door

暗闇の巫女を解放したことにより、大陸の異質な脅威は取り除かれた。
内部分裂の尾を引くエトルリア、王が死んだベルン、偉大なる盟主を失ったリキア。
それぞれ国情の安定には程遠いが、かといって絶望的なわけでもない。
エトルリアは死んだはずの王子が生きて姿を見せるだろうし、
ベルンも頃合いを見て、前王の妹姫が、新女王として即位する。
それは希望の芽であり、同時に新たな不穏の種でもあるだろう。
しかしそれはその国ごとが解決する問題であり、どうでもいいと少年は考えていた。
少年が憂うべきは、己の故郷、リキアのこれからだ。
だが、少年の国には、少年の父親がいる。
だったらまだ楽だろう、先の二つの大国よりは。少年はそう結論付け、笑った。






「……しっかしなあ。こうもあっさり終わると、何つーか」

自室で竜伝説の古書に目を通していたロイは、窓の向こう側に目を向け溜息をついた。
外は明るく、あたたかな日射しがぽかぽかと庭を照らしている。
視線を引き下ろしてみれば、復興作業に勤しむ兵士達の笑顔が見えた。
なんだかこうしてさぼっているのがとても悪く思えて、ロイは素直に本を閉じる。

「……いや。別にさぼってるわけじゃねーし」

ぼそ、とひとりごちて、机の上に溜まっている書類にそっと訴えかけてみる。
自分が部屋へ戻ってきたのは、新たな見積書を確認し、修正を加えるためだ。
だが少年の手の中には、羽根ペンではなく本がある。
ああやっぱりさぼりだなと、ロイは再び溜息をついた。

「…………」

静かな午後だ。
刃と刃がぶつかり合う音は聞こえない。
時折、誰かが何かを落としたらしい盛大な音が届いても、あれは戦いの音ではない。
つい最近まで、いつ襲われてもおかしくないような状況だったのに。

ああ、それは今もか。
この時期に自分を狙う利点が、そうたくさんあるとも思えないが。

そこまで考えて、ロイは腰に差しっ放しだった剣に、そっと手で触れた。

「はあ…………なんだかなー」

口をついて出るのは、現状に不満でもあるかのような、つまらない呟きばかりだ。
否、あるかのような、ではなく、あるのだろう。きっと、この現状に、不満が。
では、何がそんなに気に入らないのだろう。
本を棚に戻すと、ロイは窓を開け窓枠に腰掛けた。
柵に背中をあずけ、両手を頭の後ろで組んでみる。穏やかな風が心地良い。

戦争を好んでいたわけでもなく、平和を嫌っているわけでもない。
誰かが理不尽に死んでゆくようなことは無い方が良いに決まっているし、
この平穏は、できれば長く続いた方が良い。
どうせ、自分が夢見ている真の平和など、訪れることは永遠にないのだから。

そんなことはわかっている。だが、けっして諦めてはいない。
理想に出来る限り近づくための、最大限の努力は惜しまないつもりだ。
少年の名前は、ロイ。リキア地方フェレ領が領主エリウッドの嫡男。
このまま事がロイの思うとおりに運べば、いずれ少年はリキアの頂点に立つだろう。
そんなことはわかっている。
わかっているのだけれど。

「…………」

ふいに、少年に影が落ちる。空を見上げると、ペガサスが数体飛んでいた。
ああ、そういえば、領内を通過させてくれという通達が来ていたような。
一体どこの軍だろうか。もしくは、イリアの傭兵か。
戦時中、何かと傍にいたペガサス乗りの少女を思い出して、少年は陰鬱な気分になった。
少女が嫌いなわけではなく。
少女を好きでも、純粋に好きなわけではない、己の頭が嫌になったのだ。

彼女を伴侶にすれば、楽しいうえに、便利だろう。

最後の言葉が憑いて回った。年頃の少年らしい、潔癖な心に。

「…………」

ロイは以前家臣にほんの少しだけ聞かせてもらった、彼の父親の昔話を思い出していた。
彼の父は、まるで物語のように美しく、そして残酷な恋をしたのだと。
詳しくは聞かせてもらえなかった。これだけでも、かなり聞き出した方なのである。
あのおしゃべりが秘密にするくらいなのだから、きっと詮索はしない方がいいのだろう。
ロイは当時両手の指の数にも満たない子どもだったが、それくらいのことはわかった。

ロイは父親を目指して生きてきた。
追いつけるよう、追い抜けるよう、いつだって懸命に。
足りないものはなんだろう。この空虚な胸は、何を求めているのだろう。
少年は確かに何かを欲していた。
これからの未来で、大勢の人を護るために。同時に、自分自身の何かのために。

