○ はさみのきもち・デラックス ○



窓から差し込むやわらかな陽がフローリングの床を暖める午後三時、
リビングにはソファーで本を読むマルスと、その近くにロイとアイクがいた。
顔を突き合わせれば口喧嘩を始める二人だが、何だかんだでいつも一緒にいるので、
意外と仲は良いのかなと、マルスはほんのちょっぴり嬉しくなる。
本当のところを言えば、二人がいつも一緒にいるのはマルスがそこにいるからであり、
つまりはお互いがお互いを監視しているだけの、危険極まりない話なのだが。

二人に向けていた視線を手元の本に戻そうとしたマルスは、ふと、
自分の頬の横に、髪が下りてきたのが気になった。
空とも海とも違い、かつそうそう滅多に見ることの無い不思議な色合いの青を見つめ、
マルスはぽつりと口にする。

「……髪、切ろうかな」
「……?」
「髪? ああ……、」

それは、ほとんど無意識、他人に聞かせるように言ったわけでは無かったのだが、
呟きはロイとアイクの耳に拾われ、その意識をマルスに向けさせた。
珍しく歴史書などに目を通していたロイは、本を置き、マルスの隣へやってくる。
さわり心地の良いさらさらの髪に指を通しながら、続けた。

「そういや、けっこう伸びてきたよな。前髪は切ってんだっけ?」
「ああ。邪魔になるからな。
 だけど、そういえば、他のところは最近切ってなかったな……」
「その長いのも、かわいいと思うけどなあ」
「……。男に、かわいい、なんて言って、楽しいか?」

いつもの軽口……ロイに言わせれば、愛の告白である……を軽く流して、
マルスは深く溜息を吐いた。
自分の髪を軽く引っ張り、何事か考えながら、視線を辺りに彷徨わせる。

細かな傷が残る己の手を映し、ロイの楽しそうな顔を映し、やがてマルスの藍色の瞳は、
自分の膝に肘をついてぼんやりとマルスを見つめているアイクを捉えた。

「ねえ。アイク」
「……ん? 何だ?」

呼ばれたままに返事をするアイクに、マルスはふんわりと微笑みかける。

「アイクがよければ、でいいんだけど……。
 ……僕の髪、今から、アイクが切ってくれないか?」

マルスはさらりと、しかし真剣に、そんなことを言った。

三人の間……というよりはロイとアイクの間に、一瞬、妙な間が流れる。
そして、

「わかった。引き受けよう」
「駄目だ! 絶対反対ッ!」

若干嬉しそうにアイクが答えたのと、鬼のような形相でロイが反対するのは、
ほぼ同時だった。

ばんっ! とテーブルを叩いたロイの勢いに、マルスはびっくり顔で振り返る。

「ロ、ロイ? 何……」
「マルスの髪いつも切ってたのは俺だろ!? じゃあ今回も俺でいいじゃねえか!」
「マルスは俺に頼んだんだ。なら、俺がやるべきだろう」

子犬のように吠えたてるロイに、アイクは冷静に抗議する。
よく見ると、冷静なのは声だけで、顔の方は珍しいことにかなり不機嫌そうだったのだが、
マルスはそんなことには気づかなかった。

ロイはアイクに突っかかるよりも先に、マルスの肩を掴んで迫る。
少年らしい発展途上の手が華奢な肩に触れた瞬間、アイクの眉間の皺が一本増えたが、
マルスはやっぱり、そんなことには気づかなかった。

「何でだよマルス!? 何で今回に限ってあいつなんだよ!」
「え、あ……。いや、だから……いつもお前に頼むから、悪いかと思って」
「俺はマルスのためならいつでも全然オッケーなのに!」
「……でも、やっぱり」
「第一あいつ不器用そうだし! 迷子だし!」
「この間、自分で、自分の髪を切ってたよ。不器用では無いと思うけど……」
「…………。」

迷子、に何も言わないマルスに、特に悪気は無い。ただの天然だ。そのとおりなのだから。
自分の凄まじい方向音痴は今更否定する気も無いが、ロイに言われるのは癪だったらしい。
アイクは不機嫌顔のまま、大股で二人の近くまで寄ると、
後ろからロイの首根っこを掴み、腕力に任せてひょいと持ち上げた。

