隠れ家

どうしたもんかな。
とりとめのない呟きを吐いて、ロイは深い溜息をついた。




窓から覗くあたたかな青空が眩い、現在時刻はティータイムである。
今日はピーチやゼルダ達女性陣に、お茶をしようと声をかけられていた。
なので今頃は庭へ出向いていなければいけないはずなのだが、
ロイの現在地は、旧館四階にある自室だった。

約束をすっぽかしたいわけではない。
愛しい恋人も共に誘われ、そして彼もそれを快く受けたのに。
彼と一緒にいられる時間を、少年が忘れるはずがない。

寝台に腰掛けた姿勢のまま、ロイには今、お茶会に行けない理由がある。
動けないのだ。
足を痛めたわけでもないが、立ち上がることすらできなかった。

どうしたもんかな。
同じ言葉を反復して、ロイは視線を落とした。
自分の膝の上でまるくなって眠っている、小さな生き物   ピカチュウへと。

「…………」

もうかれこれ一時間かそこらはこの状態でいるだろうか。
昼食をとった後、この部屋で寛いでいたロイの元に、突然やってきた黄色い毛並み。
何か用かと尋ねてみたが、ピカチュウは無視してぴょんぴょんと走り寄って。
ロイの膝の上に跳び乗って、そしてそのまま居座ってしまった。

この一連の流れに、ロイは不覚にも、心の底から驚いてしまった。

ロイはピカチュウとこんなふうに接したことは無かった。
喧嘩の時に自分がしっぽや耳を引っ掴むか、
もしくはピカチュウに踏み台にされるのがせいぜいである。
マルスとはよく本を読んでいるし、リンクに至っては頭の上に乗るのが当たり前だが、
ロイにはけっしてそんなことはしなかった。
それについては大した理由はなく、基本的には仲がよろしくないだけだ。
性格の違いだったり、考え方の違いだったり。
お互いがお互いにさりげない苦手意識を持っているのも、きっと原因の一つなのだろう。

なのにピカチュウは今日に限って、膝の上に乗ってきた。
何も言わなかった。ただじっと、ロイを見つめて。
しょうがないから見下ろしてみたら、ピカチュウはようやく口を開いた。

お願いここにいさせて少しの間だけでいいから。と。

どこか怯えた様子で言われてしまい、ロイは何か返すどころではなくなってしまった。

どうしたもんかな。
やることのないロイは、膝の上のピカチュウを試しに観察してみる。
長く、とがった耳。赤いほっぺ。奇妙なかたちをしたしっぽ。
茶色のしま模様が入っている背中を撫でると、存外温かく、そしてやわらかい。
ねずみをこう例えるのも何だが、この手触りは、猫に似ている。
普段は人間の言葉を喋っているが、目の前のこの子どもは人間ではない。
彼らの声を、この“世界”が変換しているだけだ。
日常に溶け込みすぎてすっかり忘れていたそんな事実を、ロイは改めて認識した。

「……声、か」

ぽつりとロイは呟く。そして考える。
もしこの“世界”がピカチュウの声を変換していなければ、自分はピカチュウとどういう関係でいただろう。
現在ロイとピカチュウの仲が悪いのは、ピカチュウの辛辣な物言いのせいだ。
……と、ロイは思っている。
ならばその毒舌が聞こえなければ、今よりも少しは仲が良かったのだろうか。
しかしながら世の中には、悪口はなぜか通じる、というお約束が存在する。

言葉が通じなくても、お互い中身は変わらない。
ということは、やはり気が合わなくて、仲が悪いままかもしれないな。
そんな結論を導いて、ロイは二度目の溜息を吐いた。




壁掛け時計を覗いてみる。針は、約束の時間を既に追い越していた。
どうしたもんかな。
本気でどうにかしたいのだったら、叩き起こすか、ベッドの上に置いていくのが正解だ。
しかしロイは、知っていた。知っているから、そうできなかった。
ピカチュウが今、自分の傍を選んで眠っているわけを。

