雨の記憶
雨が、降っていたんだ。
あの日もそう。
こんな風に……どんな音も掻き消してしまう、そのくせ優しい。
雨が降っていたんだ。
あの日も こんな風に。
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雨の日は何となく退屈で、屋敷の中も空気が重い。
そんな中、閉鎖された空間の中でさえ、
何か遊びを見つけられる子供達……カービィやネスは、
本当にすごいと思っている。
話し声が、遠ざかる。
マルスは、そのにぎやかな空間から少し離れ、雨の日の庭に来ていた。
マリオとルイージが取り付けた、白いベンチに、
傘も差さずに項垂れている、ロイの元に。
「……ロイ……?」
「……マルス……」
雨が芝生に当たり、粒が跳ね返るのを見ていた視線を、そっと上げる。
マルスが、ロイを見下ろしている。
……同じように、傘を差さずに。その青い髪からは、雫がぽたぽたと落ちていた。
「……どうしたんだよ、……傘も差さずに。風邪ひくぞ?」
「……傘を差してないのは、ロイもだろ。……どうしたの」
雨が、声を掻き消そうとする。
微かな声を聞き取って、ロイが静かに微笑んだ。
それを不思議そうに、マルスが見つめる。
「……別に……、……どうも、しないよ」
「……?」
「……ちょっと……。……思い出したんだ、それだけ」
「……思い、出した?」
「……ん」
口元に微笑みを浮かべたまま、ロイが視線を再び地面にずらした。
聴覚を支配しているのは、雨の音。
ざあああ、と、永遠に続くかのように、絶え間無く、聞こえる。
ロイの碧の目に浮かぶ表情が、悲しそうに 痛みを感じているように。
「……俺も……マルスもそうだろ? ……戦場で、人を指揮しなきゃいけない、さ」
「……ああ」
「……それでさ、……ちょっと……」
初めは少し肌寒かったけれど、今はもう、ほとんど何も感じない。
生温かい気もする、服越しに伝わる雨の温度と、雨のかたち。
「……失くした』……のか」
「……」
その日も、こんな風に雨が降っていた。
冷たくて、泣きたくて、どうしようもなかった。
「……俺の……せいなんだ、……俺に、もっと力があったら」
「……」
「……そうだよ、その通りだ……。無くしたんだ、……あいつを」
雨が、ロイの赤い髪から、雫を落とさせる。
掻き消えそうな声を、ぽつり、ぽつりと掬い取る。
「……」
「みんな……あいつの兄貴以外は、……俺のせいじゃないって言ったけど……。
……忘れられないんだよ、どうしても、さ」
その藍い瞳が、伏せがちの碧の瞳を追いかける。
それは、決して忘れることのできない痛み。
「こういう……雨の中で、……口では『違う』って言ってても、目がそう言ってた。
……あいつの身体を抱えて……お前が殺した、お前が殺したんだ……って」
声が、つらそうに言葉をつくる。
剣を握る右手を、開いて見つめて、握って、背けて。
「……っ……、」
右手で、顔の半分を覆った。
雨でわからないだけで、泣いていたのかも知れないし、泣いていなかったかもしれない。
ただ、その抑えきれない感情が、伝わってくるような、気がした。
どう、言っていいのかわからなかった。
これは、他人である自分に、癒せる痛みではないから。
雨が、降っている。
暗がりの庭の中、芝生をやわらかく叩いて。
背けられていた顔に、そっと手を伸ばした。
雨に濡れた手で、指で……静かに、その赤い髪を撫でた。
慣れない仕草に、ロイが思わず顔を上げる。
「……マルス?」
「……ロイ、……あの、……えっ……と、」
思ったように、言葉が繋がらない。
でも、彼がこんな顔をしているのは、嫌だと思った。
「……僕も……、そういう痛みは、知ってる。
……でも、ロイと僕とじゃ……似てても違う痛みだから、
……何を言えばいいのかわからないけど」
「……」
髪の先から、ぽたぽたと雫が落ちる。
大して冷たくも無い、降り続ける雨の温度。
「……そういう痛みも、経験も……。全部含めて、今の自分があるんだと思う。
……その痛みが無ければ、そんな風に、悩んで考えることも無いだろ?」
「……うん、」
「……その重みに、答えなんか、無いけど」
色の薄い肌の上を、雨の雫が伝う。
その様子を、碧の瞳で、じっと見つめた。
「……忘れちゃいけない、痛みだと思ってる……。
……だから時々は、こんな風に、思い出しても、いいと思う、……けど、」
「……」
マルスが、す、と手を差し出す。
その仕草が珍しくて、思わず視線が、そっちに移った。
「……とりあえず……、……屋敷の中に、戻ろう。
……風邪、ひくよ」
にこりと、マルスがやわらかく微笑む。
どこか切なげな、危なっかしい雰囲気を持った、ぎこちない微笑み。
雨の音が、辺りを支配する。
すっと、手を伸ばして その手を、捕った。
「……マルス、」
「……なに?」
「……俺……二度とこんな、気持ちに捕らわれたりしたくない」
「……それは、僕もだよ。ロイ」
「……」
その手を握ったまま。
本当はこんなに頼り無げで、指も腕も、身体も、なにもかも。
「……今は、中に、戻ろう。ロイ。
……失くしたものは、二度と自分の手には戻ってこない」
「……」
「……だから、強くなろうって思うんだ。二度と、失くしたくないから」
「……マルス、」
それでもその微笑みが、今はとても強く見えるから ……
「……風邪をひくと、晴れたときに手合いも稽古もできないよ、ロイ。
……だから」
「……」
重い体を、イスからゆっくりと引き剥がす。
降りしきる雨の中、二人、並んで立つ。
自分の方が背丈が低いから、見上げる。彼が見下ろして微笑んでくれるのが、
嬉しくて、ほんの少し、悔しくて。
「……戻ろう、マルス。屋敷の中に」
「……ロイ、」
「……俺は丈夫だからいいんだよ、……何であんたまで傘差さずに来るんだよ……」
ロイが、ふわりと笑う。
……マルスが、やわらかく微笑み返した。
つないだままの手は、雨で冷たくて、大して気持ちいいわけじゃないけど。
それでも。
「……悩んだままで、いいんだよな」
「……うん、」
「……強くなりたいって思うのは……、自惚れなんかじゃ、ないよな」
「……うん、」
「……マルス、あのさ」
「……何?」
ぐい、と、つないだ手を引っ張る。
思わず倒れ込むマルスの身体を支えて、雨の雫の落ちる頬に、そっと唇を落とした。
「……答えが出たわけじゃないんだけど、」
「……うん」
「……ありがとう」
「……うん……」
そう言って微笑みかけた彼の表情は、既にいつものもので。
強くて、こっちまで元気になれるような、そんな表情。
雨が、降っている。
ざああ、と、すべての音を掻き消すかのように。
でもそれでも、その雨が冷たくないのは、
つないだ手から、お互いの体温が伝わるからだろうか。
雨が、降っていた。
あの日もこんな風に、誰かの目が、自分を射抜いていた。
その追憶から、解放されたわけでも、
それを忘れようというわけでも、
ないけど。
強くなろうと思った理由は、なくしたくないものがあるから。
……今隣にいる存在だって、その理由の一つだから 。
雨が降り続ける、辺りの音を掻き消しながら、記憶の中でずっと、今もずっと、
……心のわだかまりを、少しずつ、ほどいて……
たまには悩まない方にも悩んでいただこうということで。
過去を無かったことにできるほど、人間は器用ではないと思います。
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。