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「…と…、…うん、とりあえず、これでいいと思う」

森の中、降り続ける雨をかろうじてしのげるような大木の中で、
リンクはロイの怪我の手当てを終え、できるだけ明るく、言った。

エリウッドが、マルスとガノンドロフが手を組んだ、という事実を告げて去った後、
とりあえずお互いの怪我をどうにかしてしまおうと、リンクは森の中に入った。
森の出口からそう離れていない場所に、幸いにも、それはあった。
古い、大木。太い幹に、人一人がなんとか入れそうな、穴が開いていたのだ。

重症のロイをそこに押し込み、最初にやったことは、ハートのうつわを使うこと。
貴重で高価なものだということもあり、あいにくと手持ちは一つしか無かったので、
それでも癒しきれなかった部分は、服の裾なりロイのマントの裾なりを千切って、
簡単な手当てを施した。
自分でつけた傷を、自分で手当てするというのも、おかしな話だと、
ほんの少し、情けなくなってしまったが。

「……ロイ。…大丈夫か?」
「………。」

顔を曇らせて、神妙に問う、リンク。
ロイは先程から、一言も喋らない。

もうずっと前に、滅ぼした国。
逃がした禍根。
それを招き入れた、自分達。
   何も知らないような笑顔を見せて。

エリウッドが言ったことを、信じていないわけではないが、
どうしても頭が、理解することを拒絶していた。
信じられない、信じたくない   マルスが自分達を恨んでいる、ということを。
半ば傭兵団と化していたあの勢力は、
けっして平和な生活が続いていたとは言えないが、
だからこそ毎日のささやかな日常が、穏やかな時間だったのだ。
花を愛で、空を眺め、ふわふわと微笑んでいたマルスにとって、

   あれは全て、苦痛に満ちた、偽りの時間だったというのだろうか。

「……俺…、」
「!」

何を言えばいいのかと、ずっと考えていたリンクより先に、ロイがふ、と呟いた。
考えながら言っているというよりは、思いついたことをひたすら述べているように。

「……あの人の、素性とか、聞いたこと、無かった。
 ……訊いても、いつもはぐらかされるから、知らなかった」
「………」
「…そうだ、そうだよ、俺…、あの人のこと、何も知らないのに、
 …なのに、俺だけ…、俺は、あの人の支えになれてると、思ってたんだ、」

うつむかせた顔。リンクからは、ロイがどういう表情をしているのかわからない。
ただ、言葉の端々から、嫌と言う程、胸の奥が伝わってくるような気がした。
頭に思い浮かぶのは、二人が一緒に並んでいる景色だ。
ロイとマルスは、それ程一緒にいた。少なくともリンクには、そう見えた。

ロイが負けそうになれば、マルスが支えて。

そして、マルスが悲しそうに顔をうつむかせれば、ロイがそこにいた。

「……奪ったのは…俺だったのに…。
 ……自惚れだったのか? …マルス、は…」
「………。
 ……なあ、ロイ」

ロイの呟きを遮断するように、リンクがロイの名前を呼んだ。
顔を上げようとはしないが、リンクは続ける。
頭の中には、まだ、赤と青の景色が続いていた。…だからこそ、だ。

「お前は、信じられるのか?」
「……え…?」
「マルスがオレ達を、恨んで、憎んで、殺意を抱いてる、って」

ゆっくりと、ロイはようやく顔を上げる。
違う。こんな少年に負けたんじゃない、自分は。
もっと、もっと。
リンクは更に続ける。

「オレは、そうは思えない。オレの目には、そうは見えないからだ。
 お前は確かに、あいつの支えになってたよ。…そう、思うんだ」
「………でも…、」
「いいから黙って聞け。…じゃあお前は、信じたいのか?
 ロイの親父さんが、嘘を言ってるとは思わない。だけど、」

