少年が故郷へ帰ることが決まった日も、同じように花が降っていた。 雪 月 花 「……じゃあ、ここでいいから」 街の商店街を抜けた路で立ち止まると、ロイは重たい鞄と剣とを地面に置いた。 続けて、隣を歩いていたマルスと、後ろをついてきていたリンクが立ち止まる。 リンクの頭の上で、歩幅に合わせてしっぽをぱたぱたと振っていたピカチュウは、 しなやかな動きでリンクの肩に降りてきた。 空はあいにくの曇天で、重たそうな鉛色の雲が、今にも落ちてきそうだった。 ロイは肌を刺すような空気の冷たさに身震いする。 歩いてくる途中で崩れたマフラーを正し、そこでようやく一息吐いた。 「ありがとな。わざわざ、見送りに来てくれて」 「うん……」 「リンクも、ピカチュウも」 「別に、礼を言われるようなことじゃないだろ」 「そうそう。だいたい僕は、リンクについてきただけだし」 淡く微笑んで頷いただけのマルスの隣で、リンクはいつものようにあかるく笑う。 つれないことを言っているピカチュウもとてもいつもどおりだったのだが、 もう見れなくなることを思えば、怒ることは出来ず、むしろ少し微笑ましかった。 「素直じゃねーよな。お前」 「……なに、それ。変なの」 からかうように言えば、ピカチュウはふい、と視線を逸らした。 図星だったらしい。 久しぶりにピカチュウに勝ったとこっそり喜んだところで、ロイは、 マフラー以外ろくに防寒対策もしていないマルスを見上げた。 「マルス」 「……っえ、……な、に」 呼ぶと、マルスは驚きに満ちた顔で見返してくる。 「……そんなに驚かなくても」 「ご、ごめん……。ちょっと、考え事してて……」 本当に考え事をしていたのか、ぼんやりしていたのかどうか。 結局どちらでもいい答えしか返ってこない問いかけはせず、 ロイはいきなり手を伸ばすと、マルスの頬にぴた、と当てた。 「!!」 「うわ、冷た。寒くねーのかよ、あんた」 「……っ、僕は、別に……。ロイの方こそ、寒くないのか?」 「うん、まあ、寒いけど。 どんだけ着たって、寒がりはいつまでも寒いしな」 白く消えていく吐息が、今の気候を、季節を、物語っている。 「だから、マフラー貸してくれたりしなくていいから」 「…………」 「返せないしな」 ロイが、頬からゆっくりと手を離す。 手のひらから順番に、最後は指で輪郭をなぞりながら。 指が離れようとしたそのとき、 マルスは両手で包むように、ロイの手を握り締めた。 「……マルス?」 「…………」 若干びっくりしたロイが、きょとん、とした顔でマルスを見つめる。 マルスは。 「……ごめん。何でもない……」 視線を泳がせながら、ゆっくりと手を放した。 しん、と静まる街。あたりの人影はまばらで、 なぜだかわけもなく寂しくなる。 「……じゃあ、」 「……」 「……本当に、行かなきゃ」 「……ああ」 再び俯いたマルスにロイは何か言おうとしたが、言葉は出てこなかった。 かわりにリンクとピカチュウへ視線を向ける。 それに気づいた一人と一匹は、二人そろって首をかしげた。 こんな時まで仲が良い二人に呆れ、そして、ほんの少し、羨ましく思った。 「本当にさ。ありがとな、いろいろ。いろんなこと。 何て言ったらいいのか、わかんねーけど」 「え、……ああ。……こっちもな。ありがとう」 「だけどさ、まだ一つ、一つだけでいいんだ。頼まれてくれないか?」 「ん?」 ものすごく真剣な、難しい表情で、ロイは神妙に言う。 「マルスに悪い虫がつかないように、見張っててくれよ。 あの性悪天使とか、後はアイクとかアイクとかアイクとか……!」 「……。……相変わらずだな、お前」 「俺にとっては重要なんだよ! 頼まれてくれるよなッ!?」 「はいはい。わかってるよ」 おかしそうに笑いながら答えるリンクに、ロイは若干不服そうだったが、 それでも納得はしたようだった。 ロイはリンクの肩のピカチュウにも、同じように「お願い」する。 「なあ、お前はわかってくれるよな!」 「うん、まあ、わかんないけど、わかる」 「わかるんならオッケー。任せたからな」 「はいはい」 答えまで似たような言い回しだ。やはり、気は合っているのだろうか。 言いたいことはこれで言った、とロイは満足げに頷くと、 地面の模様を見つめたまま、こちらを見ようともしないマルスに、 がばっ、と横から抱きついた。 「うわっ……!?」 