「っ、痛っ……!」 「! ちょ、マルス、……本っ当、危ないわね。大丈夫?」 息の詰まるようなマルスの声を聞いて、ピーチは慌てて声をかける。 マルスの座るソファーに近寄って、手元を覗き込んでみると、 女の子視点から見ても腹が立つほど綺麗な、細くて白い、その指には、 真っ赤な血が、しっかりとにじんでいた。 小さな球を指の上に作っている血を、舌の先で舐め取るマルスに、 ピーチは呆れた顔をした。そして、言う。 「針、落とさなかった?」 「あ、はい。ちゃんと、ここにあります」 「そう。……ならいいけど」 気をつけてよね マルスは再び、目の前のことに集中し出した。 右手には針。傍らには、裁縫箱。長く伸びた糸が、針穴と裁縫箱を結んでいる。 そして、マルスの左手には、切り裂かれた形跡のある、紫色のマント。 マルスのものではない。……これは、ロイのものだ。 つまり。 今マルスがやっているのは、ロイのマントの修復作業。 そういうことだ。 「……、……。……あ」 「! 何っ、また怪我!?」 「……あ……。いえ、違います」 縫い目が少し曲がってしまって、と言うマルスは、真剣そのものだ。 何をそんなに熱心に、とピーチは思うが、口には出さない。 先程からもう、マルスは、両手合わせて七箇所以上の怪我をしている。 まったく慣れていない 見ていられない、とも言えない程に危なっかしかった。 あまり裁縫が上手いとは言えない、ピーチの目から見ても。 ゆっくり、ゆっくりと、不器用ながらに進んでゆく作業。 マルスは、時々何か、小さな失敗をした時に、小さな声を上げるくらいで、 他には何も喋らない。 まあ、真面目なのはいいことだけど、とピーチが溜息をついた時。 「終わりました?」 「ん? ああ、リンク……」 ひょい、と後ろから、誰かが声をかけてきた。 珍しく一人のようで、その頭の上に、ピカチュウはいない。 「まだみたいよ。ほら、あれ」 少し離れたところから、ピーチはマルスを指し示す。 じいぃっ、とマントを見つめながら、針と格闘しているマルス。 リンクはそれを見ると、仕方なさそうに溜息をついた。 どうせ聞こえないだろうが、一応声をひそめて、言う。 「……マントの傷くらい、オレが直す、って言ったんですけどね」 「そうねー。あんた、それなりの裁縫はできたわよね、確か」 「一応、冒険者ですからね、これでも」 「まあ、あんまり上手くはないけどね。その場しのぎ、程度で」 「はは……、……ええ、まあ。 本縫いは、オレに裁縫教えてくれた娘(こ)にしてもらってました」 どこか懐かしそうに言うリンク。 それを横目に見ながら、一つ息を吐き、ピーチはマルスの元へ再び寄った。 その斜め後ろを、リンクはついていく。 「……ふう……。」 「マルス」 「え? ……あ、ピーチさん……、……リンクも」 いくつめかの関門を突破したらしい、安心したように胸を撫で下ろしたところで、 ピーチはマルスに声をかけた。 針を持ったまま、こちらを向くマルスは、後ろのリンクにも気づいたらしい、 軽く手を上げて、いつもどおりの挨拶をする。 大したことはない刺し傷だらけの、白くて細い手。 リンクは呆れて、それを見る。 「……大丈夫か? その、怪我」 「え? ……ああ、うん。大丈夫、これくらい」 「だから、オレがやる、って言ったのに。 そのマントの傷、作ったの、オレなんだしさ」 「……うん、……でも……、」 昨日の手合いのことだ。 だからマントは外しておけばと言ったのに、まあいいから、と、 ロイは付けっぱなしにしていた。 文字通り、真剣勝負の、その途中で。 ロイはリンクの剣を避けたが、ロイのマントは避け切れてなくて。 だから言っただろ、と怒るリンクと、うるせぇ別にいいだろ、と逆ギレしたロイ。 ああやっぱりまだ子供なんだなあ、と、周りで見ていた大人達は、笑って。 昨日の光景を思い出したのだろうか、マルスはこっそりと、微笑む。 何故か、頬をほんのりと赤く染めながら。 そして。 ざっくり裂けたロイのマントを、乙女さながらに、ぎゅうっ、と抱きしめて。 「……ロイ、頑張ってるから……」 「「………………。」」 ……どうやらただのノロケだったようだ。 頭痛でも覚えたのか、リンクとピーチは、同時に溜息をつき、額に手をやる。 だから、これくらいは僕が、と、再び針と格闘し始めたマルスを見ながら、 ピーチはひっそりとリンクに囁いた。 「……あの子、キャラ変わったわよねぇ」 「……あー……。……そうですね、自覚ないみたいですけど」 「前はもっとクール系だったはずなのに」 「愛の力じゃないですか?」 