例え矛盾していても、それだけが変わらない。

「オレ達は…、まだ、マルスに、会ってないんだ」
「………っ、」

息を詰める気配。リンクは真っ直ぐにロイを見る。
無茶な論理だとも、わかってはいる、けど。

「…じゃあ、何だよ。…マルスから聞かないと、信じられない、って?」
「言ったろ。ロイの親父さんを、疑ってはいないよ。
 でも…、オレ達は、マルスに会ってない。
 せめて、マルスに会うまで、マルスのことも、信じて、いいんじゃないのか」
「…信じる…、」

それは。
とても難しい、心の名前だ。

「…マルスを一番信じているのは、お前だよ。ロイ。
 …だからそんな風に悩んでるんだろ?」
「………」
「なら、どっちも信じればいい。
 ロイの親父さんのことも、あいつのことも」

そう言って、リンクは立ち上がる。
上がる視線を、ロイは追いかけた。
深い森。その向こうに、灰色の重たい空。
そして真っ直ぐに降る、雨が見えた。

「決めろって、言ったのはお前だ。
 …オレは自分の決めたことを、まだ守っていないから。
 マルスに会うことは、目的の一つだ。
 だから、行かなくちゃいけない」

雨の中。
苦戦していた自分を、マルスは助けてくれた。
たったそれだけの証拠だけれど、
信じられない。
はずが、ない。

「…リンクは、不安じゃねーのか」
「不安だよ。でも、ただの危惧かもしれないだろ?」

その可能性は、低いかも、しれないけど   

「………そう、…だ、な…」

ぽつり。と、ロイが呟いたのを、聞き逃さなかった。

「…うん。…そう、だな。…だって、マルスが…。
 …マルスが、できるわけない。
 …殺したい程憎んでる相手と、笑ったりできる、なんて」

それは。
少し前までの日常の記憶だ。
からかえばからかう程照れ隠しに怒って、
その後はふんわり微笑んでいるような。
そんな光景が、浮かんで見えた。

「…もしかしたら、マルスが、無理をしているだけかもしれない。
 …無理をして、戦おうとしてるだけなのかも、しれない」

マルスならやりかねない。
自分の気持ちに嘘をつくのが、誰よりも得意な人だから。

ロイの瞳に、いつもの光が戻ってくる。
何度落ちても、何度悲しみに襲われても。
必ず色の戻ってくる、炎のような瞳。

「だったら…助けなきゃ、いけない。やっぱり、俺は、あの人を」

もしもマルスが、一人で葛藤と戦っているのなら。
もしもマルスが、戦うことを望んでいないのだったら。
小さな可能性が希望になる。
どうか、叶いますように。

「…リンク。ごめん。俺、弱気になってたみたいだ」
「いいよ、別に。…行くか?」

押し込まれていた大木の中から、ロイは立ち上がる。
立ち止まるわけにはいかない。ようやくここまで来たのだ。
自分の無力のせいで、マルスを連れ去られてから、ずっと。
謝らなければいけないと、思っていたから。

自分がずっと、彼を傷つけていたのなら。
そのことも。

「…ああ!」

雨の中、嫌いな匂いに負けないように、ロイは歩き出す。
既にぼろぼろのマントには、血や泥がはねていたが、
今はそれが、逆に少し、頼もしく感じられる気がした。
そう、いつだって、世界は残酷で、雨は冷たい。
けれど立ち止まるわけにはいかない。

リンクはその背中を見ながら、満足そうに微笑むと、
ロイの後ろを、ゆっくりと歩き出す。

その望みが、かすかなものだと。
あまりにも儚い願いだと。
可能性が低いものだと。

二人は確かに、気づいている。

でも、それを顔に、表情に、声に出さないのは、
希望を失いたくないからだ。




   ******




「…っくそ…、…用意周到なんだから…!」

少し前までマルスが捕らえられていた牢獄から、幼い声が聞こえた。
冷たい地下牢に響くそれには、いろいろな感情が込められている。
怒り。苛立ち。苦しみ。嘆き。   悲しみ。
自分も昔、そんな顔をしていたのだろうかと、ぼんやりと思い出してみたが、
頭の中に霧が立ち込めているような感覚がして、思い出すことはできなかった。

