089:B




「………」

かつん、かつんと、石の廊下に、足音が響く。
冷たい牢獄。強固な鉄格子。
冬の朝のように冷えた空気が、マルスの体温を奪おうとする。

「………っ、」

前で縛られた手首にロープが喰い込んで、マルスは顔をしかめた。
随分と、きつく、絞(し)められたものだ。
両の足首も、それぞれ、しっかりと鎖で繋がれているし、部屋に窓も無い。
おそらくは、ここは地下なのだろうと、考える。

足音が、近くなる。
やがて、

「…久しぶりだな、」
「………あ…、」

足音は、牢獄の前で、ぴたりと止まった。
顔を上げた先、鉄格子の向こう側に、見知った顔があった。

「…居心地はどうだ? マルス」
「…暑くなくて、嬉しい限りです。フォックスさん」

そこにいたのは、フォックスだった。
少し複雑そうな顔をしている。

慣れない皮肉を返して、マルスはふ、と微笑んだ。
フォックスはマルスをじっと見ると、
やがて、ぼそ、と、小さく呟いた。不機嫌そうな声で。

「……どうして、戦ったりしたんだ?」
「………」
「逃げることくらいなら、できたんじゃないのか」

言われ、マルスは、一瞬だけ、表情を曇らせる。
すぐに穏やかな表情に戻り、マルスは静かに答えた。

「…逃げられませんでした。…フォックスさんだって、知ってるでしょう?
 彼の、強さを。…あれでもきっと、まだ、本気じゃなかったと思うから…」

逃げるなんて、到底不可能だった。
僕も、まだまだです、と情けなく笑って、溜息をつく。
軽く首を横に振って、マルスはまた、顔を上げた。
目をじっと見つめて、

「…ところで…。」

再び、切り出す。

「…どうして僕は、ここに容れられているんですか?」
「は?」

純粋そのものの顔で尋ねるマルスの顔を、フォックスは思わず凝視した。
何で、…って。

「…お前が、人質だから、だろう」
「それは、わかってるんですが…、
 …どうして僕が、人質なんですか?」
「………」

自分に、人質としての、価値なんかないだろう、と。

そう言ったマルスの言葉を飲み下して、フォックスは溜息をつく。
この、鈍感、と。

「…とにかく、だな」

気を取り直して、マルスを真っ直ぐに見た。
戦場に慣れた、濁りの無い、藍(あお)の瞳。
この目で今まで、どれだけの現実を見てきたのだろう。…葛藤は、計り知れない。
誰よりも現実を見なければならない理想主義者。

「…それだけ拘束されてれば、言う必要も無いだろうけど、
 大人しく、してろよ?
 人質は殺せないはずだが、うちのボスは、何をするかわからないからな」
「……ガノンドロフさん、…か。
 …何をするのかわからない、という点では、
 こっちの頭も負けてないと思いますけど」
「…まー、な。クッパさんは、昔から、怖いもんなあ」

考えが、あるのかないのか、わからない辺りが。
くすくすと、マルスは小さく声をたてて笑う。

「…言われなくても、大人しくしてるつもりです」
「そうか」
「はい。…少し、眠いですし」
「………」

敵地に捕らわれているとは思えないほどに、穏やかに微笑むマルス。
その、藍い瞳が静かに閉じられたのを見計らったころに、
フォックスは、その場を立ち去る。複雑そうな顔をして。

「…変に、度胸が据わってるよなあ」

いかにも、気弱そうな、儚げな風貌をしているくせに。
一旦、戦いの場に出れば、率先して血を浴びに行く。
迷いが無さそうに見えて、その実、本当はひどく怯えているのだということを、
フォックスは知っている。

「………」

そんなマルスが、人質であるということの価値。

ひとつは、ロイの平静を失わせる材料になること。
ひとつは、向こうの勢力の戦力、戦意を殺ぐことになりえるということ。
ひとつは、彼を助けにこようと、向こうの勢力を誘い出す罠になること。

そして。

「………」

   リンクを繋ぎ止めておくものの、一つに成り得るということ。

マルスの自覚が無いだけだ。
人質としての価値は、いっぱいある。
最後の一つだけだとしても、充分だ。

ひどい戦略だと思う。
でも、これは、戦いだ。
情けなんていらなかった。
死にたくない。

一回だけ、牢獄を振り返って、そして、姿を消す。
愛用のブラスターを手にして。


   ******


要塞だとは思えないほどに、豪華な場所だ。
この辺りだけ、まるで、海の向こうの国の、城のようだった。
金の糸で刺繍の施された、真っ赤な絨毯。
壁の高いところには、立派な燭台が、等間隔で並べられていた。

