かがみの端で
「もったいないな」
昼下がり、ダークリンクの後ろを通りがかったエリウッドは、ぽつりと呟く。
それが自分にかけられた声だということに気づけたのは、随分と間が開いてからだったが、
ダークリンクは確かに、ゆっくりと振り向いた。
リビングの、座っているソファーの後ろ。にっこりと微笑んでいる、背の高い男性。
どこかで見たような、真っ赤な髪をしていた。
彼のようにはねまくっているのではなく、それなりに整えられてはいたが。
ダークリンクは、少し首を傾げる。
エリウッドのことは、知らなかったのだ。
「……誰、だ?」
「……ああ、これは失礼。私は、エリウッドと申します」
お見知りおきを、と、エリウッドは軽く会釈をする。
ダークリンクは、エリウッドをじっと見つめた。信用に値するのかどうか。
見極めているような目だ。
視線の意味を知ってか知らずか、エリウッドは微笑む。
ほんの少し、その距離を縮めながら。
「私は昨日、夜遅くに到着して、お前はその時、既に眠っていたんだ。
だから、お前と私は、初対面だということになるな」
「……この屋敷に、関係がある者なのか?」
「まあ、それなりには。
……不肖の息子の、父親だ」
それでは、わからない。
だが、エリウッドの見た目は、血縁関係をしっかりと証明する。
「……ろ、い……」
最近、ようやく覚えてきた名前を、ゆっくりと呟く。
エリウッドはふ、と笑い、その通りだよ、と、答えた。
ダークリンクは、じっと、エリウッドを見つめている。
「……」
「……? ……ダーク、でいいのかな。私の顔に、何かついているのか?」
「……何が、『もったいない』、んだ?」
「え?」
静かに聞こえた声に、一瞬、エリウッドは目を丸くする。
やがてそれが、自分が初めに発した台詞であると理解できたエリウッドは、
にっこりと笑った、さりげなくそちらに、目をやって。
「ああ、それはね、その、髪のことさ」
「……髪?」
「そんなに綺麗な色をしているのに、ばさばさだな、と思ってね」
「……色……」
肩より少し長めの、銀色の髪。手入れなんかはしない為に、かなり状態は悪い。
基本的には真っ直ぐだが、先はばらばらにはねているし、絡まったりもしている。
ダークリンクは、そんな髪を一房、無造作に引っ掴んだ。
ダークリンクの「元」である彼も、自分のことには相当無頓着だが、
そんな彼の「影」であるダークリンクもまた、自分のことには無頓着のようだ。
……もっとも彼の場合、ほとんどのものに対して、無頓着ではあるが。
そんなことはともあれ。
「……」
「そんなに引っ張ると、痛むぞ」
「……別に、」
こんなもの、どうでもいいが。
そう、視線で訴えるダークリンクの頭は、何かを思い出そうとしていた。
エリウッドの、息子のこと。
そういえば、彼はよく、あの青い色の王子のことを、綺麗だとか何とか、言っていた気がする。
その髪を、笑いながら、ゆっくりと撫でて。
それは血なのか、はたして根本的な性質なのか、
はたまたエリウッドの教育のたまものなのかどうかは知らないが、
何にしても、そんなところまで考えの及ぶダークリンクではなかった。
というかダークリンクの場合、親子の血の性質のことまで知っているのか、
そのへんが危うい。
自分の髪を掴んだまま、それをじっと見つめるダークリンク。
エリウッドは、子供を見るような穏やかな目で、くすくすと笑った。
「どうでもいいなんて、だから、もったいない、と言ったんだ」
「……」
「……そうだ、ダーク。今、お前は暇なのかな」
「……やることは、ない」
「そうか」
じゃあ、ちょっとそこで待っててくれないか。
ダークリンクにそう言ったエリウッドは、きちんと返事を聞いた後で、
リビングを出て行った。
特にやることもないダークリンクは、ソファーに座ったまま、言われたとおりに待つ。
足音がゆっくり遠ざかるのを、離れた場所に聞きながら。
やがて。
「待たせたな。……、……待っていてくれたんだな」
「……待てと言ったのは、お前だろう」
エリウッドは、その手に、細かい毛のブラシと手鏡とを持って、帰ってきた。
相変わらず、エリウッドは、ダークリンクの言うことに、のんびりと笑う。
手鏡はソファーの背もたれに斜めに乗せて、ブラシは右手に持っていた。
「そういう意味ではなくてね。……まあ、いいんだ」
「……そうか」
「そうさ。……では、そのままでいいから」
再びダークリンクの後ろに立つエリウッド。
そのままでいい、と言われたが、どういう意味なのだろう。
ぼんやりと考えている最中(さなか)、ふいに、髪に、何かが触れた。
あたたかい、……大きな、手だ。
「……」
「折角だから、梳いてみるのもいいだろう。
自分じゃあ、しないみないだからな」
「……する必要があるのか?」
「必要はないが、喜ぶ人間はいるかもしれないぞ」
「……よろこぶ、」
「お前が、そういったことに興味を示さないのは、聞いたけどな」
左手は、ダークリンクの髪にやさしく触れたまま、
右手で、エリウッドは、銀色の、長めの髪を丁寧に梳く。
必然的に、前を向かされたままであるために、