「…リンクを…。リンクを、止めなくちゃ…!」

必死な声だ。その声には、大切に想う人への気持ちが見えている。
羨ましいな、と思ったけれど、もう、後戻りはできない。

「…そこにいるひと! マルスさんでしょう!?
 いいから出てこい!!」

声が、自分を威嚇する。
隠れる必要も、ゆっくり足音を忍ばせる必要も、どこにも無いと。
これは、正面切って戦ってやる、という、意思表示。
強い強い、思い。

かつん、と、ブーツのかかとを響かせながら、
マルスはピカチュウのいる牢獄の前に、現れた。

「………」
「こんにちは。って、言ってる場合でも無いけれど」

マルスの深い、藍(あお)の瞳が、真っ直ぐにピカチュウを見つめる。
それはどこか空ろな、ガラス玉のように、思えた。
いつものように綺麗な顔をしているけれど、だけど。

ピカチュウは鉄格子に張り付き、マルスを睨みつけたまま、話を続ける。

「知っていたよ。あなたが、あの時の落しものだって」
「………」
「だけど、どうしてあなたは今、ガノンさんの言いなりなの?」
「………」

かつん、と、ブーツのかかとが響く。

「僕はあなたが、戦いたがっていると、思いたくない」
「………」
「だって、あなたは      
「………だから…」

ぽつり。と、マルスが呟く。
シャリ、と小さな音をたてて、真っ直ぐに抜かれる銀色の剣。
鉄格子の間を抜けて。


その先が。
真っ直ぐに。



      っぅあ…ッッ!!」



小さなからだを、真っ赤に染める。



言い表せない、不穏な物音をたてながら。

「……っ、ぐ…!!」
「………やっぱり、ピカチュウは、すごいな。
 ………なのにどうして、わからないんだ?」

倒れる小さなからだ。どくん、と、鼓動に合わせて、赤が広がっていく。
冷たい石の床に向けた細い剣の先からは、ぼたぼたと、血が落ちて。

マルスの顔は、それでも、人形のように動かなかった。

「マル…ス、…さん… あなた…っ!!」
「…ガノンさんの、言いなりなんかじゃない。
 これは僕の意志だ。僕はもう、戻れない」
「…違う…ッ、…つ…、……!!」

ぎり、と、剣の柄を強く握る。
身体は震えない。心は動かない。もう、微笑みは、浮かばない。

意識が、遠く、なっていく。

「…違う、違う! マルスさん…、…ッ、」
「…あの頃は、力の無い子供だった。だから、僕は奪われた。
 …今の僕には、それなりの力がある。
 …だから、力が許すぶんだけ、奪いにいく」

ふわりとマントをひるがえして、マルスは鉄格子に背を向けた。
背中に、ピカチュウが叫んでいる。
声もだんだん途切れていく。だけど、行かせては、いけない。

「駄目だよ…、間違えないで…っ」
「………」
 …リンクも、エリウッドさんも、ロイさんも、他の人も、みんな…!
 あなたが好きだし…あなたも、笑っていたじゃないか…!」
「………いいんだ。もう。…もう、戻れないから」

声が遠くなっていく。意識が離れているだけじゃない。
石の床の冷たさと、床に流れる真っ赤な命のあたたかさ。

「リンクは、僕の、大切な人を殺した」

それは、あまりにも突然の眠りだった。

「エリウッドさんは、僕の、ずっと隣にいてくれた二人を殺した」

それは、今でも夢に見る光景だった。

「…ロイは、僕の、親友を殺した」

それは。
それは      …。

「………っ…、」
「きっとあの時からもう、戻れなかったんだよ。
 だけどみんな、無理をしていた。終わりにするべきだ。
 みんなか僕かのどちらかが、奪わなければ」

マルスは石造りの廊下を歩く。自分が傷つけた誰かの声が離れていく。
大丈夫だ。傷つけても、けっして心が揺るがない。
言葉も無視できる。何も感じない。
まるで心が、からっぽになってしまったようだ。
やりやすいなら、それでもいいと思った。もう、微笑みも浮かばない。

