098:賭け
広間に駆け込んできた少女を、一人の女性が迎え入れる。
ひどく慌てていたらしい、あがった息をおさめると、
少女はすっと、顔を上げた。一緒に背筋も伸ばして。
「…ロイくんが、帰ってきたよ」
「ええ。…それで、現状は?」
少女 ナナの言葉を受けて、
女性 ピーチが、ナナをじっと見つめる。
「…マルスくんが、つれていかれたみたい。
ポポが、そう、言ってた」
「…そう…。…やっぱり、そこを狙ってきたのか…。
…気をつけろとは、言ってたんだけど。
マルスと…戦ってたのは? やっぱりアイツ?」
「うん。リンクくんだと思う」
「………」
さらり、と口にしたナナの言葉に、ピーチは険しい顔をした。
そして、額に手をあてて、深く溜息をつく。
心底困り果てた様子のピーチに、ナナは更に続けた。
この部屋に駆け込んできたときの慌てた様子なんて少しも感じさせない、
これが仕事だ、と言わんばかりの、機械じみた声で。
「…全身、怪我をしてた。特に深そうなのは、三箇所の傷で、
左肩、左足、それから脇腹。全部、剣で抉られたんだと思う」
「……向かっていったのね。…ロイらしいわ」
もう一度、深く溜息をついて。
「…で。ロイは?」
こう尋ねると。
先程の機械じみた声なんて、少しも感じさせない、
ひどく不安げな顔で、
「……部屋に閉じこもってる…。…ポポが、手当てしてるみたいだけど…」
弱々しく、こう言った。
******
右手に、まだ、感覚が残ってる。
マルスの肩にふれたときの雨の温度。落とした剣の柄の感触。
自分がポポに発見されたとき、自分の隣に落ちていた剣は、
泥と血で、ひどく汚れていた。
今は、壁に立てかけてある。
負けた証として。
「………ッ」
手をぎゅっと握って、俯く。
どうして自分はこんなに、情けなくて、弱いんだろう。
今度もまた、簡単に、リンクに負けてしまった。
あの、太刀打ちできない、圧倒的な力の前に。
目の奥が熱い。また、泣きそうになってくる。
これじゃあ、あんまりだ。
目の前で意識を失って、自分は何もできなかった。
何もかもが崩れた。負けた。
強くはなれないのだろうかと、悔しさと、悲しさと、…いっぱいになる。
「………」
「…ロイ…、」
耳に届いたポポの小さな声も、どこか遠くのことのように思える。
一通りの治療を受けた後で、ロイはずっと、椅子に座って俯いていた。
それがあまりにも痛々しくて、ポポは何とか、顔だけでも上げさせたいと、
そうは思うのだが。
彼を奪われたことは、やはり、相当なダメージだったらしい。
…自分だって、目の前でナナをうばわれれば、こうなるのかもしれない。
ポポは、ロイとマルスとの関係を、きちんと知っているわけではないが、
それでも、普段の会話の端々から、
恋に近いほどに、仲が良いのだろうと、…そんなことは、予測できた。
ポポが知らないだけで、実際それは、恋や愛以外の、なにものでもなかったが。
「ポポ」
「!」
物思いにふけっていたところに、急に、声がかけられる。ロイの声ではない。
「あたし。開けて。ロイと話がしたいの」
「…ピーチさん」
金属の扉をがんがんと叩いて、声をかけてきたのは、ピーチだった。
ロイの背中と、扉とを見て、一瞬考え込んだ後、
そっと、ドアノブに手をかける。金属特有の、ひんやりとした温度が伝わって。
ゆっくりとドアノブをまわすと、高貴な金髪が見えて、ポポは一瞬、息を呑む。
ピーチは入ってくるなり、ポポに一言、「席を外してくれる?」と告げた。
いやに静かな声が気になったが、特に断る理由も無い。
…少し、ピーチが何を言うのか、どんな話をするのか、心配ではあったが。
自分に、その話を聞く権利は無いな、と思った。
ピーチに軽く頭を下げて、そっと部屋から出ていく。
かたん、と金属の扉が閉まる音がした後で、部屋は静寂に包まれた。
「………」
「………」
雨が降り続く音が、窓の外から、鮮明に聞こえた。
地面を容赦無く叩くその音が、耳障りにまでなってきたころに、
ようやく、ロイが、口を開く。
「…行かないと、」
「………」
かすかに呟いた先、ロイは視線を、壁に立てかけた剣に向ける。
ゆっくりと、伸ばしかけた手を、
「駄目よ。許さないわ」
「…っ」
ぱんっ、と、
ピーチが、はらった。
「…ってめぇ、ピーチッ!」
ロイが勢い良く椅子から立ち上がり、ピーチを睨み上げる。
ピーチは微動だにしない。
自分とほぼ同じ高さの、ロイの碧の瞳を、真っ直ぐに見つめた。
それは、支配者の気高さにも似て。
「今のあんたに、何ができるっていうのよ、ロイ!!」
「……何、だとっ…!?」
「何かできるって言うんなら、言ってみなさいよ!!
今この部屋で、あんたが何を考えていたのか!!」
澄んだ瞳がきっぱりと告げたことに、ロイは思わず、言葉を失った。
「………ッ…」
勝てない。
向かっていっても。
間違いなく、
負ける。
今度は死ぬかもしれない。
「………俺は…」
自分は弱くて、
彼は、途方も無く、強い。
「………」
頭を抱えて、ロイは再び椅子に、倒れ込むように座る。
ピーチは胸の前で両腕を組み、じっとロイを見下ろした。
ロイの目はずっと、牢獄に似た石畳を追って、
それは明らかに、いつもの彼の目ではなかった。
守りたいものが与える力というのは、すごいものだと、やはり思う。
「…どうだったの?」
「…負けたよ…。…ああそうだよ、俺が、弱かったんだよ!
