フ ェ イ ス ト ゥ フ ェ イ ス
「…………」
「…………」
遠くから、子供たちが庭を駆け回っている声が聞こえてくる。
冬に埋めた球根がつぼみをつけ、門を見守るように伸びる梅の花が開いた、季節は春の訪れ。
あたたかい陽に誘われて、子供たちはもちろんのこと、
今日は大人たちまでもが、庭に集まり談笑している。アフタヌーン・ティーの時間のようだ。
そんなことを言いながら、その場にはコーヒーもミルクもあるし、
なぜか昼間から酒をかっくらって、怒られているものもいるのだが。
青みを増した空には、雲ひとつ見えない。到底届かない高度を、白い鳥の群れが飛んでゆく。
そんな美しい季節なのに、穏やかな昼寝日和なのに。
「……………………」
「……………………」
アイクとマルスは、そこにいた。鍵をかけて閉め切った、部屋の中に。
ベッドに二人並んで腰掛けて、アイクはマルスの肩を抱いている。
二人の距離は、近すぎるほどに近い。額と額が触れ合いそうなくらい、側にある。
なぜか閉め忘れている窓から入った風が、二人の髪をかすめていった。
二人の間には、どういうわけか言葉が無い。お互いに見つめ合ったまま、唇を結んで。
マルスが時折視線を逸らしたり、そうでなくとも終始困惑気味の顔なので、
どうやら、言葉が無くても心はひとつ、というわけではなさそうだ。
二人はしばらく、そのまま黙っていた。子供たちの声が、風のように通り過ぎていく。
そして、
「……アイク」
「何だ?」
先に口を開いたのは、マルスの方だった。
まったく表情を変えることもなく、アイクは何の捻りも無い、短い返事をする。
その後が続かないことを知っていたから、マルスはおずおずと続けた。
「君も、僕も……、ピーチさんに呼ばれてるだろ? 行かなくて、いいのか?」
「そんなことは知っている。だから俺は、こうして待っているんだがな。
あんたの方こそ、まだ決心がつかないのか?」
「……それは……」
蒼色の瞳が、じい、と至近距離でマルスの深い藍色に訴える。マルスは思わず視線を外した。
手は腿の上でかたく握り締めたまま、困り果てたように溜息を吐く。
「……アイク。少し、冷静になろう」
「俺はいつも冷静だ」
それは嘘だな、という呟きは、心の中で留められた。
「……その……。おかしい……だろ?」
「別におかしいことは無いと思うが」
「……絶対おかしい」
「俺は、おかしいとは思わないがな。あんたの認識が、俺と違うだけだろう」
「……君の……、…………」
君のその認識が、世間一般的なものとずれていたら、どうするんだ。
そんな反論も、また、マルスの心の中で留められた。
アイクにとって重要なのは、自分が世界のどこにいるのか ではなく、
自分であるか自分でないか、そのただ一つだけであることを、十分に承知していたからだ。
「ん?」
「いや……、何でも……。……そんなことはいいから、アイク、」
「良くない。……はぐらかそうとしても無駄だぞ」
「……う……。」
マルスの目を覗き込みながら、アイクは、言う。
「目を瞑ってほしい、と言っているだけだろう。何でそんなに嫌がるんだ」
「……その後に君がすることを考えれば、当然だと思うけど……」
現在の膠着状態に陥る、少し前。
二人が並んで座り、ひとつの時間の共有に、ささやかな幸福を感じていたとき。
アイクは、マルスに、言ったのだ。とんでもなく、馬鹿正直に。
『キスをしたい』。だから、『目を瞑れ』 と。
いろんな意味でまったく素直では無いマルスが、そんな言葉を大人しく聞くわけが無く。
こんなことになっている、というわけである。
「まさか、初めて じゃないだろう。いくら何でも」
「……。君に答える筋合いは無い」
「……そう来たか。まあ、そんなことはどうでもいいが」
「じゃあ聞かなくてもいいじゃないか……」
「聞く意味はある。問題はそこじゃないからな」
もともとそんなに気の長い方では無い……赤髪の小さな剣士よりは遥かにマシだが……アイクは、
額がぶつかる距離から、真っ直ぐにマルスを見つめてきた。
アイクは、マルスが思わず、と言ったように目を逸らしたのには気づいたが、
マルスの白い頬に、僅かに赤みがさしたことには気づかなかった。
けっして逃がさないように、細い身体をつかまえて、アイクは詰めるように尋ねる。
「別に、怒ったりはせん。だから、正直に答えろ。……怖いのか?」
「……そういうわけじゃ、ない……」
「なら、何だ?」
「……何、が?」
「こんなに嫌がる理由だ。……、おい?」
ふと、アイクの声が一段下がった。怒っているわけではない、だがあからさまに不機嫌な。
マルスは理由を知っていた。
マルスはまだ、アイクから目を逸らしたままだ。アイクには理由がわからない。
「おい。どうしたんだ」