「……それでいいの?」 「さあ……」 リンクとピーチの声には、まったくやる気が感じられない。 ようするに、かなりどうでもいい話だった。 ……まあ、表情が出ない、とか、とっつきにくい、よりはマシだと思うが。 しかし普段が、愛だの恋だのを感じさせない雰囲気を纏っているため、 ノロケの効果は倍増である。つまるところ、かなりうっとうしい。 けれど。 「……でも、まあ、幸せそうですよね。 それで、いいんじゃないですか?」 「……まあ、ね……。不幸そうにされるよりは、ね」 自分の“世界”のことでなど、微塵も感じさせない、今の姿。 剣の変わりに針を持って、敵の変わりに糸を手にかけるような。 比べるようなものではないが、うっとうしいとも思える、 そんな日常が、何より幸せなのだ、と。……そう、思おう。 「……愛の力、ねぇ」 「……何ですか?」 ぽつり、と呟くピーチに、苦笑しながら尋ねるリンク。 目の前で、慣れない裁縫をしているマルス。 不器用ながらも、手探りでも、誰かを頼ることもなく続ける作業。 「……まあ、あんな子だから、ロイも好きなんでしょうね、って」 「……そうですね。」 「……、……っ、つ……!!」 「!!」 「あっ、もう、またっ……!!」 痛みを訴える小さな声の後に、反射的に指を押さえる動作。 ああまた指を怪我したのだ、とすぐに理解した二人は、慌ててマルスを覗き込んだ。 「マルス! 大丈夫か!?」 「う……うん……、……だい、じょうぶ……」 どうやらかなり深く突き刺してしまったらしい。 大丈夫と言いながら、マルスはちょっぴり涙目になっている。 押さえた指から、血が滲んでいるのを見て、 ピーチは救急箱を取りに、身をひるがえした。 「ああもう、だから気をつけなさいって言ったじゃないのーっ!」 「大丈夫か? 針、中で折れたりしてないだろうな?」 「大丈夫、……刺しただけ、だから……。……あ、でも、」 指の痛みにまだ少し顔を引きつらせながら、マルスはふわり、と微笑む。 何が「でも」なのか、と、少し怖くなったリンクの心の中なんか知らずに、 マルスは次の瞬間、小さな声で、言った。 マルスに散々怪我をさせている、ロイのマントを握りしめて。 「終わった、……よ。……これ」 「……え……。」 終わった、と、そう言って、差し出されたマント。 差し出されたからといってどうすることもできないが、 とりあえずそちらに視線を落とす。 「…………」 リンクがつけた、ロイのマントの傷跡は、 きっちりとふさがれていた。 「…………。……いや、あの……。」 ようするに修復作業が終わったということをマルスは言いたいのだろうが、 そんな場合ではないような気が、しなくもない。 マルスの指からは、真っ赤な血がかなり滲んでいるし、 実はその血がさりげなく、マントを汚していたりするのだが。 自分の怪我よりも何よりも、修復作業を終えられたことが嬉しいらしい、 マルスはふんわりと笑って、リンクを見上げている。 実年齢よりもはるかに幼く見える、それはまるで子供のような笑顔。 「……そっか。良かったな」 「うん」 リンクはマルスに、苦笑しながら、そう言った。 そんな場合ではないことくらい、わかってはいたのだが。 「早く、届けてやれよ。喜ぶぞ」 「その前に、指! ほら、さっさと出して、まったくーっ」 「あ、はい……。……でも、これくらい、何とも」 「あんたに傷があると、ロイが怒るのよっっ!!」 バカップルも大概にしなさいよ、というピーチは、本気で怒ってはいない。 しかしマルスは、バカップル、という単語に、妙に反応して。 「なっ、……別に、僕は、そんなつもりじゃっ……」 「バカップル以外に何の言葉があるのよ!!」 顔を赤くして、急にわたわたと慌てだすマルス。 手馴れた動作で、マルスの怪我に絆創膏を貼る、ピーチ。 そんな二人のやりとりを見ながら笑うリンクは、 窓の外に、ふと、目をやった。 「……あ」 窓の外、中庭を突っ切って。 いつものマント姿ではない、ロイが走ってきているのが見えた。 ……というかこんなマルスは嫌です。 6月10日はロイマルの日、ということで(結局当日アップは叶いませんでしたが)、 どれだけ王子を乙女にできるか試してみましたがやめておけばよかったです。 普通、王子に、「乙女さながら」なんて、使わないよ……。 最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。 |