その奥の、一つの扉の前で、リンクは立ち止まる。

「…姫様、」

こんこん、と、扉をノックして、こう呼びかけた。

「姫様。…いらっしゃいますか?」
「…リンクですか? 開いていますよ。どうぞ」
「…失礼します」

中からの答えに、リンクは一旦、扉の前で礼をする。
ゆっくりと扉を引いて、中に一歩入ると、再び、頭を下げた。
左手を、胸の前で軽く握るのと、一緒に。
そして、後ろでに、扉を閉めた。

部屋の主は、リンクを見ると、にっこりと微笑む。
長い、真っ直ぐな金髪を、揺らして。
ささやかに火の入った暖炉の前の、大きなイスに座っていたのは、
ゼルダだった。

「こんにちは。…どうなさったのですか?」
「…いえ…。
 …少し冷えてきたので、…ご気分はどうか、と思いまして…」

暖炉の方に視線をずらしながら、リンクは言う。
ゼルダはそれを聞くと、一瞬、驚いたような顔をした後で、
くすくすと控えめに笑った。

「…姫様? …あの、」
「いいんですよ。…誰かと、お話をしたい気分だったのでしょう?」
「………、」
「私でしたら、構いませんよ。…部屋に一人でいると、退屈ですし」
「……申し訳、ございません…」

その、『誰か』を当たってみたところ、たまたまゼルダに思い当たったのだと。
…リンクの小さな親友は、姿が見えなかったから。
主君に対して、「思い当たった」というのは無礼だろうと、リンクは謝る。
ゼルダはそれを、笑って許した後に、
暖炉の前にどうぞ、と、リンクを促した。
お言葉に甘えて、と、リンクは暖炉の前に立つ。

暖炉の前。
ぱちぱちと、薪が爆(は)ぜる。
リンクも、ゼルダも、それからしばらく、何も言わなかった。
…今更、会話の題材が見つからなくて。

「…そういえば、」

沈黙を、破ったのは、ゼルダの方だった。

「マルス君が、いらっしゃったみたいでしたね」
「…ご存知だったんですか?」
「部屋の前で、話しているのを聞いたんです。
 …貴方が捕まえてきたのだ、ということも」
「………」

ふい、と視線を逸らしたリンクの横顔を、ゼルダは少し悲しそうに見る。
暖炉の中で、火は音をたてて。
やがて、ほう、と溜息をついたゼルダは、ふわりと微笑んだ。

「後悔しているんじゃ、ありませんか?」
「……え…、」
「マルス君が悲しむようなことを、したくはないのではありませんか。
 …一緒に、ロイ君も悲しませてしまいますからね。逆、なのかもしれませんけれど」
「………」

リンクがどういう性格をしているのか、ゼルダはそれなりに理解している。
そしてそれを考えれば、今、この状況は、少しおかしいような気がした。
そして、その、おかしな状況を作った要因のひとつが、自分であろうことも、
ゼルダは知っていた。

自分の気持ちに、嘘をつくことはできない。
ゼルダの、リンクに対する気持ちは、本当に本当のもので。
リンクが、自分に、同じ想いを抱いてくれれば、嬉しかったというのも本当で。
でも、それは叶わないと、ゼルダはわかっている。
リンクの、ゼルダに対する想いは、忠誠心以外のなにものでもなかった。

「『親友』、なのでしょう?」
「……姫様…」

友情なのか、…それとも。
ゼルダは、確信は持てなかったが、それでも、気づくことくらいはできる。
いつも、リンクの視線がさりげなく追いかけていた。
青い色をした、頼りない王子。

そっと、息を深く吐いて。 膝の上で、ぎゅ、と手を握り締めて、笑った。
これが、『本当の気持ち』だったからだ。

「リンク。
 …貴方の、お好きなように、なさって下さい。
 私のことは、大丈夫ですから」
「…姫様、…オレはっ」

気づかれている。
確信ではないだろうが、そう感じて、リンクは慌てて取り繕った。
忠誠を誓った主君に、自分に対しての気遣いをさせるなど、
不敬この上ない。

だが、そんな取り繕いを、ゼルダはやんわりと押し返す。
ゼルダにできる、リンクに対しての、精一杯のこと。

「貴方はずっと、私を守ってくれました。
 …今度のことだって、私がガノンドロフに捕らわれなければ、
 貴方は、彼らと一緒に、戦っていたでしょう?」
「………」
「だから今度は、私が貴方を助ける番です。
 大丈夫、…私だってもう、戦えるだけの力は付けています。
 簡単に、やられたりはしませんし、
 私が倒されれば、足枷が一つ、無くなってしまうことになりますから」
「…足枷?」
「…こっちの、話です。…だから、リンク」

