紙のお月さま

「……あー。やっと見つけた。こんなとこにいたのかよ」

街の最南端には、廃墟と化した教会がある。
そんな場所にわざわざ訪れたロイは、重い扉を押し開けると、一言、こう呟いた。
植物の根が絡んだ床、埃を被ったオルガン、溶けた蝋がこびりついた燭台。
外は陽が落ちたばかりであったが、この中はことさら薄暗く感じた。
ただ一つ、奥の壁を埋め尽くすステンドグラスから零れる光を除いては。

通路代わりに敷かれた赤い絨毯を歩く。
その一番向こうで立ち尽くし、飽くことなくある一点を見上げている者。

「おい。馬鹿天使」
「……よお。馬鹿犬」

零れる光の中、ピットは振り向き、いつも通りの口の悪さでロイに答えた。

「何だよ、わざわざこんなところまで来て」
「それはこっちのセリフだ。何やって……つーか、何時だと思ってんだ。
 夕飯の時間に帰ってこれないんなら、連絡するって決まりだろーが」
「……ああ。そんな時間なのか?」
「おかげでカービィとヨッシーさんとアイクが暴走寸前なんだよ」

食べ物の恨みは恐ろしいというか、何というか。
その光景が容易に想像できたのか、ピットは楽しそうに笑う。

「あははは、それは悪かったな。ごめんごめん」
「うっわ。誠意が感じられねえ」
「そりゃあ、お前に謝るつもりはぜんぜん無いからな」
「こっちだって、そんな期待してねーよ」

特に理由らしい理由はないのに、二人は相変わらず必要以上に仲が悪い。
ロイは大げさに溜息を吐く。効果はないだろうが、相手にしっかり気づかせるために。
少年の予想どおり、ピットにはまったく応えた様子が見られなかった。

「ほら、帰るぞ」

腰に手を当てたまま、乱暴に言う。態度が悪い自覚はあるが、致し方ない。

しかし、ピットは返事をせず、ロイに背中を向けてしまった。
暗がりに、彼の背中の真っ白な翼が輝く。

「おい……」
「一人で帰れよ。……俺はもう少し、ここにいる」
「…………」

その時。
ぽつり、と落ちた言葉が、どこか不安に聞こえてしまったから。
うかつなことに、ロイはその場から動けなくなってしまった。

ピットの後ろ姿は、ある一点を見上げている。一心に視線を注ぐ。
ロイもまた、そこに目を向けてみた。そして思い出す。
そこには確か、神様を示す印があったはずだ。
正確には、神様が見た、あらゆる罪や罰、試練の象徴だった気もする。
あいにくロイには他に信じるもの、祈るものがあるので、詳しいことはわからない。

印は、いつの間にか無くなっていた。
それはピットや他の者達が、この“世界”に来る前のことである。
そこに何があったのか、誰かに聞かない限り、わかるはずはないのだが。

そういえばピットは天使である。絵姿でも、人を褒める時の例えでもなく、本物の。
何を以って本物と言うのかは知らないが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。
そして天使とは、神様の使いであったはずだ。少なくとも、ロイの知る聖典の中では。

「……そこに、何があったか、わかるのか?」

尋ねた後で、しまった、と思った。
なんだかとてもばかなことを訊いたような気がして。

しかし、

「……さあ。わかんねえけど」

ロイの予感とは逆に罵倒は一切返ってこず、ピットの答えは静かなものだった。

「……人間は……」
「うん?」
「人間は、こんなところで、こんなものに祈るのか」
「ああ……まあ、基本的にはそうなんじゃねーの?」

自分の記憶をできるかぎり引っ張り出してみる。
そもそも昔からロイはじっとしている、黙っている、ということが苦手であったために、
教会へ行き話を聞き祈りを捧げる、などという行為はまったく好きではなかった。
形式ばったことをしなくても信じていればいいんだろう、と父親に言ってみたら、
私もまったくの同感だが、残念ながら領主は領民の手本にならなければいけないのだと、
身も蓋もない返事を寄越された。

更に思い出してみる。出てきたのは、自分が総大将として軍を率いた戦争のことだった。
あの頃は、確か。
神様の名に権力があるなら、その立場が優位なものなのなら。
だったら徹底的に利用してやろうと、そんなことばかり考えていたような……。

「…………。」

果たしてピットがどういう類の考えを持っているのか知らないが、
この辺はあまり言ってやらない方がいいような気がした。
だからロイは黙っておく。彼にしては、珍しく殊勝なことに。

などということをロイが考えていると、ピットが再び口を開いた。

「……人間には、神様の御姿は見えないんだろ?」
「ああ。そりゃあ。ってーか、いるのかどうかもわかんねーし」
「……それなのに、どうして祈るんだ。
 ……神様には、どうせ……人間の言葉なんか、聞こえていないのに?」
「…………」

それは、嘲るでもなく、皮肉で言っているわけでもなかった。
純粋な疑問に満ちていた。そんなふうに、ロイには聞こえた。

「俺のこともな。
 俺には、神様がいるけど。何も見えないなら、本当なのかどうかわからないだろ」

ふと、ロイは思う。
目の前で今、喋っている彼は、天使であり、人間ではないのだと。
天使というものがどういうものなのか、ロイにはわからない。
彼が、ロイのような人間からしてみれば異形以外のなにものでもないこと、
ただ彼が“違う”のだということだけは、知っていた。
そもそもこの街には、屋敷だけを見ても、人間じゃないものがたくさんいるのだが。

