「だからさ、」
何日前のことだったか。
基本的に、自分の愛しい恋人以外の事情はどうでもよさそうな少年が、
「たまには、誰かの世話焼くのやめて、のんびりしてきたら?」
そんな提案を、持ち出してきたのは。
それは、冬空を見上げながら歩いていた、寒い日のできごと。
神様
「……人間って、めんどくさいねえ」
「……それ、この日に言うことか?」
いつものように淡々と呟かれた台詞を拾って、リンクは苦笑した。
帽子を被ってこなかった頭の上で、ピカチュウはのんびりと辺りを見ている。
今いる場所は、中央区の公園だ。
人口的なオブジェが並ぶ銀色の公園は、今はライトアップキャンペーン中である。
要するに、今の季節に合わせた、金色のイルミネーション。
中央の広場には、大きなクリスマスツリーが飾ってある。
真っ白い木に、青の飾りが施された。
となれば当然、辺りには、若いカップルが当然のようにいるわけで 。
「お祭りのたびに一緒にいなくちゃいけないなんて、めんどくさくない?」
「……まあ、そりゃあ、少しは面倒かもしれないけど」
「お祭りじゃなくても、普段でも、楽しいものは楽しいと思うけどなあ……」
「何か、正当な理由がほしいんじゃないのか?
何て言うんだろう、その……、……ロマンチックに、なるための?」
そんな雰囲気に溶け込むように、リンクとピカチュウはそこにいる。
その場にいるカップル達は、基本的に二人の世界を作っているので、
一人と一匹がそこにいることを不信に思う人は誰もいない。
「……リンク、ろまんちっく、って言葉、似合わないよね……」
「……悪かったな。自覚してるよ、そんな哀れそうな目で見るな」
しみじみと言ったピカチュウには、しっかりとこんなつっこみをした。
『 ねえリンク、お散歩、行かない?』
昨日のパーティーの途中、ピカチュウは、こっそりとこんなことを言ってきた。
ああじゃあ行こうか、とすぐに返事をして、すぐ出ようとしたが、
昨日は屋敷を出る直前に、追加のおつかいを頼まれてしまったのだ。
酒と酒のつまみ! の、追加、と、ただ一言。
……酔った人間には逆らわない方が良いと、リンクは嫌というほど熟知している。
「……そうだ。ピカチュウ、行きたいとこ、あるんだろ」
「え? ああ、うん。そうそう」
そんなわけで、昨日の約束を、今日やり直している、というわけである。
パーティーは24日で終わり、今日は25日、世間的には“お祈りの日”だ。
「どこ、行くんだ?」
「えっとね、教会」
「……教会? ……それって 」
教会、と一言だけ告げた、ピカチュウの示した場所。
リンクの頭に疑問が浮かぶ。
それでも足は、ピカチュウを頭の上に乗せたまま、その場所に向かっていた。
街の最南端。
今はもう、誰もいない、置き去りにされた教会へ。
***
植物が根を張りかけた扉を開けて、リンクは中へ足を踏み入れた。
ギイィ、と、重い木が軋む音が、辺りに響き渡る。
埃だらけの床は、それでも想像していたよりはずっと綺麗だったが、
わざわざ好き好んで訪れる場所なのかと言えば、けっしてそうではない。
けれど。
「…………」
「…………」
教会、という、特別な空気だけは、まだ確実に、ここに残っていた。
一瞬、言葉を失うような、冷たくて重い、感覚は。
と言っても、リンクもピカチュウも、中に入ったのは初めてだったのだが。
「……まだ機能してたころ、ならともかく、」
「?」
「何で、ここに来よう、なんて思ったんだ?」
「んー……別に。ちょっと興味」
訊ねられて答えたピカチュウは、いつも通り淡々と返して、辺りを見渡した。
広い床、いくつも並んだ長い机のようなもの、隅には、埃と壁の屑を被ったオルガン。
オルガンに近づき、リンクは試しに鍵盤を叩いてみたが、
調律の狂った、濁ったような音しか出なかった。
一番奥の壁、そして天井を見上げる。
高い、薄汚れた天井。
そして、それだけは綺麗なままの、ステンドグラスがあった。
「リンクは、」
「?」
「かみさま、いたら嬉しい?」
「…………。……かみさま?」
頭の上から聞こえた声に、思わず訊き返すが、ピカチュウは天井を見上げて、
説明みたいなものは何も言わなかった。
「……そうだな。……いても、いなくても、困らないとは、思うけど」
「ふーん」
「何でもそうだけど、信じなくちゃ意味が無いもんな」
「そっか。じゃあ、信じないのか」
すっぱりと一言。
ふ、と笑って、リンクは答える。
ステンドグラスを見上げながら。
「ああ。信じないことにしてる」
「……そっか。……そうかもな」
「でも、どうして、そんなこと訊くんだ?」
「ん? うん……」
音の無い、ずっと昔の教会。
リンクとピカチュウは、そのずっと昔の姿を知っている。
この時期になると、誰かの歌声が聞こえた場所。
どんな歌だったかも、どんな声だったかも、もう覚えてはいない。
「……ここには、どんな、かみさまがいたのかな、と思って」
神様を示す印の無い教会。
二人はそれきり、少しの間、喋らなくなった。
「……何か、言いたいことでも、あったのか?」
