092:引越し




「マルスッ!」
「何だ?」

静かな部屋で、読書なんて楽しみながら、最近お気に入りの紅茶を口にする。
そんなマルスの優雅な一時を一瞬でぶち壊してみせた、いつもの赤髪の少年は、

「…あのさっ、」
「?」

いきなりマルスの手を両手でがっしりと掴むと、

「…俺の、お嫁さんになってくれっ!!」

こんなことを言い出した。






「…………は?」
「『は?』じゃないだろ! こっちは本気なんだからな!」

思わず疑問を全面に押し出したマルスに、ロイは強く言う。
本当に本気らしい、ロイの目は、いつになく真髄で  どこか焦りを含んだ  色をしている。

が、マルスは別に、そんなことを訊きたいわけではなかった。
思わず溜息をついて、マルスはロイを、半ばうっとうしげに見る。

「…お前が本気かどうかなんて、どうでもいいよ…」
「何だよどうでもいいって!」
「話を逸らすな! …だから、そうじゃなくて、僕が訊きたいのは」
「『何で僕なのか』って? そんなん、マルスが好きだからに決まってるだろーv」
「………」

勝手に話を進めているロイ。
…マルスは再び、大きく溜息をつくと、

「…人の、話を聞けっっ!!!」

がすっ、

…と、もはやマルスの武器の一つであるらしいハードカバーで、
思い切り、ロイの頭を殴った。

「って……ッ!!」

角が見事クリーンヒットしたらしい。
ロイは頭を押さえ、その場にずるずるとしゃがみ込む。

が。

「…いいんだいいんだ、これも愛のカタチだもんな〜」
「………………。」

いつになく、復活がとても早かった。

「…で、何が訊きたいんだっけ?」
「…何でいきなり、そんなことを言い出したんだ、…てことだ」
「ああ、……うん、…まーな」

怪訝そうにマルスが睨むと、ロイは、さりげなーく視線をマルスからはずす。
ロイが視線をはずす   というのは珍しいことで、
何かあったのかと、マルスはちょっとだけ心配げな顔で、ロイを覗く。

「? …どうしたんだ?」
「……いやー? …べっつにー…。
 …ほら、俺って一応、父上の長男だから。領主サマのご子息」

ロイが小さく、溜息をついた。
マルスも王子様だから、こーいう話、したことあるだろ? と、言った。

「…16歳って成人だから、婚約者の一人二人、決めとかなきゃいけねーだろ?
 領主の跡継ぎがいなくなったら、大変だもんな」
「………」
「…そのこともあるし、…後さやっぱり、マルスも王子だし。…だからその、」

ロイが、マルスの片手を取って、そっと握る。
手の温かさに一瞬気を取られ、マルスはその手を見た。
今はまだ同じくらいの大きさだけれど、いつか、
マルスの華奢な手なんて簡単に包み込めるくらい、大きな手になるだろう。

多分、ロイとマルスが、互いに別れを告げる、その頃に。

「……どうせそのうち、誰かのものになっちゃうんなら…。
 …今のうちに、俺のお嫁さんにしておきたいな、なんて思っただけだよ」

ロイがそっと、マルスを抱き寄せる。
マルスはイスに、ロイは立ちっぱなしでそんな行為をしている為、
マルスの頭は、ロイの胸に、埋められた。

「…社会のタテマエってやつ的にも、…マルスを俺のお嫁さんになんて、
 …できるわけ、ないけど」
「………」

マルスの髪をゆっくりと撫でながら、ロイは、ぽつぽつと呟いた。

「……冗談くらい、言ってみてもいっかなー、なんて」

大騒ぎしてごめんな、と、珍しく苦笑なんて漏らしながら、
ロイはぐい、とマルスの肩を軽く押して、お互いの間に距離を作る。

お互いの顔を、じっと、見つめた。
どこか悲しそうな顔をしたロイに、何となく哀しそうな表情の、マルス。

自分の肩におかれた、手にそっと触れた。
マルスが視線をはずして、小さく、ぽつりと呟く。

「…いいよ」
「………」

「…は?」

聞こえた科白(せりふ)の意図が読めず、
ロイは思わず、訊きかえした。
マルスはどこか、居心地悪そうな顔で、ロイを恨むように睨む。

「…いいって、言ってるんだ。
 …恋人でも、ロイのお嫁さんでも…。…なってあげる」
「………へ…、……」

間抜けな声を出して、ロイは呆然と、マルスを見つめる。

「…マル、…ス? …あの、」
「朝も頑張って起きるし、…ロイの好きなものも、作ってやる。
 一緒に洗濯して、干して、それから…一緒に、出かけようか。二人で」
「………」

ロイの手をそっと取って、頬に、押し付けた。

やわらかく微笑み、そして、言う。

「…ロイは…、…僕のことを、支えてくれるから」
「………」
「いいよ。…一緒に、いよう。ロイ」
「………っ…」

泣きそうに顔を歪ませ、
ロイはマルスを、勢いのまま抱きしめた。
その背中に手を回して、マルスは目を閉じた。

「……もう、撤回とか、ナシだからな」
「うん」
「…絶対、放したりしないからな。…絶対お嫁さんにしてやる」
「…うん」
「誰が駄目って言っても、…一緒にいるからな。
 ずっと、マルスは、俺の一番近くにいるって。決めちゃったからな」
「…うん…、」

ロイの肩に、顔を埋める。
陽の、あたたかい匂いがした。


「………マルス。…ありがと」
「………」
「…俺、マルスが、好きだよ。大好き」
「……ん…。」


強く、強く抱きしめられて、マルスは薄く、瞳を開く。

離れたくないと、泣きそうな顔で、マルスはロイに、再び身をあずけた。



初めはポポナナを交えたほのぼのに…なるはずだったのです…が…。
不覚にもうっかり自分で泣きそうになったのですが(馬鹿)、
個人的に、お互い支えあっている、こういうロイマルは好きなのです…。