人は何故、美しすぎるものを見ると、「悲しいくらい」、と言うのだろう。
それはきっと、その美しさが、この世のものとは思えないから、
自分達とは違う、異端だ、という印象ばかりが、強くなるからなのだろう。



     * 月に願いを * * *



月が、妙に目立つ。

雲ひとつ無い空は、辺りに高い建物の無いこの場所では、
随分と広く、遠く見える。
黒より淡い青で塗りつぶされたその空には、小さな星たちを押しのけて、
月がひとつ、ぽっかりと浮かんでいた。

「……ぴちゅ……」
「……?」

ふいに聞きなれた声が聞こえて、屋敷の庭で、月を眺めていたマルスは、
ゆっくりと、振り向いた。
肩にかけた、薄手のブランケットを落とさないように、そっと裾を引っ張りながら。

大きな窓を細く開いた、そこには、推測通り、ピチューがいた。
大きな瞳で、じっとこちらを見ている。

「……マルスおにーたん」
「……ピチュー。……どうしたんだ?」

子供が起きている時間じゃないよ、と、マルスは微笑む。
とことこと歩き、ピチューは、マルスの隣で、ぴたりと止まった。
不思議そうな顔で、微笑んだままの、マルスをじっと見上げる。

「……おひるね、したでちゅ……」
「昼寝……。……そうか、それで、寝れなくなったのか」
「……ぴちゅ」

こくん、と頷いて。

「……マルスおにーたんも、おひるねでちゅ?」
「え?」

首を傾げて、尋ねた。
マルスは一瞬、驚いたような顔になる。
目を丸くしてピチューを見、そして、すぐにまた、微笑む。

「……違うけど、」
「ちがう……」
「うん。……月を見ていたんだ」
「……おつきさま? でちゅ?」

マルスの視線の先、ぽっかりと浮かんだ、月を見上げる。
真っ黒い空に浮かんだまるい月。

マルスが見ていたというそれを、ぼうっと眺めた。

耳に再び、マルスの声が届いて、月から視線をはずす。

「……何かの話に、」
「ぴちゅ?」
「……悲しいくらいに、月が綺麗だ、っていう、そんな箇所があってね……。
 ……綺麗すぎるものを、比喩した表現なんだろうけど……」

マルスの声は、ピチューの……人間のそれよりすぐれた、ポケモンの……聴覚だからこそ、
聞こえるくらいの大きさだった。
おそらくは、誰に聞かせるでもない、自分の思考をまとめるためだけの、
そんな呟きなのだろうが。

マルスの声は、染み入るように、ピチューに届く。夜の闇を越えて。

「……綺麗すぎるものが……自分とは違う、異端のものに見えるから……、
 ……だから、悲しい、のかな……。
 ……『綺麗』というのは、人が焦がれるものだと思ってたけど、」

悲しいくらい、というのは、
少し悲しいな。


……月を見上げて呟く、マルスの横顔は、ピチューから見て、ひどく綺麗に見えた。


「……」

もちろん、マルスの話が全て、ピチューにわかったはずはない。

でも、心のどこかで、なんとなく、わかったのかもしれなかった。
ピチューはその純粋な子供の心で、少なくとも、マルスを綺麗だと思っている。
それは、中性的な、整った顔立ちのことかもしれないし、
ピチューに投げかける声かもしれないし、
時折触れることのできる、マルスの心の中のことかもしれない。

「……マルスおにーたん、」
「……うん?」

マルスがもちろん、自分のことを思って、今の話をしたわけはないだろう。
彼は自分のことには、そんなに執着しない人だから。

綺麗なことが、異端であり、故に悲しいというのなら、
少なくとも、ピチューから見て綺麗に思える、この青い王子様は、どうなるのだろう。
異端だというなら、それは、
人から見て、恐れられるものであり、蔑まされるものであるはずだ。

美しいということが、同時に、蔑まされ、滅ぼされるものならば。

まだ寒い夜、
悲しいくらい綺麗な月の下に、
ただ一人で立っていた青い王子様は。

「……ピチュー、もう、寝た方がいいよ。
 ピカチュウに、怒られるぞ?」
「……ぴちゅ……」
「……どうしたんだ? そんな、……悲しそうな、顔、して……」

ピチューに全て、わかったはずがない。

でもきっと、子供の純粋な心だから、
言葉にできなくても、自覚しなくても、
ほんの少し、理解している。

「……だって……。」

マルスが、悲しげに微笑む。

その頼り無げな細い身体に、どれだけの重たい荷物を背負って。



   悲しいくらい、月の綺麗な夜に。





米倉千尋さんの「月に願いを」という歌を聴いて、どあーっとイメージが固まったものです。
悲しいくらい綺麗な月、というフレーズを聞いて、
そういえばよく悲しいくらいって聞くけど、あれって何で悲しいなんだろう、と思ったのです。

歌をイメージというよりは、曲をイメージといった方が正しいかもしれません。

また微妙な話を書いてしまいました……



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