* たんぽぽ *
「……っくそ。いい加減にしろ、こいつ……」
春の陽光にあたためられた旧館のリビングの床に胡坐をかいた格好で、ウルフはそうひとりごちた。
目の前の大きな窓ガラスの向こうには、緑の絨毯が広がっている。
重要なのはそこではなく、気になるのは、その場で行われているピットとメタナイトの手合わせだ。
普段滅多に武器を取らないピットが、どんな気まぐれを起こしたのか知らないが、
今日に限って、メタナイトの誘いに乗ったのだ。いつもは、面倒だ何だと、すぐかわすくせに。
ウルフは溜息をひとつ吐いて、仕方無く再び、二人の戦闘に目を向けた。
猛烈なスピードで刃を振るう二人の戦場は大地に留まらず、すぐに空中へと変わってゆく。
こうして見れば、メタナイトはもちろんのこと、ピットも相当な実力者だ。
なぜいつもは手合いを避けているのだろうか。
この世界に集ったものは皆、己の腕を磨くために、日々戦いを重ねていると言うのに。
自分自身も、もちろんのこと。
ああ、珍しいことなのに。強者と手合わせをする、せっかくの機会なのに。
ウルフは忌々しげに舌打ちする。
立ち上がり、窓ガラスを開ければ、その場に混ざることができるのに、ウルフは動けない。
なぜ動けないかと言えば、
胡坐をかいた、その足の上で。なぜか、ピカチュウが眠っているからだ。
「……畜生。いつになったら起きやがる……」
若干殺気立った低音でぽつりと呟いても、ピカチュウはぴくりとも動かない。
ふかふかの黄色いからだをまるくたたんで、すやすやと。
春の陽光をいっぱいにあびて、実に気持ちよさそうに眠っている。
事の発端は、なんでも無いと言えば、特になんでも無いことだ。
ほんのニ、三十分前のことだ。
リビングに来てみたら、庭で手合いをしている例の二人を見つけて。
面白そうになっているから、自分も混ぜてもらおうと思って。
庭へと続く窓の手前で、腰を下ろして待っていた。それがいけなかったのかもしれない。
今思えば。
その少し後、後ろからひょっこりと、ピカチュウがやってきた。
最近、やたらと自分の後をついてくる。一体、何がお気に召したのか知らないが。
ウルフさんそこ座っていい? と訊かれ、なんとなく了承してしまった。
ああ、そもそも、何で了承なんかしたんだろうか。それがいけなかったのかもしれない。
今更後悔しても、もう遅い。
気づけばピカチュウは、自分の足の上で、ぐっすりと眠っていた。
してやられた、としか、言いようもなかった。
「…………おい。起きろ」
どうせ起きないとは思うが、一応、脅すように言ってみる。
ピカチュウはやっぱり起きなかった。
外からは、まだ二人の剣戟が聞こえてくる。
「…………」
というか、起きろと言うより前に、無理矢理立ち上がればいいだけの話である。
自分の足の上ですっかり熟睡しているこの生き物は、身動きが出来ないほど重くは無い。
立ち上がれば起きるだろうし、起きなくても、落とすことは可能だろう。
そこまで考えは及んでいるのに、 ウルフはなぜか、実行することは出来なかった。
何でだろうと、ウルフは考える。
面倒くさい? と、いうことも無いだろう。目の前に、目的の場所があるというのに。
第一、立ち上がるくらい、すぐに出来ることだ。
それともまさか、自分も眠いのか? そんなわけも無い。眠気などはまったく無い。
ならば、何だろう。いつのまにかウルフは、ピカチュウをじっと見つめている。
少なくとも自分は、ためらっているのだ。
何を、って、この目の前のいきものを起こすのを。
ならば、それはなぜだろう。ウルフは更に考える。
起こすのが、かわいそう?
もっと、寝かせておいてやりたい?
願わくは、どうか、このままで。
「………………………………」
まさか。
まさかとは思うが。
愛着。と、言うわけでも無いが、多少なりの、好意を。
抱いているとでもいうのだろうか。
宇宙の悪党と呼ばれた自分が、
こんな、ちいさな、ふかふかな、まるいいきものに!