「なーにボーッとしてんだよ!」 「……ッ、何、する……っ!」 「そっちが悪い! ……あーっ、あったかいなー!」 抱きついた肩に子供ように頬を摺り寄せれば、わずかな抵抗が返ってきた。 だけど、そんなものはすぐに止み、やがてマルスは腕の中で大人しくなる。 服越しでもあたたかな命の流れが伝わって、なんだかとても懐かしかった。 「…………」 「…………」 ロイが抱きついて、マルスが抱きしめられ、二人はそのまま動かない。 マルスの口数がいつもにも増して少ない理由も、 らしくない行動を取る理由も、 ロイには、とっくにわかっていた。わかっているから、わからないふりをした。 「……行く……んだよな?」 「……ん。もうちょっと、いられると思ったんだけどな。 帰ってこいって言われたら、しょうがないよな」 ロイが故郷である自分の“世界”に帰ることは、とても唐突に知らされた。 それは本当に突然で、心の準備も何も出来てなくて。 何か、特別重要なことが起こったわけではない。来るべき時が来ただけだ。 だから、何かにあたることも、何を言い訳にすることも、出来なかった。 「……帰っては、こないんだよな?」 「ああ。……それは、マルスだってわかってるだろ?」 「……ああ」 自分の守る世界があり、守る誰かがいるから。 いつまでも、ここにいることができないことは、わかっていた。 例えばここで誰かを好きになって、例えばここで恋をしても。 いつまでも、かなうことは無い。 「……会えないんだな」 「……ああ」 いつまでも。 同じではいられない。 それは、たとえば今、帰るのがマルスの方であっても、同じだ。 ロイは強く強く、折れそうなほどにマルスを抱きしめる。 「……マルス。マルス、あのさ」 「……ロイ、」 「聞いてくれよ。マルス、俺 「……いい……、言わなくて、いい。 ……言わなくて、いいから……」 「いいから、聞けって。嘘みたいに聞こえるかもしれないけど。 だけど、だけど、マルス。あのな……」 逃げようとするマルスを、ロイは絶対にはなさない。 マルスが聞こうとしない理由も、耳をふさごうとする理由も、 ロイには痛いほど理解出来た。 だからこそ、言わなければいけないことが、一緒にわかった。 「これから……俺は、俺の、守るべきものを守る。 ……俺は多分、そのために、誰かを好きになる。 ……誰かを愛して、家族になって……守るものを、伝えていくんだ」 それは、きっと当たり前のことで、ごく自然なことだ。 目の前にこの人がいるのに、こんなことを言うのは残酷だ。 だけど。 「だから、ここには帰ってこない。あんたには会わない。 だけど、それは、俺のしたいことで……俺のやること。 ……だけど。だけど、マルス……」 あったことを、無かったことには出来ない。 嘘じゃない。 抱きしめたぬくもりや、大好きな声。やわらかな微笑みの綺麗なところ。 さみしさをかためた心が、どれだけ脆く、儚いものなのか。 そしてそれを、いつまでも守りたいと思ったことも 「俺は……ずっと。どんなに離れても、もう会えなくても。 俺は、あんたのことを、忘れない。絶対……、」 「……っ」 「……絶対、忘れないから。ずっと……あんたのことを思ってるから。 マルス……」 あいしている、なんて。 いちばんききたくないことばだった。 それなのに。 「……愛してるよ」 「…………」 いとも簡単に、とても愛おしそうに、ひどく苦しそうに、ロイは言った。 マルスの瞳は伏せられることもなく、一心にロイを見つめている。 握りしめた手に爪が喰い込んでも、 マルスはそれをやめ、ロイの背中に腕を回そうとはしなかった。 呼吸を忘れたほんの一瞬、曇天の下の広い世界が静まり返る。 雪が、降ってきた。 「…………馬鹿に……するな」 ピカチュウが顔を上げ、鼻先に落ちてきた白い粒の名前を呟く。 それを聞いたリンクが手のひらを空へ向けると、そこに、 花のような雪がひとひら、ふわりと落ちてきた。 「……そんなこと……、言われなくたって、わかるに決まってるだろ。 僕だって……同じなんだから。僕は、お前とは……。」 雪は瞬く間に視界を埋め尽くし、たくさんの軌跡を描いて降りてくる。 ロイが故郷へ帰ることが決まった日も、同じように雪が降っていた。 「……だから、大丈夫だ」 ロイの肩を押し返し、マルスは顔を上げた。ロイは大人しく身体を離す。 