ここまで思考が巡れば、答えはわかったも同然である。
しかし答えがわかっても、それはけっして手に入らないものだ。
少なくとも、今、この時には。


足りないものは、恋だ。
理屈が通じない、感情そのもの。
しかし、恋をするために、恋はできない。
そのこともまた、よくわかっていた。
そんなことができるのならば、とっくにできているはずなのだから。




「ロイ様。よろしいですか?」
「ん? ああ、ウォルトか。いーよ、入ってこい」
「失礼します」

控えめなノックにさらりと答える。
開かれた扉の向こうに見えたのは、ロイの言ったとおりの人物だった。
あざやかな翠の髪をした、ロイの幼馴染。
その手には、一通の封筒を持って。

ロイは腰掛けていた窓枠から跳び下りると、ウォルトへと歩み寄った。
それを見てウォルトが呆れたように溜息をついたが、ロイは一切気にしなかった。
お行儀の悪い、と呟かれた気もしたが、幻聴だろうと切って捨てた。

「で、何だ?」
「……。ロイ様に、お手紙です」
「手紙?
 手紙なら、さっきまとめてマリナスが持ってきたけど。速達か何かか?」
「いえ……その。……とにかく、ご覧になってください」
「んー?」

珍しく言いよどんだウォルトの様子に首を傾げて、ロイは手紙を受け取った。
真っ白な封筒。美しい筆跡。
裏返してみると、知りもしない、どころか見たこともない紋様の封がしてあった。
差出人の名は綴られていない。

「……なんだこれ? どこの誰からだ?」
「信じていただけないかもしれませんが……。……その、手紙。
 ロイ様の部屋の前に、いきなり現れて、落ちてきたんです」
「……。はあ?」

妙なことを言い出した幼馴染に、ロイは今度は怪訝そうな顔を向けた。
しかしウォルトは慌てず、淡々と告げる。
嘘をついているようでもなく、からかっているようでもなかった。
それがすべての事実であると、言葉の裏側で言っていた。

「僕が今、ロイ様のお部屋の前を通りがかったら、それが落ちてきたんです。
 僕の目には……宙から突然湧いて出たように見えました」
「……。……ワープの魔法とか?」
「どこの誰が、そんな手紙ひとつのために膨大な魔力と貴重な杖を使うんです」

至極もっともな意見である。
大体ロイも、魔法で生物以外のものを転移させたという例は聞いたことがないし、
出来るとしても、とてももったいない、ばかみたいな話だ。
手紙ならば、それこそペガサスやドラゴンに運ばせれば、
場所にもよるが一日か、二日もあれば届くだろうに。

よほど重要な内容であれば、話は別なのだろうか。
それにしたって、今この時期に、そんなことが?

「……とりあえず、読んでみるしかない、か」
「だから、はじめからそう言っているじゃないですか。
 ……それでは、僕はこれで。
 休憩はよろしいのですが、長すぎるのは良く思われませんよ」

さぼりはちゃんとばれていたらしい。返答に詰まったロイを見て、ウォルトは笑う。
本当は休ませてさしあげたいのですが、と付け足して。

幼馴染が退室した後、部屋は再び静寂に包まれた。

「……さて、と」

読んでみるしかないと言ったのは自分だが、この手紙をどうしようか。
迷いは、ほんの一時だった。

机の上からペーパーナイフを探して、封を切る。
円形に、中心から少しずれた十字が刻まれた紋様は、やはり見たことのないものだ。
白い封筒から出てきたのは、やはり白い便箋だった。

中を読む。
美しい文字だが、こちらにも覚えは無い。
中を読んで。
ロイは眉間に皺をよせた。
大いに怪しむと、同時に。
少年の心のある部分が、確かに疼いた。はっきりと、自覚できるほどに。


ロイは部屋を飛び出し、父親の元へと走った。
扉を叩かず蹴り開けたら、さわやかな笑顔で毒を吐かれたが、
今は構わず詰め寄った。

あらゆる疑問は、好奇心に負けた。
少年は父親に、生まれて初めて頭を下げる。
詳しい事情も何も聞かず、
彼の父親は、ただ、微笑んだ。


そして少年は一歩踏み出す。
知らない何かを、探すため。
知らないどこかへ、知らない世界へ。
少年がまだ手に入れていない、感情そのものに出会うために。






手紙には、ただ一言、こう書いてあった。

  『この世界へ招待します』、

と。



ロイ様参戦
なにか間違っていたらすみません。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

SmaBro's text INDEX