「……っんなわけ……!」
「……あ。何だ、こんなところにいたのか」
「ッ、!?」
ドアの開く音、突然背後から聞こえた声に、ウルフは勢い良く振り向いた。
「……チッ。何だ、てめえか」
「はあ……。どうも、こんにちは」
そこにいたのは、緑の帽子に緑の衣、太陽みたいな金色の髪の持ち主。
少しびっくり顔でウルフを見下ろす、リンクと呼ばれる青年だった。
当たり前の日常として認識できるくらい、いつもピカチュウと一緒にいる。
リンクはウルフの状況を見て、困ったように頭を掻いた。
空色の瞳が泳いだ後で、青年は困り顔のまま、ウルフに言う。
「あの。ウルフさん」
「あぁ? ンだよ」
「ええと、……今の状況は」
「見た通りだ。迷惑してんだよ、こっちは」
ろくに視線も合わさず、思いきり悪態をついてみる。
が、特に驚きも怯えも見せず、リンクは続けた。
「オレは、ピカチュウを探しにきたんですけど……」
「なら、さっさと持って行け」
「んー……でも、起こしたくないんですけど……」
「……ぁあ?」
何だ、それは。どういう意味だ。まさか、このままの状態でいろと言うのか。
「せっかく、気持ち良さそうに寝てるし。
……というわけなんで、もう少しそのままでいさせてやってくれませんか?」
「なめてんのか、てめえ。そんなの断るに決まって、」
「でも、起こさなかったんでしょう。ウルフさんは」
リンクは困ったように笑って、そんなことをさらりと言った。
きっと悪気も悪意も無いのだろう、だけどその言葉は的確に、ウルフの痛いところを突いた。
ウルフは思わず反論に詰まる。
それを見て、リンクはどこか楽しそうに笑った。
「せっかくウルフさんがそうしてくれてるのに、オレが起こすのもアレですし」
「何言ってやがる! いいから連れて行け!」
「いや……。オレも別に、大した用事があったわけじゃないんで」
「俺は迷惑してんだ!」
「ピカチュウが、初対面の人に懐くのって、けっこう珍しいんです。
だから、少しくらい良いじゃないですか。駄目ですか?」
「っ…………」
そりゃあ、確かに。最近ずっと、自分の後をついてくるとは思っていたけれど。
はじめは追い払っていたけれど。最近は、追い払うのすらやめていたけれど。
その結果が正に、この現状なのだけれど。
そこで返す言葉を見失ったのが、きっと、答えだったのだろう。
ウルフはそれきり、何も言わなくなって。
何とも形容し難い表情で押し黙るウルフの近くにしゃがみ、
リンクはピカチュウの背中を撫でた。
「じゃあ、後はお任せします。もし起きたら、出掛けたって伝えておいて下さい」
「……何で俺が」
「いや、だって、ここで寝てるんで。他にいないじゃないですか。
……じゃあな、ピカチュウ。また後で……」
微笑むリンクの大きな手が、ふわふわの小さな頭を撫でた、
その時。
「リンク!」
「!」
とがった耳が、ぴくんとはねる。がばっ、とからだを起こして。
ピカチュウが、文字通り、飛び起きた。
それまで、どれだけウルフが声をかけても、何を言っても、起きなかったくせに。
「…………」
「ピカチュウ」
「リンク。何かあったの?」
寝惚けるような様子も見せず、ピカチュウはじっとリンクを見つめている。
「ああ、いや。別に。いい天気だから、散歩に行こうと思ってさ。
お前もどうかなと思って、誘いに来たんだけど……」
「行く! あ、ありがとう、ウルフさん」
「……知んねぇよ。行くんなら、さっさと行け」
ウルフの言葉を待たず、ピカチュウはぴょんと跳ねてリンクの肩に飛び乗った。
そのまま肩から頭へのぼると、リンクとピカチュウは、顔を見合せてにっこり笑う。
ウルフはなぜかその瞬間、とても居た堪れなくなった。
二人から視線を外し、胡坐を掻いた姿勢のまま、軽く舌打ちをする。