ピットは神様を知っている。背中の白翼で、空を飛ぶことができる。
自分ではけっして見ることのできない、何かの真実を彼は知っているのだろうか。
そんなことを、なぜか、ロイは感じた。

しかし。
しかし、だ。
そんなことを訊かれても、である。

「……えーと。それ、俺に聞いてんの?」
「……別に。人間の事情なんか、俺には、関係無ぇし」
「あー。まあ、それならいいんだけど」

幸いいつもの台詞が吐き出されたので、どうやら無用の心配であったようだ。
その言葉に秘められた矛盾に、気づいていないわけでもないのだけれど。

ロイがほっと胸を撫で下ろしかけた、そのとき。

「ああ、でも。
 知ってるんだったら、聞いてやってもいいぜ?」
「……ほんっと性格悪いのな、お前」

知ってたけど。
今度こそ盛大に溜息を吐いたロイは、がしがしと髪をかき乱した。

「知ってる、っていうか……俺がそう思ってる、ってだけだよ。
 そう思いたい、っつーか。神様のことだけじゃなくてな」
「うん。で、何だよ」

振り向いたピットは相変わらずどこか無機質な笑顔だ。
以前のことを思い出し、ロイは少し、懐かしくなった。

「……信じたいから、信じるんだろ。信じれば、それが本当になるから」

観念したロイがそう告げると、ピットは怪訝そうな顔をした。

「信じれば、それが本当になる? なんだよ、それ」
「何って言われても、そのまんまだよ。
 俺が、信じたいことを信じれば、俺にとってはそれが本当になるんだ。
 それが、本当でも、嘘でもな」
「……嘘でも、本当に?」
「あくまでも、俺にとっては、だけどな」
「……そんな話、聞いたことねえな」
「そりゃそーだ。こんなこと真面目に話すわけねーだろ、普通」

こんなことを正直に話す人間は、とんでもない天然か、
または信用するに値しないかのどちらかだ。

「今のは、お前が訊いてきたから、言っただけだよ。
 俺がこんなこと言ってたなんて、絶対言うんじゃねーぞ。
 言ったらお前のこともバラすぞ」
「バラすって、何をだよ」
「お前がナス食えないってこと」
「…………!」

さらりと言ってのけると、ピットはわかりやすく動揺した。

「……っお前、何で」
「見てりゃわかるっつーの」
「……ちっ。抜かったな」

よりによってこいつなんかに、と呟くピットは珍しくとても焦っている。
その様子がおかしくて、ロイは遠慮なく声を上げて笑った。
恨みがましい目を向けられるが、そんなものはさっくり無視した。

「……わかったよ。話さねぇよ。で、」
「ん?」
「嘘でも本当になる、って。お前は、それでいいのかよ?」
「いいって、何が」
「つまりそれって、頭のめでたい大馬鹿野郎だってことだろ。
 ただ信じれば、なんて」
「またその話かよ。
 ……俺は、べつに、それでいいと思ってるけど」

ぱっちりと開かれた瞳は、美しい深海の色をしている。
ロイの恋人によく似た、しかし全然違う色。
マルスとピットは、よく似ている。心が形を持つのなら、きっと同じ形をしている。
以前ピカチュウが、そんなことを言っていたのを思い出した。

「本当か、本当じゃないかなんて、結局、どうでもいいことなんだからさ」

それで誰かが幸福になり、誰も不幸にならないのなら。

そう言ったきり口を噤んだロイを、ピットは見つめた。

「……へえ」
「なんだよ」
「いや……。……人間を間近で見るのは、今回のことがはじめてなんだけどさ」

ふ、と微笑んだピットが、再び奥の壁に目を向ける。
ステンドグラスは美しく、淡い月の光に照らされている。
彼と親しくなれれば、幼い頃からの疑問に答えが出るのだろうか。
そんなことを考えたけれど、ピットと親しくなるという選択肢が、ロイには無かった。

「それが、無償の愛ってやつか。人間は、けっこう面白いんだな」
「……ああ?」

何がどうなってそうなるんだかさっぱりわからなかった。
首を傾げて尋ねてみても、ピットは答えを返してはくれない。
とても楽しそうに笑う彼の表情は、とても子どもじみていた。

「ほら、戻るぞ子犬」
「子は余計だ子は! ……なんだよ、もういいのか?」
「ああ。何か、いろいろどうでもよくなったからな」

小さいという悪口にはしっかりと反論した後、仕方なくロイは歩き出した。
今後、二度とあかりがともることはないだろう、薄暗い朽ちた教会。
ぼろぼろの赤い絨毯を歩いて、重い扉を押し開ける。
今夜は満月だった。

地面を蹴り、ふわりと空を舞うピットの姿を、ロイは見上げる。
彼は、人間にはない、あらゆる力を持っているから。
きっと人間が持つ何かを持ってないということもあるのだろうと、何の意味もなく思った。


街を抱きしめる月の空を、眩い白翼が駆け抜ける。
その後を追いかけながら、ロイは家路を急いだ。



ロイ様とピット
信じるものと知るもの

お付き合いいただきましてありがとうございました。

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