幸せの証
「……んっ……」
暗闇の中の一角から、布の擦れ合う音がした。
後は、木製のベッドの軋む音と、熱に浮かされた甘い喘ぎ声。
青い髪を白いシーツの上に散らばせて。
必死で、与えられる感覚に耐えている。
「……ぁッ……、……ロイ……っ」
「……大丈夫そう? マルス」
マルスの身体に圧し掛かって、ロイが一応訊いた。
問われた本人はと言うと、頬を紅潮させ顔をそらせたままで、
ロイを横目で睨んでいた。
もっとも、状態が状態であるので、さっぱり怖くはないが。
むしろその表情は、ロイを煽るばかりで。
「……かわいーよな、マルスって……」
「……っ……、……な……にがッ……、……あ……ぁッ」
深く押し進めると、マルスの声が跳ねあがった。
背中に手をまわしてすがりつく彼の額に、自分の額を合わせると、
ロイはマルスを抱き返し、唇を重ねた。
そして、溺れていく。
******
カーテンを閉め忘れた窓から、朝の光が差し込んでくる。
肩にうずめた顔に、肩越しに光が差す。
その眩しさに、意識が少しずつ、ゆっくりと覚めていく。
マルスは薄く目を開くと、自分を抱きしめているロイの腕から抜けようと、
もぞもぞと身体を動かした。
しばらくするとロイの腕が、ずる、とずり落ちた。
マルスは一息つくと、身体をゆっくりと起こした。
……が。
「……ッ!!」
昨晩の行為の所為なのか、腰に痛みが走って。
その痛みに羞恥心を覚え、マルスは再びベッドに倒れこみ、
シーツに顔をうずめた。
横目で、まだぐっすり眠っている、ロイを盗み見る。
「……」
少年の幼さを残した、あどけない寝顔。
時々、思うことがあった。
どうして自分は、年下の しかも同性である少年に、
惹かれて、こんな関係になって、こんな行為を許してしまっているのだろう。
考え始めると止まらない。
マルスはしばらくボーッとロイを見ていると、思い立ったように起き上がった。
ベッドから降りて、脱がされたままだったパジャマを羽織る。
そして、着替えを手に抱えて、静かに、部屋を出ていった。
向かった先は、一階の角にある、呼び名大浴場。
一応各階に、一般家庭の大きさの風呂はついている。
既に誰の提案だったかは定かではないが、
一階にだけは、それこそどこかの旅館のような、広い風呂がついていた。
……いや、さすがにあそこまで広くはないが。
一人でいるには、広すぎる浴場。
脱衣所でパジャマをばさばさと脱ぎ、脱いだものは洗濯カゴへ。
これが決まりだ。
「……大変……だよな、……洗濯係って」
20何人分の大量の洗濯物の入った洗濯カゴを見て、マルスがしみじみと言った。
その足で浴場へと向かう。
湿った空気。
水の滴る音。
軽く身体を流した後、広い湯舟に静かに身体を沈めると、縁に寄りかかり、
その藍色の瞳を閉じた。
冷めていない残り湯が、心地よい。
滴る水の音が、遠くに感じられた。
「……ルス……、おい、マルス?」
「……ん……、……?」
肩を、軽く揺すられている。
それに気づいたのとほぼ同時に、マルスは、ふ、と目を開けた。
左を向く。
「……。……ロ……、イ……?」
「どうしたんだよ? ……まだ眠いんなら寝てればいいのに」
「……」
微笑んでいるロイを見て、マルスは辺りをぼんやりと見回した。
残り湯から立ち上る白い湯気が、窓ガラスを曇らせていた。
そして隣には、赤い髪を湿らせ、少しその髪型が大人しくなっている、ロイと。
「……寝てた……のか……?」
「うん、ぐっすりと」
「……あぁ……、……そう、……か……」
にこにこと笑いながら、ロイがじぃっとマルスを見つめる。
双方共に黙り、辺りが沈黙に包まれる。
しばらくすると、
「……っ、何でお前がここにいるんだ、ロイっ!!」
マルスが左隣でのんびりと湯に浸かっている、ロイを見て言った。
当のロイはしれっと一言、
「何って、起きたらマルスいなかったから、ここかなぁと思って。
ついでに朝ブロでもと」
「……」
そう言い、足をゆっくりと伸ばした。
腕を後ろに組んで、気持ち良さそうに、はーあったかい、と呟く。
それを見て、
自分が相手をやたらと意識しているのが、何だか馬鹿らしく感じた。
ふぅ、と溜息をつく。
その溜息さえ、響いた。