「………」

名前を呼ばれた気がして、マルスは一瞬立ち止まる。
暗い地下牢から、明るい廊下へと出る繋ぎ目で。
振り返っても、声は聞こえない。
もう、誰もいない。

「………おやすみなさい」

ぽつり、と口にする。その言葉は、優しい魔法のようだった。
ほんの少し、瞳を伏せて。

マルスは、その場所を、後にする。


















「………………っ……え…?」

地下牢に、誰かがいた。
鉄格子の向こうで、たったひとつ、倒れているもの。
それを、鉄格子のこちら側で、誰かが見ている。

「………………おにー…たん…」

幼い声が、震えている。怯えと悲しみ、いろいろなものに包まれて。
だけど、呼んでも、それは動かない。
目を、開けない。

「…おにーたん…おにーたん!! おにーたん!!?」

鉄格子のこちら側で、必死に名前を呼ぶ。
その幼い声が、地下牢いっぱいに響いても、それは動かない。

「…おにーたん! …なんで…っ、…おにーたん!!
 …おきてでちゅ、…おにーたん…っ…」
「殺したのは、王子だ」
「!!!」

ふいに後ろから声がして、ピチューは振り向く。
そこに立っていた誰かは、淡々と言った。

「殺したのは、王子だ」
「…マルス…おにーたん… …でちゅ…?」
「殺したのは、王子だ。
 人間が、殺した」
「……マルスおにーたんが…? …ぴちゅ…っ、
 ………ころした… …人間…、」

こわれたからくりのように続く冷たい声が、頭の中まで冷やしていくようだった。
混乱していた頭の中が、だんだん静かになっていく。

「そうだ。人間が、殺した。お前の、兄を、人間が」
「……人間…。…ころ、した……人間…」

静けさが。
やがて、怒りへ。悲しみへ、憎しみへ。

彼の言う、“王子”と、同じように。

「…ガノンドロフ様から、お前に命令だ。
 …人間が来る。…殺される前に、殺せ」
「…ころす……殺す、…人間…」

ゆっくりと、鉄格子の向こうを見る。
倒れている、小さなからだ。真っ赤に広がる、あれは、真っ赤な血の色。
息をしていない静けさ。伏せられて開かない瞳。

人間が      殺した。

「………殺す…、…人間…。」

ふらふらと、倒れているものより更に小さな身体で歩き出す。
大きな瞳には、涙の色と、煮えたぎるような別の色が見え隠れしていた。
言われるまま、それは子供の素直さだ。
そしてここは、戦場だ。

必要なのは憎しみだ。誰かを倒したい、殺したいという想い。
暗い気持ちが誰かを動かす。だから、戦場と言うのだ。

小さな、小さな背中が。
何かを追いかけるように、地下牢から消えていく。

「………」

地下牢に残った、小さな子供に『殺せ』と言った誰かが、まだそこに残っていた。
その誰かは、鉄格子の向こうを見つめたまま。

「………」

真っ赤に広がる、赤い色を。
鉄格子の冷たさを。
それとは知らず、感じていた。




雨に包まれた戦場が、これからどんな未来を見つけるのか。

誰も知らない。
希望が叶うのか、絶望が叶うのか、
優しさがついえるのかさえも。



「背中を押す」「負の感情を押す」の意で。

必殺「投げっぱなしで後はどうにかしよう作戦」。
早く終わらせるためにちょっと急ピッチでお送りしております。
よって多分かなりわかりにくくなってます。…ごめんなさい。精進します。
とりあえず事態は、ピチューの洗脳に成功しています。

もうもう、一度でいいから、負の感情に支配された王子を書きたかったのです。
それでもちゃんとハッピーエンドを考えてます…多分(多分?)。