100:すき
「マルスさん、ロイさんのこと、どう思ってる?」
「…え?」
いつもと変わらず、リビングのソファーに腰掛けて、
マルスは本を読んでいる。
マルスとピカチュウ以外、珍しく誰もいないリビングに、
ピカチュウのこんな疑問は、妙に響いた。
「…どう、って、」
「んー…とね…」
本にしおりを挟む、さりげないマルスのしぐさを、
ピカチュウはじっと見つめた。
マルスが本をかたわらに置いたくらいを見計らう。
「例えば、実は嫌いだー、とか、別にどうでもいいー、とか」
「………」
真顔ですらすらとちょっとひどいことを言うピカチュウは、
今日もいたって冷静だ。
ピカチュウの言い草に、驚いたように目を見開くマルス。
やがて、ふ、と微笑んで、マルスはぽつり、と言った。
「…嫌いでも、どうでもよくも、ないよ」
「…ふぅん?」
「…嫌いなら、確実にあいつは死んでるだろうし」
いつか、一緒に公園に出かけたとき、
うっかりマルスに声をかけた…いわゆるナンパ、をしかけた…どっかのお兄さん達が、
半殺しの目にあっていたのを思い出す。
「………。…うん、」
背筋が少し冷たくなったが、めげずにピカチュウはマルスに顔を向けた。
「どうでもいいなら、…いちいち構ったりも、しないよ」
「…うん。じゃあ、どう…」
きちんとした言葉で答えをもらいたかったのか、
もう一度訊こうとしたピカチュウの声は、
全部言葉になる前に、ぷつん、と途切れた。
ふわりと、春の桜が舞うときにも、似ている気がする。
そのときの、マルスの微笑みが、あまりにも優しかったから。
「…好き、だよ」
「………」
時間が、とまっていたような、気がした。
マルスが、かたわらに置いた本を持って立ち上がったことで、
ようやく、ピカチュウの時間が動き出す。
マルスの足は、リビングの窓の外、庭に向かっていた。
「…マルスさん? どこか、行くの?」
「ああ。…たまには、外で読書もいいかな、と思って。
せっかく、いい天気だから」
「…そう、だね。うん。行ってらっしゃいー」
短い手をぱたぱたとふって、ピカチュウはマルスにのんびりと言う。
「ああ」
にっこりと笑って、マルスもピカチュウに、手を振り返した。
リビングが、今度こそ、静まりかえる。
「…だってさ」
静まりかえったリビングの、どこかに向かって、ピカチュウはぼそ、と呟いた。
とことことマイペースに歩いて、リビングのドアを、きぃ、と細く開ける。
「………」
「…これで、ちゃんと、わかった?」
ドアのすぐ隣、壁に背中をぴったりとくっつけて、
ロイが、そこに立っていた。
「…ロイさんでも、自信が無い、なんてこと、言うんだねぇ。びっくりした」
「…悪いかよ…」
「ううん。人間なら、当然なんじゃないのかな」
「…そっか…」
はあ、と、ロイらしくもなく、大きく溜息をついて。
やがて、
「………っ…」
「…ロイ、さん?」
ずるずるずる、と、ロイは壁に背をあずけたまま、
足腰から、力が抜けたように、座り込んだ。
軽く折り曲げた足に顔をうずめて、顔のはんぶんを手で覆う。
「………ロイさん」
こそりとピカチュウが覗き込んだ、
そこには。
ロイが、顔を真っ赤にして、どことも知れない方を、向いていた。
「…何、だよ」
「……いや…」
「…反則だろ、あんなのっ…」
好き? と訊けば、小さく頷いて、返事をしてくれるけど。
その口から、その声で、言葉で、欲しい言葉をくれることは、
ほとんど無かった。
だから、この小さな電気ねずみの協力まであおいで、
こんなことを、訊いてみた、わけなのだけれど。
まさか、あんな風に、優しすぎるほどに、言ってくれるなんて。
「………〜〜〜〜〜〜っ…。」
「…ロイさん、」
顔を上げようとしないロイの心のうちは、ピカチュウにはよくわからない。
それでもそのロイの反応が、何を示しているのかくらいは、おおよそわかる。
「…自信、ついた?」
「……。…ああ……、」
こんなことを、訊いてみる。
返事はすぐに、返ってきた。
「…俺も、負けないくらい、好きだよ」
まだ顔を赤くしたまま、少し悔しそうに、口元に笑みを浮かべて。
誰よりも、君が。
お昼ちょっと過ぎ、誰もいない静かなリビング。
お弁当を持って、みんな公園へ、出かけていったんだろう。
世界は明るく青く、今日はとてもいい天気だ。
好き、という言葉が好きです。
人の好きなものの話を聞いていると、ちょっと嬉しくなります。
記念すべき? 50個目。