同じようにマルスは足を伸ばす。手でお湯を掬い、すぐそれを落とした。
特に目的があってやる行動では無い。
暇だから、なんとなく。
しばらくそれを繰り返す。
すっかり温まり、赤みを帯びた指先を見つめ、マルスはまた息を吐いた。
それを、ロイが横目で見ている。
ふ、と表情がゆるんだ。
ロイが微笑んだのに気づき、視線だけで彼を見る。
「どうした?」
「ん? ……あぁいや、別に?」
にこっと微笑む。
するとロイは、右手で身体を支え、
左手の指先を、マルスの鎖骨の辺りにそっと這わせた。
「……っ!」
マルスの身体がぴく、と跳ね、藍色の目が大きく見開かれる。
細い首筋から鎖骨へ、つ、と指で伝った。
「な、何するっ……」
「……いや、……綺麗だなーっと思って」
「……何がだ」
「何がって、これ」
指で、それを示す。
訝って、指で示された場所を見ると、それは。
「……!! ……なっ……!!」
白い肌に鮮明に残っている、紅い痕。
花びらのように、散って。
ロイが、イタズラめいた顔で笑う。
マルスは思わずその手を、水音と一緒に払った。
「わっ! ……な、何すんだよマルス、急に」
「それはこっちの台詞だっ!! こ、こんな、……そのっ……」
さっきまでロイが触れていた辺りを右手で押さえ、
赤い顔で語尾を濁らせる。
してやったり、というようなロイの顔を見て、
思わず、そこを押さえる手に力が入った。
するとロイが、その手首を、ぐっと握る。
「あ、やめろよマルス」
「……は?」
「せっかく綺麗な肌なのにさ、爪で傷ついたらだめだろ」
「……お前だってやってるくせに……」
赤い顔をしたまま、恨みがましい目で見て。
「爪でやってるわけじゃねーだろ。……何、肌に傷、つけたいの?」
「……そんなわけないだろ。お前が早とちりしただけだ」
「……あはは、だよなぁ。……まぁ、そうじゃなくても別に良かったんだけど」
「……? ……って、こっ……ら、ロイ!!」
後ろ手に、ぐらついた身体を支える。
首筋に顔を埋めてきたロイを、片手で押しやって。
「ん?」
「……っ、何の……つもり……、……だっ……こんなとこ、でっ……」
「何って、傷。つけてやろうかなーと思って」
「なっ…… ……ッ……、あ、っ……」
昨日の今日で、身体はすぐに反応してしまう。
唇が触れただけで、声が上擦る。
水の音に混じってわかりにくいけれど。
ちゅ、という濡れた音を残して。
ロイの身体が、マルスから離れた。
「……っ……」
「……そんなに感じた? ……ちょっと痕つけただけじゃん」
「……お……前は、……少しはこっちのことも考えろっっ!!」
「えー。……だって、マルスかわいーんだもん」
「……」
ますます頬を赤らめ、潤んだ瞳で、マルスがロイを睨む。
ロイは悪びれもせず笑うと、自分がつけたばかりの痕に、
そっと指で触れた。
「……俺がつけたのでも、マルスにあると綺麗に見えるよな」
「……わけのわからないことを言うな……」
「マルスは世界で一番かわいくて綺麗だって言ってんの」
「……」
つけられたばかりの痕を手で押さえ、ふい、と顔をそらしてしまった彼に。
軽く笑いながら、その頬にそっと口づける。
まだ潤んだままの瞳で睨むマルスの肩にもたれると、
小さな声で、呟いた。
くすぐったかったのか、マルスが小さく身じろいだ。
「……マルスさー、俺ばっか悪いみたいに言うけどさ、
マルスだって、痕つけてんじゃん。……俺に」
「……。……は?」
怪訝そうな声が返ってくる。
にこりと笑うと、ロイは、自分の背中と、首の後ろとを示した。
まだ疑問の残る表情で、マルスが示された箇所に、視線を移す。
……背中と、首の後ろに。
猫が引っ掻いたような、小さな、赤い痕が。
あった。
「……?」
「……あれ、もしかしてわかんねーの?」
「……何がだ」
「……あー……だよなぁ、マルス、あんまり覚えてなさそーだよなぁ……」
「……だから、何が」
疑問形で返してくる彼に、苦笑を返す。
そして、マルスの腕を取ると、つ、と指先まで滑らせた。
細い指に、騎士が姫にやるように軽く口づけ、
その瞳をまっすぐに見て、言った。
「爪」
「……爪?」
まっすぐ見返してくれるマルスに。
思わず、顔がほころぶ。
「だからさ、爪。……たまに立てるんだよ、マルス。