「っえ、うおわぁあっ!?」
「……言ったな」

ぼそっと呟くように、しかし確実に聞かせるために発せられた低音には殺気が見られるが、
マルスはのんびりと、ああ、アイクは力持ちだな、などと言っている。

「こんな有様で、よくでかい口が叩けたもんだな。……小さいくせに。」

手足をばたつかせて抵抗するロイを睨みつけながら、アイクは真正面から喧嘩を売った。

「ッるっせえぇぇーーーー! 身長は男のデカさには関係無ぇよッ!」
「フン、これでは何を言っても様にならんな。ガキ」
「言うほどガキじゃねえよ! つーか、てめーとそう変わんねーよ!
 っの老け顔! お前なんかに、マルスのあの綺麗な髪をまかせてたまるか!」
「彼女の美貌を損なうようなことを、俺がするはずないだろう」
「気持ちの問題じゃ無くて技術の問題だ!
 気持ちで全部上手くいくなら、リンクはピカチュウのために料理が出来るはずだろ!」

そもそもマルスは“彼女”ではないが、そこには誰も突っ込まない。

「髪を切ればいいんだろう。なら、なんとかなる」
「ただの髪じゃねーんだ! マルスの髪だぞ! 他でもないマルスの!
 てめーみたいに適当にザクザクやりゃあいいわけじゃねーんだよ!」
「……ロイ。僕はそれで構わないんだけど、」
「駄目だ!」
「それには俺も反対だ。あんたに合うようにする。任せてくれ」
「だからてめーにはやらせねえっつってんだろ!」
「いいや。マルスがそう言ったんだ。だから、俺がやる」
「…………はあ」

まったく埒の明かない二人に、マルスはひっそりと溜息を吐いた。
たかがこんなことで何をもめているんだか、と思うマルスには、
二人の少年らしい意地や、迷路みたいな恋心なんか、まるで理解が出来ない。

自分の髪を引っ張って、まじまじと見つめてみる。
ロイとアイクはあれこれと言っているが、マルス自身はやはり、何の感慨も抱かない。
ありふれた色では無いだけの、ただの髪だ。

「……もう、自分で切っちゃおうか」

ずっと前のことだ。こう言ったら、ロイが、あんたは不器用だからって大反対したから。
だからずっと彼に切ってもらっていただけだ。

なつかしいことを思い出しながら、マルスはもう一度溜息を吐いた。

そのとき。

「……ああ、何だ。うるせえなと思ったら、やっぱりこいつらかよ」
「? ……ああ、ピット。おかえりなさい」

ドアが開いて、ピットが翼を揺らせながらリビングに入ってきた。
その腕には、小さな紙袋が抱えられている。
気づいて振り向いたマルスの、おかえりなさい、という言葉はそのとおりで、
ピットは今まで、珍しく、買い物に行っていたのである。紙袋はその成果だろう。
何を「買い物」に行っていたのか、マルスはまったく知らないが。

マルスが腰掛けているソファーの背凭れに寄りかかり、
ピットはこちらに気づかない、ロイとアイクに目を向ける。

「今度は何言ったんだ? 王子様。どうせ、お前が何か言ったんだろ?」
「……別に……」

相変わらず、ピットはお見通しである。
ピカチュウと仲が良いだけあるというか、何と言うか。
マルスはほんのちょっぴり拗ねた顔で、あまり面白くはなさそうに、ぽつりと答えた。

「……髪を、切ろうかと思って……アイクに頼んだら、ロイが反対して……」
「髪? ああ、なるほどな。そりゃあ喧嘩にもなるだろ。
 ……ってーか、切んのかよ? もったいねえな。せっかく綺麗なのに」
「……お前もか……。男にそんなこと言って、楽しいか?」