暖炉の中で、火が、ぱちぱちと音をたてて燃えている。
あたたかい、同じ気持ち。
大切な人に、つらい思いをさせたくはなかった。
ゼルダはリンクが、大事だったから。

じっと自分を見つめるリンクの瞳を見返して、ゼルダは微笑む。
ここにいてほしい気持ちが、無いと言えば嘘になる。
でも、ここから出て、思うままにしてほしいというのも、嘘ではなかった。

「リンクの、お好きなように、なさって下さい。
 そうすることが、今の私の、一番の望みです」
「………っ…」

リンクの顔が、一瞬、不安そうに歪む。
そして、すぐに、首を軽く横に振ると、リンクは微笑んだ。
いつものように、仕方なさそうな、情けない顔で。
そしてそれは、いつものリンクらしい、ゼルダの好きな表情だった。

イスに座るゼルダの目の前に、リンクは、片膝をついて座る。

「……ありがとうございます、……姫様」
「………」

ゼルダがそっと、右手を差し出すと、
リンクはその手を、左手でとった。
軽く引いて、手の甲にそっと、口づける。
騎士の姫に対するそれと、同じように。

「………」

やがて、左手の中から、ゼルダの右手が離れて。
リンクはそれより少し遅く、立ち上がる。
失礼します、と、礼をして、リンクは部屋の出口へ向かった。
扉の前で、もう一度止まった。

「ありがとうございます。…迷って、申し訳ございませんでした」
「いいえ。
 …それでは、頑張ってくださいね」
「はい。今度こちらに来る時は、良い話を持ってこようと思います」
「ええ。待っています」

ゼルダが再び微笑むと、リンクはもう一回だけ、頭を下げた。
そして、静かに、部屋を出て行く。
おそらくは、地下牢へ向かうだろう。
間違った道を、正す為に。自分の誇りを、失わないように。

「………」

部屋は、ぼんやりと、暖かい。
暖炉の中で、薪が爆ぜた。


   ******


「……えっと…、」

剣を背負ったまま、リンクは要塞の中を走る。
あれだけ、言われてしまったのだ。迷うわけにはいかなかった。

「(…地下牢の鍵は、ガノンドロフの部屋か…、)」

石の壁はひんやりとしていて、しかもそれが、雨でひどくなっている。
寒いのは嫌いなんだけど、なんて呟きながら、
リンクは廊下の分かれ目で、一旦止まった。右と左を、交互に見る。
地下牢は右。
ガノンドロフの部屋は、左だ。

「(…鍵が無くても、どうにかならないもんかな…)」

もともと、古い要塞だったのだ。
勢力が分かれた時に、使えそうだったので使っているだけで。
だったら、少しくらい、鍵や壁が老朽化しているんじゃないだろうかと考える。
難しいだろうが。
例えば、格子の一本に剣で切り込みを入れて、蹴り折ってみるとか。
壁を爆破するとか。
…難しい、だろうが。

「…とりあえず、行ってみるか…。」

マルスのところに。

まずは、安心させる方が先だ。
それよりもまず、謝る方が。
廊下を右に曲がる。

途中にあった、小さな部屋の扉が、少し開いているのに気づいた。
覗くと、中は物置のようになっているらしく、いろんなものが置いてある。
積んであった、薄手の毛布を一枚取って、また走った。
ここが、こんなに寒いのなら、地下はもっと冷えるだろう。
毛布の一枚くらい、持っていった方がいい。

石で囲まれた廊下。
かつん、かつんと、リンクが走るたびに、足音が響く。
背中の剣が、ちゃり、と音をたてた。

「(…それにしても、)」

やや複雑に入り組んだ要塞の、二つ目の分かれ道を、更に右に進む。
ここを真っ直ぐに進んで、左に曲がって、地下への階段を下りれば、目的の場所だ。

走りながら、リンクは天井を見つめる。
ぼんやりと、薄暗い。
いやに静かで、冷たくて、何だか寂しい感じだ。

「(……やけに、…静かだな…。)」

真っ直ぐに廊下を走る。ようやく、突き当たりが見えてきた。
ここを左に曲がれば、階段がある。

少しずつ、少しずつ。
足音は、近くなる。
そして。

「………、」

リンクは急に、走るのをやめた。

「………?」

突き当たり、曲がり角をじっと見つめて、背中の剣の柄に、手を伸ばして。
足音をできるだけたてないように、ゆっくりと一歩、進んだ。

「…誰だ?」
「…お前はすごいなあ、リンク」
「……え?」

やがて。
リンクの声に答えて、曲がった先の、向こうから、
誰かが出てくる。
悲しそうな顔をして。

「………っ…、」
「……リ、ンク、…ごめ、ん…っ」
「…だからこんなふうに、足枷をいっぱいつけるんだろうな。
 気持ちは、わからなくもないよ」
「……な、…っ」

廊下の影から、出てきたのは、フォックスだった。
悲しそうな顔で、静かに言う。
右手には、愛用のブラスターを手にして、その銃口を、
左腕に抱えた、

「……やりたかないが、これも仕事だしなあ」

ピカチュウの頭に当てて。

「…ピカ、チュウ…!?」
「……リン、クッ…、…ごめん、なさい…!!」

怯えきった瞳で、ピカチュウはリンクを見て、謝る。
壊れたからくり人形みたいに、何度も何度も。
それが一体、何を暗示しているのか、説明されなくてもわかる。
   ピカチュウが。