「…………」
やがてリンクが、ふ、と呟く。ピカチュウは、高い天井を見上げたまま。
そして、静かに、その黒い瞳を閉じた。
「……うん。……ここには、どんな、かみさまが、いたのかな」
「さあ。どうだろうな」
「そうだね。……まあ、何でもいいけど。
いてもいなくても、信じなくても信じても、
お祈りだけはしていくから」
ただ、お祈りを聞いてるのが、本人だけかもしれないっていうのは、
ちょっと微妙だけどね。
ピカチュウは、いつも通り、淡々とこう言って。
教会から、人がいなくなったな、と気づいた日。
リンクは、思い出す。
確か、ピカチュウは、言っていた。
かみさま、ここからは、いなくなっちゃったのかな、と。
「『どこかのかみさま。お誕生日、おめでとう』」
少年のような、高い声。
「『もし、これから、いろんなことがあっても』、」
リンクは黙って、ピカチュウのお祈りを聞いている。
「『なーんにも手出ししなくていいから、できればずっと見ててください』。」
「…………。…………ピカチュウ……」
短い、ピカチュウのお祈りの、内容は。
遠い昔の約束だった。
これは、何も起こらない代わりに、何か起こっても、結果は変わらないということ。
「僕がこうしていられるのは、かみさまに頼った結果じゃないから」
「…………」
「だから、何かあっても、僕がどうにかする。決めたんだ」
「…………。……そっか」
ずっと昔、人がいなくなった教会に、かみさまはいるのだろうか。
ここは、かみさまにお祈りを捧げるところ。
今日は、かみさまにお祈りをする日。
かみさまというものが、いるのか、いないのかもわからない。
ただ、ピカチュウは、いるとは思っているのかもしれない、とリンクは思う。
何もすることはない、見ているだけのかみさま。
小さな親友は、それを願った。
これから何があっても、ただ、黙って見ていてほしいと。
「……それでいいのか?」
「んー?」
「普通、何か、もうちょっと、こう……」
「ああ。何かほしいとか、ああしてほしい、とか?」
「うん。そう。お前の歳なら、別にそれでも……」
今までの話を聞いて。
リンク的には、それが、一番自然な反応だったのだけれど。
「だって、別に僕、ほしいものないもん」
ピカチュウは、そう言った。
「僕は、リンクがいれば、それでいい」
「………………………………」
いつものように淡々と、ただ、真顔で、一言。
かみさまのいる、誰もいない、二人きりの教会で。
何と答えるべきなのか。
リンクの目が、宙を彷徨う。
「…………あの、」
「……リンク? どうしたの」
「…………いや、その……。……あの……」
「顔、赤いけど。熱?」
「…………いや…………」
「あ、もしかして寒いのか。ごめんね」
「…………。……えっと……」
「まあ、それでいいから。僕は」
指摘されるくらいに赤くなった顔を隠そうと、リンクは前髪を押さえるふりをする。
どこまでわかっているのか、それとも珍しく何もわかっていないのか、
ピカチュウは淡々と続けた。
「だから、かみさまに、何ももらわなくていいんだ。
見ててくれれば。安心だし」
「……安心?」
「安心でしょ。だって、」
近くにいるのか、遠くにいるのかさえわからない。
あいまいで不確かな何かを、この場所は忘れた。
信じなければいないことと同じなのなら、
信じれば、いることになるのかも、しれない。
「いつも、誰かが見てくれてる、って。
ひとりは嫌いだから、僕は好き」
「…………」
それも、どう言っても、ただの自己満足なのだけれど。
そう続けたピカチュウは、それでも何だか、楽しそうで。
高いところにあるステンドグラスは、まるで光を帯びているように、綺麗だった。
「 あ。本当に寒い気がする。そうか、だって冬だもんね。
ごめんね。一緒にきてくれて、ありがと」
帰り道。
暗い道を歩いているリンクの頭の上で、ピカチュウがそんなことを言う。
うん、とかああ、とか適当な返事をするリンクはどこか上の空で、
ピカチュウは小首をかしげた。
リンクは歩く時、何が起こってもいいように、辺りに意識を張り巡らせているのだが。
「……リンク? どうしたの? 滑って転ぶよ? ロイさんみたいに」
「……オレは……。……その、うまく言えないんだけど」
「え?」
顔を覗きこんだピカチュウに対して、リンクは急に言う。
言葉を選びながら、かなり話しにくそうに。
「……やっぱり、かみさまは、信じない……けど」
「……?」
「……だけど……、……何て言うんだ、……その」
だからこそ、本人にだけ、
本心とわかる。
「……お前のことは、……オレが、隣にいて……、……ひとりには、しないから」
「………………。」
いてもいなくても、信じると信じないとで、ほとんど同じ意味になる。
だから。
「……ありがと」
「……どういたしまして。」
もし、二人のための神様がいるのならば、
信じてもいいなと、そう思えた。
金色のイルミネーション。
どこかから、誰かの歌声。
それは、冬空を見上げながら歩いていた、寒い日のできごと。