとな」 訊くことを訊き、少年らしく笑って感謝を示した。後ろ髪を引かれる様子もなく閉じられた扉の向こう。軽快な足音は、やがて遠くへ消えて無くなる。 「……で、マルスも」 その明るい背中を見送ると、リンクは今度は隣にいるマルスに声をかけた。藍色の瞳だけが鈍くこちらを向く。赤髪の少年と渡り合った激情はすっかり鳴りを潜めており、今のマルスは、まるで別人のように冷ややかな印象が強い。外見の色彩から感じるものとしては、こちらの方が正しいようにも思えるが。 「お前は、怪我無いよな。部屋で荷物の整理でもしてきたらどうだ? 夕飯まで、まだ時間あるし。ここはオレが片付けておくからさ」 「……なんでお前が。僕がしたことなんだから、ちゃんと僕が……」 「お前じゃあ、あのテーブル、一人で持ち上げられそうにないし」 「…………。」 軽い調子でさらりと押すと、青年はぐっと言葉を飲み込み押し黙る。説得は成功したらしい。一筋縄ではいかないように見えるが、気にしていることを突かれると弱いのだろうか。そんな分析をしていると、マルスは軽く前髪を払って溜息を吐いた。 「……じゃあ、任せていいんだな? ……その、ごめん」 「謝るくらいなら、できれば喧嘩はしないんでほしいんだけどな」 「……。……あのバカに言え。 あいつが何もしなければ、僕だって何もしないんだ」 返ってきた言葉はやはり辛辣だった。隙の無い美しい動作で、マルスもまたリビングの外へ向かう。真っ直ぐすらりと伸びた背筋に、緑の衣の青年はなぜだか、自分が仕える姫君のことをふと思い出した。 ぱたん、と扉が閉じられる。常人のそれより優れた耳に、ぺたぺたと、フローリングの廊下を歩く音が聞こえてくる。時々立ち止まっているのは、慣れないスリッパを履き直しているのだろう。それが階段の方へ移動したのを確かめ、リンクはようやく長く長く息を吐いた。 「…………はあ…………」 「お疲れさま。仲良くなれそう?」 頭の上から、ピカチュウがひょっこりと顔を出す。体を支えている小さな手を、指でそっと撫でてやる。垂れた耳の上から帽子を被っている姿は、子どもらしく愛らしかった。 「どうだろうな……ロイって奴は妙に理屈こねてるし、マルスの方は怖いし」 「そう? 僕は、赤いヒトの方が、なんだかこわい感じがしたな」 「……そういえば、マルスには話しかけてたな。珍しいな?」 「リンクが、僕とカミナリ以外のものを怖いって言うのも、珍しいね?」 さらりと問えば、実に的確な判断が返ってきた。胸の中にくすぶる予感に明確な形を与えられず、答えることを放棄する。二つ目の溜息でそれを察したらしいピカチュウは、言及しようとはしなかった。三つ目の溜息は、安堵のものになった。 リンクは窓の外に目を向ける。青空、快晴。テラスに、花の欠片がいくつか落ちていた。屋敷の敷地内、門のすぐ傍にある木のものだろう。淡い色の小さな花をたくさんつけるもので、リンクの故郷には無いものだが、ピカチュウはそれをチェリムと呼んでいた。 花が咲くように、この“世界”が変わる。正確には、管理者に変えられているのだ。人が増えるというわかりやすい変化に何の意味があるのか、この日常に何をもたらすのか。今の時点では、わかるはずもなかった。 「……ん?」 考えるのをやめようとしたリンクは、なにか思い出す。部屋に行け、などと、軽く言いはしたが。 「……。そういえば、あの二人の部屋って……」 「うん。隣同士だったねえ。で、リンクがその隣になったんだっけ?」 「…………」 ああ、そうだった。同じ剣使いだから、なにかと話す機会も多くなるだろうと、確かそんな配慮をされたのだ。 「喧嘩はちょっと、なんて、言ってられそうにないね」 「……。……勘弁してくれ……」 ピカチュウののんびりとした先読みに、リンクは思わず耳をふさぎたくなった。
三度目も遠くない |