090:働き者
病気。
そう、病気なんだ、俺は。
あの人を見かけると、胸の奥がざわつく。
心臓なんか、妙に騒がしくて。
何だろ。
やっぱり、病気。絶対、病気だ。
あの人。
青い髪で、女みたいな顔してて、ぼんやりしすぎで、
いつも、ふわふわ、笑ってる。
しかも、すぐ転ぶ。
それを支えるのは、俺。
頼り無いくらい腰は細くて、やっぱり胸の奥が変になる。
ありがとう、なんて、笑って言われた日には、
もう。
って、あああ、何考えてんだ、俺は。
違う、そうじゃない、俺が言いたいのは!
そう、病気だ。病気なんだ、俺は!
強く強く言い聞かせて。
一体、何なんだ、あの人は。
そもそも俺は、ああいう、地に足つかないような人間は苦手というか嫌いなんだ。
つかみどころがなくって、全然わかんねえ。
つきあいづらいったら、ありゃしない。
これでもかってくらい、おっとり、ふわふわしてて。
ああ、いつだったか、あれは。
一緒に買い物に行って。
ちょっと待ってろ、って目を離したスキに。
どっかの、男。三人連れ。
そいつらに、そこの彼女、なんて、あからさまな言葉でナンパされてた。
まあ、あの人男だし、自分でどうにかするだろ、って思ってたら。
あの人、ついていって。
…もちろん、男三人即座に蹴飛ばしたけど。
で、その後、説教込みでついていこうとした理由を聞いたら。
何だったか。
確か、「だって、一緒に来て、って言われたから」、って。
こいつはもしかしたら、とんでもない世間知らずじゃないだろうか。
その時はそう、思った。…気がする。
そう。
そんなふうに、ふわふわしてるくせに。
剣では何故か、勝てない。だから腹立つんだ、畜生。
そういえばあの人は、どれだけ自分が困っていても、助けて、とは言わない。
階段から落ちそうになっても、
転びそうになっても、
どっかのバカに腕を引っ張っていかれそうになっても。
いつも、黙ってる。
で、俺が助けてるんだ。勝手に。
何で俺は、あの人の保護者なんか、やってんだ。
あの人の方が年上なのに。
あの人にかかわると、苦労させられてばっかりだ。
いっそ、一緒にいなければいいんじゃねーか、って思っても。
あの人が、別の誰かと一緒にいたら、
…何故か、いらいらしたりして。
特に、あいつ。
金髪の、アレ。…大人の方。
一緒にいると、やたら楽しそうで。…やたら子供じみた顔、見せやがって。
ああ、俺はどーせ、年下だし、背も低いよ。
そんなことを思ってて、気づいたら、二人の間に乱入してた。
何かこれじゃあ、バカみてーじゃねーか、俺。
とか、思いながら。
何なんだろう、これは。
何で俺、こんなバカなことやってんだ?
子供のお守り。
とは、ちょっと違う。
いつか。
いつか、言ってた。
まだ、ガキの頃。
父上が。
誰かを見て、胸の奥がざわついたりたり。
心臓が、妙にうるさかったり。
他の誰かと一緒にいると、無性に腹が立ったり。
そういうのは、「恋」というんだ、って。
笑顔で。
………恋?
…恋、って、アレだろ。
男と女が互いに惹かれあう、ってやつ。
男と男、とか、女と女、とか、そういうのもいるらしいけど。
俺にそういう趣味は無い。
…待て。
じゃあ、何で俺は。
あの人を見て。
あの人が笑って。
あの人の近くにいると。
胸の奥が、ざわついて。
心臓が、妙にうるさくて。
無性に、腹が立って。
……何でだ?
違う。
絶対、違う。
これは恋じゃない。愛でもない。
断じて、違う。
俺にそういう趣味は無い。
断じて!!
でも。
じゃあ、保護者とか、友情とか。
そういうのも、何か違う。
…気がする。
何なんだろう、これは。
俺はあの人を、どんなふうに思って。
どんなふうに、見てるのか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
…何でだ、何でこんなに俺が悩まなくちゃいけないんだ。
「…わっ…、」
「!! っの、馬鹿…!!」
そんなこと、考えてる合間にも。
目の前であの人は、何も無いところでつまづいてたりして。
慌てて腕を伸ばして、腰を抱く。
…頼り無い。細い腰だ。
って、だから何を考えてんだ、俺はっっ!!
「……っ、ごめん…ね」
「…大丈夫か? 怪我は?」
「…うん、大丈夫。…ありがとう」
「…なら、いいけど」
そう言って、手を離したときには。
…ああほら、まただ。胸の奥がざわついて、心臓がうるさい。
しかも、…何故かちょっと、寂しい。
何でだ。
寂しい、って何だ。
…俺、あの人のこと、抱きしめたいとでも思ってるのか?
いや。
断じて違う。
俺に、そういう趣味は無い。
絶対。
でも、じゃあ、どうして。
…考えても、わからない。
ああ、くそ、そもそも父上が、紛らわしいこと教えるからだ。
胸の奥がざわついて?
心臓が妙にうるさくて?
無性に腹が立つ?
それが、「恋」?
ふざけんな。
じゃあ、今の俺の病気は、一体、何なんだ!!
さてはあの人、俺がガキだからって、嘘教えたんじゃねーだろーな!!
信じたくはなかったけど。
何か、ふつふつと怒りがわいてくる。
…ああそうか、これは嘘なんだ。
父上の、いつもの、罪の無い嘘。
俺が、悩んでるのも。
あの人が気になるのも、全部、全部。
よし。
やることは決まった。
あの人の隣を、あの人が転ばないように、細心の注意を払いながら、
俺は歩く。
とにかく。
屋敷に帰ったら、カバンを引っ張り出して、荷物をまとめて。
父上を一発、殴りに行こう。
確かな決意を持って、俺は、ぐっと拳を握り締めた。
隣で、あの人が、微笑んで。
胸の奥はまだ、ざわついていた。
世話焼きなロイさん、働き者の独白。
それは、恋の病という。