093:ビニール袋




「マルスさんって、」
「?」

初夏の風がそよぐ丘の上、大きな木の根元。
マルスは本を読んでいた手を止めて、隣のピカチュウに視線を向けた。
やわらかな木洩れ日を映す青い髪が揺れて、その下の瞳も一緒に揺れた。

耳に聞こえるのは、風が葉を揺らす、波に似た優しい音。
鳥の声。
そして、遠くからの、金属音。
ロイとリンクが、三度目の手合いを行っているのだ。

「ロイさんのこと、はじめての頃は嫌っていたのに」
「……ああ」
「ロイさんのこと、どうして好きなの?」
「!!」

さらりとピカチュウが言った瞬間、マルスはその白い頬を真っ赤に染めた。
ついで、わたわたと慌て出す。心なしか、表情もどこか幼い。
膝の上に乗せた本を落とさないように押さえながら、
マルスは顔を真っ赤にしたまま、言う。

「な、違っ、僕は、別にそんなっ…!!」
「別に何も違わないでしょ。
 ロイさんはあなたの、そういうところが好きなんだろうね」
「………」

さらさらというピカチュウは、至ってのんびりマイペースだ。
こういうところがらしいと言えばらしいが、言われる側は堪ったものではないわけで。

うつむいてみたり、視線を泳がせてみたり。
ロイが見ればさぞかし喜ぶだろう、そんなしぐさで、
マルスはとても言いにくそうに、呟いた。

「…僕、は、その…。…だから、そういうことじゃ…。
 …あいつが、…あの、だから…。………。」

呟いたというか、ごまかしたというか、何と言うか。

「………いつのまにか…近くに、いたから…。
 …だから、その…。………、」
「…ふーん」

それを聞いて、ピカチュウは遠くを見て。

「…いつのまにか、ねえ。
 …ロイさんの涙ぐましい努力も知らないでー。
 まあべつに泣きはしなかったけれど。僕は」

ぼそっと、自分だけに聞こえる声で、しみじみと言った。

「?」
「こっちの話。気にしないで」

不思議そうな顔のマルスを適当にごまかすと、ピカチュウはにっこりと笑った。
へらっとした笑顔にあっさりと騙されて、マルスもあいまいに微笑み返す。
適当万歳マルスさん鈍感でありがとう、と心の中でひっそりと、ピカチュウはお礼を言った。
風が吹いて、葉がざわざわと音をたてる。

「それで、どうして好きなの?」
「……。…だから、その…。
 …なあ、答えなくちゃだめなのか?」
「だめじゃないけど、知りたいなと思って」
「……。…ピカチュウこそ、」
「?」

きっ、とピカチュウを迫力の無い真っ赤な顔で睨みつけて。
マルスは、ぽつり、と言った。

「リンクのどこが、好きなんだ?」
「リンク?」
「きっと、一番仲が良い、っていう点では、同じだろ。
 ……初めの頃は、仲が悪かったって聞いたけど…、」

正しくは、ピカチュウが一方的に嫌っていた、なのだけれど。
あんまり触れない方が良いかと、マルスは適当に濁して話す。

「…僕が、リンクのどこが好きって?
 ……。……うーん……。」

こくん、と小首をかしげて、ずっと遠く、手合いの様子を見つめるピカチュウ。
普段、きっぱりとものを言うピカチュウにしては珍しい   
自分の横で、可愛らしく唸っているピカチュウを見下ろしながら、
マルスはそんなことを思った。

やがて。

「…そうだなあ。どうなんだろ。
 …そうだなあ。そうだね、よくわからないかも」
「うん」
「でも、好きだからわからないのかもしれないね。
 マルスさんも、そうだよね」
「だからっ! べつにっ、そういうわけじゃっ」
「違わないでしょ?」

この手の言い合いに関しては、ピカチュウの方が二枚も三枚も上手だ。
マルスは頭が良いけれど、性格的にも向いていないし、なにより場数が違う。
ちょっとした意趣返しのつもりだったのが、あっさり言いくるめられてしまって、
マルスはますます顔を赤くしてしまった。

「でもね、これだけは、わかるよ」

青い空。
広い世界にそよぐ風。歌う森、鳥の声、木洩れ日のあたたかさ、遠くの水のせせらぎ。
少し離れたところで、ロイがリンクに負かされているのが見えた。
悔しそうな声、何故か申し訳なさそうな微笑み。

「あの人と、ここで出会えて、良かった、っていうこと」

遠くを見ながら、ピカチュウは言った。
マルスが瞳をまたたかせて、その言葉を胸の奥で反復する。
ここで出会えて、良かった。
ピカチュウは、笑って。

「マルスさんだって、そうでしょう?」
「……。…ああ」

やんでいた金属音が、また聞こえるようになった。
視線を寄越せば、ロイとリンクが、四度目の手合いを始めたのが見えて。
開きっぱなしだった本を閉じて、マルスは。

「…そうだな」

素直に頷いて、微笑んだ。
この世界に、マルス、という存在が現れたころは。
誰も、こんな表情を知らなかった。

風のそよぐ丘の上、ざわめく木の葉。
木洩れ日、鳥の声。
遠い、いつまでも届かない、いつまでも変わらない、
青い、空。


ほんの少しのトラブルだけは、毎日のようにあるけれど。
世界は今日も、とても平穏だった。



中学生の時、人の出会いは化学反応に似てるという詩を書きました。
そんな話です。
王子の乙女っぷりがすさまじいけど気にしない。