さっきも聞いたような気がする台詞に、さっきと同じ言葉で返すと、
ピットは大きな目を瞬かせた。
喉の奥でおかしそうに笑いながら、キッパリと言う。

「ああ、楽しいぜ。
 俺は綺麗なものが好きだからな。俺って素直だろ?」
「…………。……っ」

あんまりにも、直球な言葉だったから。
マルスは思わず、言葉を失った。

「……っと、」
「……え……、……っ?」
「ちょっとだけ、じっとしてろよ。動くなよ」

ふいに髪に指を入れられ、マルスはびく、と肩を竦めた。
言葉通り、動かずにじっとしてみるが、何だか居た堪れないし、微妙にくすぐったい。
ちらりと横目で見てみれば、ピットは実に楽しそうに、髪を弄り倒している。
当然マルスからは、何をしているのか見えないのだけれど。

ピットは抱えていた紙袋から、細い銀色のリボンを取り出した。
さくさくと手早く、ピットはマルスの髪にそれを編み込んでいく。
やがて。

「はい、完成」
「……あ……」

ピットが手を離すと、マルスの頭の左側、少し上の場所には。
リボンが編み込まれた、小さなみつあみが出来ていた。
ついでと言わんばかりに挿された淡い桃色の花飾りが、ふわりと揺れる。

そこでようやくロイとアイクが、マルスの髪の小さな変化に気づいた。
あどけない顔でただ驚いている、どこか子供じみたマルスの表情に、
二人は思わず、声も無く見惚れる。

「似合うぜ。
 ピカチュウにやるつもりだったんだけど、進呈するよ。王子様」
「……ピット」

にっこりと笑うピットを、マルスはじっと見つめる。

……そして。

「……知らなかった。手先、器用なんだな」
「ん? ああ、まあな。何かを飾るには必須だろ?」
「…………。って!」
「おい、マルス……!」

きらきら、瞳を期待にかがやかせるマルスに、ロイとアイクがはたと気づく。
が、気づいたときにはもう遅く、マルスはピットに、にこやかに微笑んでいた。

「よければ、ピットが、髪、切ってくれないか?」
「ん? やっぱ切りたいのか?」
「ああ。これは、すごいとは思うんだけど……やっぱり恥ずかしくて。
 ……だめ、か?」
「いいや? 王子様の頼みなら聞いてやるよ。もったいねえけどな。
 すぐがいいのか?」
「うん。できれば、すぐに」
「そっか。じゃあ、庭に行こうか。待ってろ、はさみ持ってくるから」
「ああ」

マルスの頭を撫でるピットは、実に楽しそうだ。
呆然としているロイとアイクをよそに、マルスは嬉しそうに微笑む。

「ありがとう。じゃあ、待ってるから」

軽い足取りで庭へと出て行くマルスを、ピットはひらひらと手を振って見送った。
やわらかな陽射しにうっとりと目を細める姿は、なんだかとても綺麗で。
やがて、
暖かい空気に満たされた午後三時過ぎのリビングに、
ようやく床に下ろされたロイと、わかりづらいが驚愕がかろうじて見て取れるアイクと、
子供みたいに笑うピットが残される。

「…………っおいそこのクソ天使! てめえっ……!」
「…………。……俺の邪魔をするつもりか?」
「はははは! ばっかだな、お前ら。言う相手が違うんじゃねえの?」

二人はようやくピットに口を利いたが、ピットは今更、痛くもなんとも無かった。
くく、と喉の奥からこぼれる笑い声に顔を顰められても、楽しそうな顔をするだけ。
意地悪そうに口の端を吊り上げて、ひらりと翼を返し、歩き出す。

「まあ、今回は俺の勝ちだな。
 お前らもせいぜい頑張れよ。じゃあな!」
「おい、待て……!」
「話はまだ終わってねえぞ! おいこらーーー!」

負け惜しみのような声が、リビングに響く。
今更、毒にも薬にもならないのに、いつまでも。

その後。
頭が軽くなって嬉しそうなマルスに、ピットは上機嫌だったが、
ロイとアイクはいつまでも、怪訝そうな目を二人に向けていた。




メンバー的にはXですが、タイトルはデラックス。
はじめロイマルで書き始めたらぐだぐだしてピトマルに……なんでだろう。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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