なぜこんなに苛々するのか、ウルフにはわからない。
「じゃあ、ウルフさん。また夕飯のときに」
「ほんとにありがとう、ウルフさん! じゃあね、またね」
和やかに手を振って、二人はしゃべりながらリビングを出て行った。
「……………………」
あたたかい床。窓の外には、いつの間にか休憩しているピットとメタナイト。
リビングに一人残されたウルフは、動こうとしなかった。
ただそこに座り込んで、頭を抱えて。黙々と、考え込んでいる。
苛々した気持ちは、未だに晴れず、ここにある。
「……何だ?」
自分に向けた問い。当然、どこからも、答えはかえってこない。
「……何で……」
自分は何を、こんなに、不機嫌に思っているのだろう。
というよりも、これは、不機嫌と言うのだろうか。
「………………」
自分の時間と行動を邪魔していた、小さな生き物はいなくなった。
早くどけ、どっか行け、迷惑だと、あれほど思っていた。
それなのに。なのに、どうして、今……。
「………………ッンなわけねえだろうが!!」
ふと心を過った何かに、同時に頭をかすめた言葉に、ウルフは自分を怒鳴りつけて否定した。
思っていたよりも大声が出ていたらしい、ガラスの向こうでピットとメタナイトが振り返る。
しまった、と慌ててみてももう遅く、二人はじっとこちらを見ていた。
びっくり顔のままピットが腕を伸ばし、かららと音をたててガラス戸を開ける。
「……何だあ? どうしたんだよ、狼さん」
「何かあったのか? ウルフ殿」
「……っうるせえ! 何でもねえ、どっか行け!」
「うるさいのはそっちだろうが。偉そうに」
と、そんなことを言っているピットの方がよっぽど偉そうなのだが、
身の危険を感じたのか、メタナイトはつっこまなかった。
ウルフはようやく立ち上がり、ピットを睨みつけてガラスを閉め、そしてまた胡坐を掻く。
抗議の声が聞こえてきたが、聞こえなかったことにした。
「…………ッ」
ふと心を過った何か。同時に頭をかすめた言葉。
信じない。信じられるわけがない。
こんな自分が、あんなことを思うなんて、あるわけがない。
頭を抱えて、ウルフは必死で思いを振り払おうとする。
ピカチュウが自分の足の上で寝入った時、結局それを許していたこと。
そんな自分も、気に喰わないのだけれど。
もっと気に喰わないのは、その後のことだ。
あれほど自分にくっつきたがったくせに、あの緑の帽子の青年が現れたら、その瞬間、
あっさりとそちらに心を寄せた。
ああ、自分じゃなくたって、いいんじゃないか。
自分なんかよりも、そいつの方が。
それは、ほんの一瞬のことだったのだけれど。
そんなことを、考えた。
「……ンなわけねえ、絶対違う。絶対……、」
本当は、昼寝の場所に、自分の傍を選んでくれて、嬉しかった?
離れたとき、寂しかった?
もっと、一緒にいてもよかったのに なんて?
自分とも、あろうものが?
「……絶対違う!
……ックソ、何なんだ、これだから身体が鈍るとロクなことが無え……!」
ぶんぶんと頭を振って、ウルフは一つ、息を吐いた。
あたたかな陽の光が照らす床。ガラスの向こうには、手練れの戦士達。
一日、特にやることも無い。食事当番も、風呂掃除の当番も、今日は無い。
至ってのんきな、この毎日。
ああそうか、これは、平和ボケをしかかっているということだ。
本当にろくなことがない。
無理矢理そう考えて、ウルフはすっくと立ち上がった。
ここに来た当初の目的を、今日の予定を、きちんとこなすために。
庭に出ると、そこにはたんぽぽの花が咲いていた。
緑と黄色のコントラストが何かを思い出させようとしたけれど、
思い出せないふりをして、ごまかした。
両想いなのに片思い。 |