わかってたんだ! 勝てないことくらい!!」
リンクは、誰よりも優しくて、何よりも強い。
この戦いが始まる前、皆が一緒にいたころ、
誰もがそう思っていたし、誰もが認めていた。
身体の大きさも違って、剣も未熟で、意識も違う。
こんな自分が、彼に、勝てるわけは、ないと。
ずっと考えていた。諦めて。それが悔しかった。
悔しいとも思えないくらい、本当は、実力に差はあったはずなのに。
皆、それをわかっていた。
誰よりも、自分が。
「俺なんかが、勝てるわけ、ないだろ!!
あいつはっ…」
「ロイ!!」
ぱんっっ。
……。
「………」
乾いた音が、小さな部屋に、抜けるように響いた。
ロイの頬と、ピーチの手が、赤く腫れる。
「馬鹿じゃないの」
きっぱりと、一言、告げた。
「…馬鹿だよ」
「そうじゃなくて」
「…どうせ、俺は…。『相手の力量をはからずに飛び込む愚か者』、だからな」
「…そうじゃなくてっ」
「…だからって、何も、殴ることっ…!!」
「そうじゃないって言ってんでしょ!! ロイ!!」
再び手を振り上げると、条件反射のように、ロイが身体を強張らせた。
びくっ、と、目も一緒に、固く閉じる。
それを睨むように見て、ピーチは手を下ろした。
「………」
ロイが、ピーチを見つめる。
いつもの彼なら、自分には絶対に見せないだろう、
泣きそうな、怯えた顔で。
「…そうじゃないの。そういうことじゃないのよ」
「………じゃあ、他に、何が、あるんだよ…。
…何が…。」
「あんたの、一番強いものよ。それが欠けてたの」
「……俺…の…?」
胸を、とん、と押さえる。
「初めから、負けて当然、なんて思うからよ。
負けて当然でしょ。勝つ気が無かったのに」
「………」
ロイが、目を見開いた。
その奥に、何かを感じた。
「あんたらしくもないわね。気迫負けするなんて。
いつも、馬鹿みたいにがむしゃらに突っ込んでいって。
何にも考えないで、戦ってくるのよ。
危険だけどね。あたしはあんたの、そういうとこが好きなのよ。これでも」
「……ピーチ…、」
「それに、よ。もう一つ」
金髪を、手でかき上げる。
彼らしくないと、思ったこと。
「あんたにとって、マルスは、その程度の存在だったわけ?」
「……え……?」
「自分より強い人に奪われていくのを、自分が力不足だってだけで、
あきらめることができるんなら。
その程度の存在だった、ってことよね。くっだらない」
「…っ、何、だとっ!? 俺はっ」
ロイが、立ち上がる。
ピーチをしっかりと睨んで。
目の色が戻ってくる。
「負ければ奪われるのよ。なのに、最初から負ける気でいたんなら」
「…俺は…、」
「大事じゃないのと一緒よね。
大事じゃないものを、助けに行く必要なんてないわ」
「…俺は!!」
ピーチを、しっかりと睨んで。
目の色が戻ってくる。
大切なもののために、強くなれる、
碧の色。
「あの人が、大事じゃないわけない。
俺は、
あの人を、助けるんだ! あの人が、大事だから!!」
髪の色に似た、赤い血の色を。その想いを。
たった一人、大切なものに向けて。
部屋が、静かになる。
雨の音が強くて、狭い部屋は、雨の音でいっぱいだ。
やがて。
ピーチが、ふ、と、笑う。
ロイはそれを、怪訝そうに見た。
「…ロイらしいわ」
「…何がだよ」
「べっつにぃ? …まあ、これくらいで勘弁してあげるわ。
思い出したみたいだしね」
「…え?」
満足そうに笑うピーチの前で、ロイは不思議そうな顔をする。
「…思い出した?」
「マルスが、大切だってことよ」
「………」
うばわれたことばかりに、目がいって。
自分の弱さばかり自覚して。
原因を忘れていた。
忘れていたことにも、気づかないで、どうして助けにいけただろう。
泣きそうにつらかったのも。
自分に腹が立ったのも。
全て、たった一人のために。
「………ピーチ…、」
「雨はやまないみたいだから、気をつけなさいね。
足場はよく考えて、それから、
さっき言ったことと矛盾するようだけど、あんまり無茶はしないこと。
死んだら何にもならないんだから。
回復アイテムとか、ポポとナナに、必要なものはもらっていって」
後は、ボム兵4つくらい、持っていく?
ピーチが、冗談めいて笑う。
「…何も背負ってない人も、強いけど。何かを背負ってる人も、強いのよ。
リンクだって、それなりの事情を背負ってるのかもしれない。
だから、気持ちでだけは負けちゃだめよ。それが、あなたらしいんだから」
「…ああ、」
剣の柄を握る。
鞘を、腰のベルトに取り付けて、刃を少しだけ抜いた。
銀色の光が、残像をはじく。
すぐに、鞘に戻して。
マントを、肩にかけた。
「…行ってくる!!」
狭い部屋を飛び出す。
勝気に笑って、それを見送った後で、
ピーチは、部屋を出た。
ヒーロー大復活。
全力で走る少年は、かっこいいと思うのです。