……結構痛いんだぜ? あれ」
「……え……?」
「……だから、……やってる最中だよ。……腕、背中にまわしてくれんじゃん」
「……」
目を見開き、ゆっくりとまばたきを繰り返す。
自分の手と、ロイの顔とを交互に見て。
何かを考えるような、思い出させるような顔をした後、
多分、驚愕。……に近い感情を、顔に見せた。
「思い出した?」
「……」
「……だから、俺もマルスに痕つけんの。これでお相子だろ。わかってくれた?」
「……」
「……マルス?」
返事が、無い。
……そんなに、認めたくない事実だったんだろーか。
からかってやろうと思い、顔を覗き込もうと、身体を近づける。
……と。
「……、……」
「……っ、!? お、おい、マルス!?」
マルスが、自分に寄りかかってきた。
それだけならこんなに驚くこともないのだが、
ついで、その身体が、ずる、とずり落ちて。
溺れてしまわないように、流石に慌ててその身体を支える。
顔を上向かせ、見てみると、
瞳を閉じて、白い肌を真っ赤にさせて、苦しそうに息を乱している。
のぼせた。
間違いなく。
「……。……あーぁ、何やってんだよ、もー……。
風呂で寝たりするからだよ、ったく……」
いつもクールでさらっとかわしてくれるクセに、
時々こういう、彼には不似合いな間違いを犯す。
……そーいうトコがかわいいんだけど、と素で思える自分は、
たぶん、相当あぶない。
くすりと笑い、湯船から身を乗り出す。
洗面器に水を溜めて、それに手を浸けた。急な温度差で、少し手が痺れる。
その手で、マルスの頬を、そっと撫でた。
もう一度洗面器に手を浸け、濡れて額に貼りついた前髪を、そっとどけてやる。
「……大丈夫?」
「……ん……、」
息を乱したまま、瞳を薄っすらとあける。
小さく聞こえた声は、おそらく、自分の問いかけへの返答。
……そう思いたい。
「じゃあ、とりあえず部屋戻ろっか? ……見つかるとやっかいだし」
小さく、頷いた気がした。
それだけ言って、後はぐったりと自分に頭を乗せてる彼の、
濡れた髪を、そっと手で撫ぜる。
髪の色と対照的に紅らんだ頬を見て、一瞬、口づけたい衝動にかられたが、
とりあえずやめておいた。
今はとりあえず、この場所から彼を運び出すのが先決だと思って。
実際、かなり息苦しそうだし。
一息ついて、“おひめさまだっこ”になるかたちを試みて、
左肩から、右肩に腕をまわす。
少し腕を引いたところで、ふと、彼の細めの首筋が目に入った。
その下の、鎖骨のあたりに。
白い肌に、自分のつけた、紅い痕が、散らばっているのも。
「……っ……、」
ロイが、一瞬顔を顰めた。
彼のつけた、背中の紅い傷が、少し疼いた気がして。
「……」
「……ロ、……イ」
「……え?」
自分の腕の中で、彼がゆっくり目を開けた。
「……手を放せ……。……自分で、歩けるから」
「え……。……でも」
「……いいから……、」
「……」
じろりと、その瞳がにらんでくる。
それでも放す気になれなくて、ただ見つめ返す。
まだ冷めていない残り湯が、肌に心地よい。
残り湯が、彼の首筋の辺りの、確かな証を透して。
「……マルス、」
「……ん? ……話なら後で聞くから、さっさと手を放……」
言葉の、続きを。
当たり前のように、自分の唇で、塞ぐ。
「……」
「……あー、やっぱかわいーなぁマルスは」
にこ、と、そう言って笑う。
目を見開いた彼が、真っ赤な顔をして、温かい残り湯を顔にぶつけてきたのと同時に。
「うわっ!!」
「っ……、……何、考えてるんだ、このバカッッ!!
……僕はもう行くからなっ!!」
「……っ、なんだよー、そんな怒ることないじゃん」
ざば、と、マルスが湯船からあがった。
微妙にふらついている気がする足取りを、後ろからじっと見つめた。
「マルス」
「……何だ? まだ何か用事か?」
くる、と振り向いた彼に、手を振ってにこやかに笑いかけて。
「いや、また後でな」
「……」
面白くなさそうな顔をして、マルスは扉を閉めた。
その一連の動作を、ロイは、満足そうな顔で見ていた。
背中に、彼との確かな幸せの証を、感じながら 。
あの、
……恥ずかしいもの書いてすみません。
何かもう、言えることがこれくらいしか……。