動きを止めるリンクを、フォックスは黙って見ていた。
銃口を、更に強く押し付ける。

「ピカチュウ、…どうして…!!」
「…ごめんなさい…っ、……ごめん…リンク…!!」

手が震えるのが、自分でもわかる。
どうする。
…どう、すればいい?

「リンク」
「っ…、」

フォックスの、リンクを呼ぶ声が、やたらと冷たく感じられた。
地下の牢獄のように。

「ガノンさん   首領からの、命令だ。
 地下牢のマルスを助けるために、これから、ロイが来るはずだ。
 …ロイを、殺せ、って」

容赦の無い。
これは、戦いだ。
情けなんか、いらなかった。
死なせたくない。

「わかるだろ? そして、出来ないはずがない」

敵の戦力を削ぐことは、戦略として当然で、
絶対にそれが出来る人物を当てるのも、間違いじゃない。
人の心はいらない。
これは戦いだから。

冷たい。
牢獄のように、降り続ける、雨の温度で。

「……リン、ク…!!」
「………っ…!!」
「悪いな。でも、命令なんだ」

フォックスの腕の中で、ピカチュウは泣きそうな顔をしていた。


   行ってこい」


   ……。」


…例えば。

それは、守るべき人だったり、守りたい人だったり、
リンクには、大事なものが、たくさんある。
大事なものというのは、それだけで弱点になり、足枷になる。

マルスについては。
それなりにしらばっくれれば、大丈夫だった。
敵同士で。
彼には、恋人らしい人も、ちゃんといて。
敵をおびき寄せる罠とするなら、簡単には殺されない。

ゼルダについては。
彼女も、殺されない。
本人が言ったとおり、戦う力も充分すぎるほど持っていて。
彼女は、こちらの勢力にとって、色々な意味合いで、大事な存在だ。
だから。

でも。

「………わかっ、た…」

この子は。
ピカチュウだけは。
自分と同じだった。
ただの、捨て駒。

気づいていないだけかもしれない。
ピカチュウはきっと、リンクが一番大事で、
リンクもきっと、ピカチュウが一番大事だ。
お互いに何かあれば、何もできなくなる。
今、こんなふうに。

リンクは、ピカチュウを守ると言った。
ピカチュウはリンクに、死なないで、と言った。

強いところを認め合って、
弱いところを補ってきた同士。

「…リンク、だめ、だよっ」
「……フォックスさん。…だから、ピカチュウは…、」
「ああ。
 …お前が命令を聞いたなら、無事は保障するよ」

理屈じゃない。

大切にしたいと思いあう、この、想いは。


   ロイを、殺しに行く」


「…リンク…!!」


踵を返して、リンクは要塞の出口へ向かう。
遠ざかっていく背中に、ピカチュウは必死で叫んだ。
駄目だ、と。
それでは、駄目だと、何度も。

「リンク!! だめだよっ、だめだってば!! リンク!! ねえっ…!!」
「………」
「だめだよ!! …間違えないで、リンク!!」

リンクは、答えなかった。
そのまま、要塞の外に消えていく。
雨の降る森へ。

「………ッ…!!」
「…そんな目で見るなよ、ピカチュウ」

これがもっと、別の誰かだったなら。
こんなに、取り乱さなかったかもしれない。
ピカチュウだって、自分でこの場を切り抜ける策を見つけただろうし、
リンクだって、フォックスを倒して、人質を取り戻せたはずだ。

この、二人だったから。

少しだって傷つけたくないと、そんな思いばかりが先走ったから。

「…これが戦いだって、わかってるだろ?」



冷静さを失うくらいに。
大事だったのだと、思う。
マルスを奪われたロイが、どんな気持ちだったのか。
少しだけ、似ているような気がした。

外は暗い。
冷たくて。

これからのずっと先のことを、暗示しているようだった。



私は意外と、リンゼルも好きなのかもしれない。

ロイ達から見て「敵」側の事情。
捨て駒は捨て駒なので必要ならば切り捨てるということです。
暗くってスミマセン…。