水際に派手な音をたて、ダークリンクは浅い川の面へと倒された。
投げ出された背中が岩にぶつけられ、ひどい痛みが身体に走る。
はね上げられた水が銀色の髪を首に張りつかせ、流れる水が服を重くする。
ちらつく木洩れ日に思わず目を細めても、枝葉の向こうには空が見えた。
攻撃の手は止まない。
彼は弓をなぎなたのように掴み、ダークリンクの顔の横に恐ろしい勢いで突き立てた。
黄金色の刃が白い頬を切り、そこからは赤い鮮血が滲む。
よく澄んだ青空を見つめながら、命が流れてゆく感覚に肩を震わせた。
攻撃の手は、そこで止んだ。
ダークリンクに跨り、握り締めた弓を支えにしながら、彼は荒い呼吸を繰り返す。
大地の色を宿した髪はすっかり乱れ、腕はぶるぶると震えていた。
普段の、自信と余裕に満ちた様子からは、まるで想像もつかない。
ただでさえ低い体温を冷たい水に奪われながら、ダークリンクはじっと見上げていた。
抵抗も、抗議も、なにもかもを諦めた、真っ赤な色の瞳で。
「……なんで、抵抗しない?」
ふいに彼が、ぽつりと呟いた。声だけが、異様なほど静かだった。
尋ねているのか、ただ零れただけなのか、ダークリンクにはわからない。
「……なんで、抵抗しない?
……俺にこのまま、殺されても、構わないのか?」
「……なんで……」
今度は、確実に問いかけだった。揺ぎ無い深海色が、じろりと睨んでくる。
ダークリンクもまた、彼に答える。同じ問いかけというかたちで。
「なんで、俺を、殺そうとする?」
「はっ。……何を訊くかと思えば……そんなことか。
決まってるだろ?
おまえが、正しい命では無いからだよ」
なあ、魔物さん。
笑みを浮かべた唇に乗せられた呼びかけに、ダークリンクは一瞬、
びくりと身体を強張らせた。切られた頬が、じくじくと痛む。
それでもダークリンクは、傷つけられたことを責めようとしない。
「なら、」
「……?」
「なんで、魔物を、殺そうとする? ……あいつになら、殺されたって、構わない。
俺は、あいつの『もの』だから。……だが、おまえは、あいつではないだろう?」
あいつ。ダークリンクの言うあいつとは、光に生きる時の勇者のことだ。
勇者の心に巣くう影が、水に映され形を成した。
この意志も意識も、記憶も軌跡も、いつか勇者にかえっていく。
流れた水が廻り廻って、再び水へとかえっていくように。
それは、正しい命とは言えないのかもしれない。そこには、ひとまずの理解がある。
「へえ。魔物のくせに、そんなふうに諦めてやがるのか」
「……それが、きっと……正しいことなのだろうから。
……だが、おまえは、あいつではない。
……あいつではないものが、なんで、俺を、殺そうとする?」
声にひそませたのは、逆らう意思では無く、ただただ、純粋な疑問だった。
面倒くさそうに舌打ちした彼は、しばらくの間、黙り込んで。
そんな顔が誰かに似ていると考えたが、特定は出来なかった。
「……俺が、」
彼が答える前に、ダークリンクは言う。
たどりついた、たったひとつの真実を。
「人間では、無いからか。……そこだけが、おまえと、おなじだから?」
「……!」
その瞬間。
かろうじて平常を保っていた彼の形相が、はっきりとわかるほどに変わった。
ざあ、と風が吹く。木々が揺れる、水面が騒ぐ。
深海色の瞳の奥に見えたものには、覚えがあった。 これは、怒りだ。
固く握り締めた弓を振り上げる。
鋭く尖った刃先が、ダークリンクの肩を貫き剥き出しの岩に縫いとめた。
どくどくと、血があふれてくる。命がゆっくりと流れてゆく。
それでもダークリンクは、傷つけられたことを責めようとしなかった。
痛みを伝える方法を、知らなかったのだ。
「…………っ」
「…………る、さいっ……」
吐き出された声は、あふれるほど感情に満ちていた。