「…………」

窓の外に、この旧館と並んで立つ、もう一つの建物が見える。
新館と呼ばれるそこは、最近新たにやってきた者達が生活をする場所だ。
二つの棟で構成されるようになった、街の北の大きな屋敷。
この“世界”がいとなみをはじめて、三度目の招待客。

ロイは知っていた。
三度目の招待客の中に、ピカチュウの心を苛む、人間がいることを。

ピカチュウは、逃げてきたのだ。
その人間から。
緑の青年の傍を選ばなかったのは、きっと。
彼が、ピカチュウのために、戦ってしまうからだろう。

ロイなら、ピカチュウのために、戦ったりはしないから。
だから、選んだ。
穴があるゆえに安全な、逃げ場所として。

「……。……どうしたもんかな……」
「……ぴぃーか、ぴかちゅう」
「!」

ふいに聞き慣れない声が耳に飛び込んできた。肩がはねる程驚くが、主はすぐにわかった。
慌てて下を見ると、ピカチュウが膝の上で、伸びをしているところだった。
ピカチュウは何度か首を横に振り、ぱちぱちと瞬きをすると、ロイを見上げ、笑った。

「ぴかぴかっちゅう!」
「……え。いや、わかんねーよ」
「ロイさん、おはよう。おはようってば!
 って、言ってたんだけど。わかんないよねえ」
「……あ、ああ。そりゃーもう、さっぱり……」

そんなことよりもどうして自分の考えていたことがわかったんだろう。
ヒトの痛いところをざくざく突いてくるのがピカチュウの得意な喧嘩の方法であるが、
まさか本当に心が読めたのだろうか。
などということをぐるぐる考えていると、

「よかった。
 わかんないなら、いい」
「……うん?」

ピカチュウが、さらりと言った。ロイにはいよいよわけがわからない。

「気にしないで。こっちの話だから」
「……。……まあ、それならそれでいいけどよ」

しかしロイは、自分に無関係そうな詮索はしない性質だった。
三度目の溜息を吐いて、髪をがしがしとかき乱す。

「よいしょ、っと」

ピカチュウが膝から床へ跳び下りる。
ずっとそこにあった重みが無くなり、妙な喪失感に捕らわれそうになったが、
それは気のせいだと、ロイは自分に言いつけた。

「じゃあ、僕、行くね。ありがとう、ロイさん」
「……。ああ。じゃーな」

余計なことは言わない。
ピカチュウにとって、ロイは、ピカチュウのために何もしないヒトだから。
この子どもが自分にそれを求めていたのなら、いつまでもそのままでいてもいいかと。
そんなことを考えるくらいには、ピカチュウのことが少し、特別だった。

「あ。……あのね、ロイさん」
「ん?」

ドアの前で立ち止まり、ピカチュウはこちらを向いた。
首をかしげるロイの耳に、ロイでも理解できる、変換された言葉が届く。
本当は、ピカチュウの声。
この“世界”でなければ、直接伝えられる術は無い。

「ここなら、大丈夫かなって、思ってはいただけど。
 ……あのね、けっこう、頼りにしてるんだよ。これでも。
 ……あなたのことも。それなりには」
「…………」
「じゃあね。また後でね」

ちまちまとした手を振って、ピカチュウはそのまま外へするりと出て行ってしまった。
ロイに返事をさせる間も与えなかった。


どうしたもんかな。
今の言葉を、一体、どう受け取るべきか。そして自分は、どうするべきなのか。
内心かなり困り果てながら、しかしロイの頬は緩んだ。
嬉しそうに。


なんにしても、これでようやく自由の身だ。
お茶会へ行くために、ロイもまた部屋を出て行く。

人の気配がなくなった部屋には、あっという間に静寂が満ちた。



ロイ様とピカチュウ
仲は悪いがお互いのことは知っている。

お付き合いいただきましてありがとうございました。

SmaBro's text INDEX