「……アイク。……やめようよ……」
「そういうことを言うなら、俺の目を見て言え」
「……」
「マルス」
「…………」
アイクの呼ぶ名前に反応したのか、腕を回した肩がぴくりとはねる。
「……。……まったく……頑固だな」
「……君に言われたくない……」
小さな子どものように俯くマルスに、アイクは溜息を吐いた。
埒が明かないな そう言って。
「……っ。……アイ、ク?」
「……誤解されていたら困る。だから、一応言うが……」
アイクはマルスの肩を撫で、そして背にも腕を回した。
肩口に唇を押しつけられて、マルスの身体がふるえる。
抱きしめられた背中。腕の中に大人しく収まったマルスは、
手のひらの居所に困りながら、耳元のアイクの声を聞く。
「別に、嫌なら嫌で良い」
「……?」
「嫌がるところを無理矢理、とまでは思わん。
……あんたを困らせたいわけじゃないんだ」
「……アイク」
ぎゅ、と腕に力を込めて、アイクは掠れた声で一言、すまん、と呟く。
何に対して謝っているのか、マルスにはよくわからなかった。
ただ、
「……違う。嫌……では、ないんだ」
誤解をしているのは、そっちの方だ 。
それを伝えなければならない気がして、マルスはそっとアイクの背に手を置いた。
「ごめん。違うんだ。確かに、困っては、いたんだけど……」
「……?」
遥か遠くに空の見える、冬の日だった。出会い頭にいきなり、剣を抜け、と言われたときも。
うっかり勝ってみたら、連日連戦、しつこいくらいに手合いを申し込まれたことも。
見た目以上の大食漢で、食事のたびに起こる乱闘を、なんとか宥めなければならないことも。
いつでも唐突で、しかも言葉が足りなくて、おまけに思い込みが激しくて。
自分とはあらゆることが違っていて。
ある日いきなり、好きだ、と、たった一言、告げられたときも。
本当に、困っては、いたのだけれど。
「……嫌なんじゃない。本当に、違う。
……誤解してるのは、君の方……」
「……おい?」
アイクが顔を上げた隙を見計らって、今度はマルスがアイクの肩に顔を埋める。
マルスの白い頬が、見てわかるほどに染まっていることに。
アイクは、ようやく気づいた。
「じゃあ、何だ?」
「……その……。……目を、まともに、合わせられないのは……。
……あんまり近くで見られると、胸が苦しいから。それと……」
遠くから、子供たちが庭を駆け回っている声が聞こえてくる。
気をつけなければ、そんなものに掻き消えてしまいそうなほどに。
マルスの声は、小さい。
「……目を……瞑った……。……自分の顔は、見えない、だろ?」
「……。まあ、そうだろうな?」
「そう。……だから……」
マルスはそこで一旦、言葉を切った。アイクは続きを待つ。
抱きしめながら見下ろすと、そこには、
ものすごく言いたくなさそうな、不本意そうな、悔しそうな、子供みたいな。
「僕は、自分の、目を瞑った顔なんか……知らないから。
僕の、知らないものを……アイクに、見られるのは……。
……………………恥ず、かしく、て……」
「…………っ……。」
口元で手を押さえていた。美しい藍色の瞳を飾る、長い睫毛が震えていた。
ものすごく言いたくなさそうな、不本意そうな、悔しそうな、子供みたいな。
見たこともない顔が、あった。
「……。マルス」
「え? ……え、アイ、ク?」
アイクは、こんなときでも相変わらずの仏頂面だった。
節くれ立った大きな手が、マルスの身体をシーツに優しく縫いとめる。
「あまり……そういう顔をするなよ」
「……そういう、顔?」
白波に散らばる青い髪。マルスはぼんやりとアイクを見上げている。
アイクの手はマルスの頬を撫で、輪郭をなぞり、そして顎を軽く掴んで、上げさせた。
短く刈った髪を上げているバンダナの裾が、マルスの頭の横に落ちる。
額と額、手と手と目と目。それどころか、吐息と吐息が触れ合いそうなくらいに。
二人はとても近いところに、いた。
「……我慢が出来なくなる」
「え……、アイ…………、」
マルスの言葉は、途中で止められた。
目の前の人の、存在に。
遠くから、子供たちが庭を駆け回っている声が聞こえてくる。
冬に埋めた球根がつぼみをつけ、門を見守るように伸びる梅の花が開いた、季節は春の訪れ。
あたたかい陽にあたためられた、世界は未だ、とてもあかるい。
閉め忘れた窓から入った風が、二人の肌を撫でていく。
春のにおいに伸ばした手は、やはり、同じ人によって止められた。
寸止めのえろさを追求してみました。うそです。団長が勝手をしました。
何か……大体こんな感じのが今後も続いていく予定です。これなんて少女漫画……。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。