ダークリンクの知らないもの。いつか知りたいと、思っているもの。
彼は眼差しを滲ませる。言葉にできない、様々な心の色に。
「うるさい。……うるさい、うるさい……っ」
「…………」
「ああ、俺は、人間じゃあないさ。……おまえも、人間じゃあない。
でも、……違う。おなじじゃない。おまえは魔物だ。俺は……」
引き抜いた刃をもう一度、同じところに突き立てる。
音をたてた翼から羽が降り、地に落ちて血に汚れた。
「…………」
「おなじじゃない。おなじじゃない。おまえは魔物だ。俺は違う。
正しい命じゃないくせに。
人間から出来た、魔物のくせに。……なのに、どうして」
水が、流れていく。流れ流れて、命を遠くまで運んでいく。
水は、命にとても似ていると。
確か、誰かが言っていた。
「……どうしておまえだけが、受け入れられるんだ。
……どうしておまえだけが、意思を持つことを喜ばれるんだ。
……どうしておまえだけが、排除されないんだ。どうして」
「…………」
知らないものを、いつか知りたいと、思っている。
自分を成した勇者も、その小さな親友も、弟も、皆が彼のそばにいる。
それがどれほど幸福なことか、
ダークリンクは知らなかった。幸福とは、どういうことであるのかも。
「どうして。
どうしておまえだけが……どうしておまえだけが赦されるんだ。
どうして。どうして、どうして、どうして……!」
狂気を振るう刃は止まらず、ダークリンクの腕を、足を、身体を、傷つけていく。
痛いのに。
痛いのに、それでも、ダークリンクはされるがまま、何も言わなかった。
「…………」
「…………どうして。……どうして、どうして、どうして……」
ダークリンクには、心のことがわからない。痛みを伝える術も知らない。
なのに。
どうして、どうしてと、自分を傷つけながら叫ぶ、彼の方が。
ダークリンクには、ずっと痛そうに見えたのだ。
凶行に及んでいた彼は、しばらくすると、やがてその手をぴたりと止めた。
無事であるところを探す方が難しいくらい壊された身体。
生々しい傷口から、冗談みたいにあふれる赤い命。
彼はそれを蔑んだ表情で見下ろすと、その場からふわりと飛び上がった。
木洩れ日を裂き、絡み合う枝葉に屈すること無く、彼はよく晴れた空へ消えていった。
あんな顔は、はじめて見た。
「…………」
ダークリンクはぼんやりと、羽が降る空を見つめていた。
冷たい水の感覚が、とても懐かしいものに思えた。
血をどれほど流しても、ダークリンクにはあまり意味が無い。
ダークリンクを殺すことは、主たる勇者以外に、出来るわけが無いのだから。
「…………」
それでも。
彼が望むのなら それで彼の気が晴れるのなら。
殺されるべきだったのだろうかと、ダークリンクは考える。
世界中の誰も、きっと、彼がいちばん望んだ誰かでさえも知らない、彼の心を。
彼の本当の願いを。
きっと、ダークリンクだけが、理解できたから。
「…………」
たゆたう身体をゆっくりと起こす。首に纏わりついた髪を払うと、小さな雫がはねた。
改めて自分を眺めると、なにやらとてもひどいことになっていた。
痛いけれど、痛いとは思わない。ダークリンクは、小さく溜息をついた。
言い訳が面倒だと、どうしようもないことを考えて。
屋敷へ帰ろうと、立ち上がる。岩の上に立ち、川を見る。
流れて流れて、水はどこまでゆくのだろう。
重たい身体を引き摺りながら、ダークリンクは帰るものが待つ場所へと歩いた。
案の定、リンクとピカチュウ、その他大勢に捕まって、いろんなことを言われたけれど。
子どものように笑うピットと目が合い、ダークリンクは伝えるべき言葉を飲み込んだ。
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