手と手だけをつないだまま、マルスは、 「……ありがとう」 好きだ、とは言わないまま、ロイのいちばん大好きな顔で、笑った。 何か言いかけ、でも失敗して、 ロイは素直に笑い返す。 肺の底まで凍らせてしまいそうな冷たい空気が、街を白く飾っていた。 時計の針無しで最後を告げた空は、なおも黙り込んだまま。 二人は、つないでいた手を、そっとはなした。 指がはなれていくのを、もう二度とふれられない体温を、 ひどく寂しがりながら、二人はもう一度笑いあう。 ロイは路の上に置いていた鞄と剣とを持ち上げた。 歩き出そうとして踏み止まった足の先に、雪が落ちる。 「……じゃあな、ロイ」 「ばいばい、ロイさん」 先に別れを告げた二人よりも手前に、マルスはいる。 こんなときでも、マルスは真っ直ぐに立って、そしてとても綺麗だった。 雪のように優しく、花のように淡い。 きっとこれからも、自分が、隣にいなくても。ずっと。 「……がんばって。今まで、ありがとう。 ロイ」 「……うん。ありがとう、マルス」 今度こそ、足を踏み出す。 もう二度と会えなくても、 約束したから。 「さよなら」 雪の中、少年は、元の時間へと帰る道を歩く。 けっして振り返らず、ただ歩き続けるその後姿は、 彼のまっすぐな心に、よく似ていた。 そして、白い景色の中。 気づけばそこには、はじめから何も無かったかのように、少年の姿は無かった。 「…………」 「……マルス」 雪が地面を薄っすらと覆ったころ、リンクはようやくマルスに声をかけた。 マルスは少年が帰っていった道をじっと見つめたまま、一向に振り返らない。 辺りは、すっかり、とまでは言わずとも、十分に雪景色だ。 自分の白いマフラーをピカチュウに巻いてやりながら、リンクは近づき、 マルスのすぐ後ろで、もう一度、彼を呼んだ。 「マルス。……帰ろう」 「…………ああ」 そう返事をしながら、マルスは動かない。こちらを見ようともしない。 気持ちはわかるけれど、ここにいるばかりでも、良くは無いから。 リンクは思いきり気の進まない様子で、マルスの肩へ手を伸ばした。 直前に吐いた溜息が、冷たい空気の中、白く残った。 「マルス……、…………」 「…………愛して、いるんだ」 ふいに。 聞こえた囁きは、確かに、彼のものだった。 やわらかな輪郭、白い頬の上に、色の無い雫が落ちる。 「…………」 「……愛してるんだ。本当は。本当は……、僕は……。 ……だけど……だけど、……僕は……。」 同じくらいあたたかく、熱く、そして純粋だった。 言葉にすればとめどなく、涙はこぼれて。 手で拭おうとすればするほど、想いは胸に突き刺さる。 本当は、 「…………行かないで、」 哀しい、 「…………行かないで。……ずっと、傍にいて……」 つらい、 「…………愛してるんだ。……好き、なんだ。 …………ロイ…………」 ……淋しい。 だけど。どんなに哀しくても、つらくても、淋しくても。 別れゆく彼に、二度と会えないその人に、 笑顔を、幸福を、愛を祈ってくれた、大切な人に、 どんなに見苦しくても、弱いところを、見せたくはなかった。 「……マルスさん……」 「…………マルス……」 「……ごめん……、」 ひとりになった肩へ、腕へ、胸へ、雪は降りてくる。 少年が故郷へ帰ることが決まった日も、同じように雪が降っていた。 少年がこの“世界”へやってきた日。 同じように。雪のように、花が降っていた。 「……少しだけでいいんだ。 ……あいつのために……泣いても、いいかな……」 思い返せば返すほど、想い出はせつない色を抱いて、心を強くしめつける。 ずっと一緒にいられないとわかっていたのなら。 好きだって、もっと、言っておけばよかった。 そんな簡単なことに、いきなり気づいた。 好きと伝えれば、はなれられなくなりそうで、こわかったことも。 また、確かな思いだったのだけれど。 声も無く、音も無く、マルスはただ静かに泣き続ける。 その涙が止まるまで、最後の雪は止むことは無かった。 |
空気を読まずにリンクとピカチュウがいるのは、
王子を一人にさせるのが嫌だったからなんですが……。
どれだけ言葉を交わしても、伝えきれませんね。
いちばん言いたいことは、いつだって。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。