ダークリンクからは、エリウッドの表情も何もかも、まったく見えないが。
「……そうだな、ピーチ嬢や、ピチュー辺りは、喜ぶかもしれないな。
好きな人間が綺麗にしてあるというのは、それなりには嬉しいだろう」
「……すき……、?」
「わからないなら、わからないままで、いいよ」
感情が、無い。
……正しくは、感情を、知らない。
でも。
なんだろう。
ダークリンクは、自分の胸の辺りを、そっと押さえる。
やがて、だいぶ時間が経った後で、
ふわりと、髪から、あたたかさが離れていった。
「……?」
「できたぞ。……そのくらいの長さなら、結わなくてもいいだろう」
振り向いた先で、エリウッドは微笑んでいる。
我ながら、良い出来だ、とかなんとか言いながら。
少し困惑していると、エリウッドはさりげなく、ダークリンクに手鏡をよこした。
鏡の中を、ダークリンクはそっと覗く。
ろくに手入れもせず、ばらばらで、ばさばさだった髪は、綺麗に整えてあった。
真っ直ぐで、先もきちんと揃っているし、当然、絡まったりもしていない。
元の、銀色のひかえめなかがやきを取り戻して、鏡の中に、きちんと、あった。
「……、」
「お前が邪魔だと言うのなら、結ってもいいんだけどな。
……それにしても、長さが随分とまちまちだが、もしかして、自分で適当に切ったのか?」
「……あ……、」
鏡の中から、エリウッドに、ダークリンクは視線を戻す。やや、不安気に。
確かに、ダークリンクは一度、自分で髪を切った。
よみがえったばかりのころ、ダークリンクの髪は、足先よりもずっと長くて、
それが邪魔で、だから、適当に切った。……もちろん、剣、で。
今までそのことを、気にかけたこともなかったのに。
ダークリンクは、何故か今、そのことに、申し訳なさ、みたいなのを抱いているように見えた。
その気持ちを、おそらくは自分でもわかっていない。
エリウッドは、ダークリンクの心の中を的確に読み取って、ふ、と笑う。
「咎めているわけではないよ」
「……」
「ちょっと気になっただけさ。……誤解させたようで、すまなかったな。
……それで、ダーク。私の仕事は、気に入ってもらえたのかな」
「……」
肩に流れてきた銀色の髪に、ダークリンクはそっと触れる。
綺麗というものが、どういうものなのか、いまだに全てはわからないが、
確かに今、この髪は、いつもとは違う。
だけど。
そうじゃない。
自分が気になるのは、この髪のことではなくて、もっと、別の。
ダークリンクは、そっと口を開く。
「……明日……、」
「?」
自分でも、何を言いたいのか、よくわからなかった。
「……お前、の、ところに行けば……。
……明日も、こんなふうに、してもらえるのか?」
「……え……。」
不覚にも。
まさにそんな風に、虚を突かれた。エリウッドは、再び目を丸くする。
いつもは真っ直ぐにこちらを見たまま話すダークリンクの視線は、
今は、あさっての方向を向いていた。フローリングの床の板目を追う。
エリウッドが、優しく微笑む。
そっと伸ばした手は、再びダークリンクの、銀色の髪に下りて、
それとほぼ同時に、ダークリンクの視線は、その手に向かった。
エリウッドが、ゆっくりと髪を撫でるのを、じっと見ていた。
「ああ。もちろんさ。……私がここにいる間は、いつでもそうしよう」
「……、」
「迷惑ではないし、どうでもよくもない。嬉しいよ」
「……嬉しい……、」
そう呟いて、視線を下に向けたダークリンクに、エリウッドは声をたてて笑った。
身をかがめて、こつん、と、額を合わせる。吐息がわかる近さ。
ダークリンクは、顔を上げた。
「……」
「いつでもおいで。……待ってるよ」
「……。……ああ、」
こくん、とダークリンクが頷いたのに、満足した様子で、
エリウッドは、ダークリンクから離れた。
それじゃあな、と、軽く手を振って、エリウッドはリビングから出て行く。
ブラシと、手鏡とを、ちゃんと持って。
「……」
ダークリンクは、そっと、髪に触れる。
エリウッドが撫でていた辺りを。
大きな手のあたたかさは、まだ、消えてはいなかった。
それが妙に、心を掻き乱す。
「……、」
胸の奥で、何かざわついた気がしたが、ダークリンクには、まだ、それはわからない。
でも、いつか。
また、ずっと時間が経てば。いろいろなことを知っていけば、いつかきっと、
わかるようになる、……かも、しれない。
何にしても、ダークリンクは、今。
あの、大きな手のあたたかさに触れて、
もう一度、とも思った。
今はそれだけでいいのではないだろうか。
……そう、心のどこかで思っていることも、ダークリンクには、わからなかった。
これも以前、日記にちょいと載せていたものです。
何でこんなもの書いたかって、ほんの遊び心だったのですが、
うっかり「いいかも……」とか思った自分は心底大馬鹿です。
何て言うか、いけないお兄さんと少女って感じ(……)。
阿呆ですみません……。
年下攻めばっかり書いてると、時々は逆も書きたくなるんです(リンピカはノーカウント)。
読んでいただいた方、ありがとうございました。