084:ハニー
「なあマルス、」
「…うん?」
ソファーの背もたれに腕を突き立てて、マルスを上から覗き込みながら訪ねる。
本に向けていた顔を上に向けると、ロイとの顔の距離は、思っていたより短い。
外には早くも小雪がちらついており、薪の爆ぜる音の立つ暖炉の火が、温かかった。
「マルス、欲しいもの無い? 前も訊いたかもしんないけど」
「欲しいもの?」
何でいきなりこんなこと訊くのだろう。
そう思ってマルスは、リビングのカレンダーに、さりげなく目を向ける。
カレンダーは、赤や緑、金銀でかなりカラフルな絵のある、12月を示していた。
ようするにロイは、来たるクリスマスに向けて、こういうことを訊いているわけなのだが、
マルスはあいにくと、「クリスマス」という行事を、未だ耳にしたことがなかった。
じゃあ何でロイが知ってるんだというのは、
そこはそれ、人との会話の数や、好奇心云々…といったところで。
「そ。欲しいもの。ある?」
「…ある」
「! 何なにっ!?」
「時間とアリティアの恒久の平和」
「………」
マルスの返答には相変わらず、恋人同士のムードもへったくれも、更に言えば色気すら無い。
ロイが、はあああぁっ、と肩をがっくりと落としたのも束の間、
「…まあ、それも欲しいけど」
「…『も』?」
そんなロイの様子を見て、マルスはくすくすと笑う。
からかわれているようなその笑い方が気に食わなかったが、
何しろ滅多に見せてくれない笑顔だったので、
その笑顔に魅了され、何も言えなくなるのも早かった。
「…あれ。最近、商店街でかかってる、曲が欲しいな」
「は? …曲?」
ふ、と静かに目を閉じて、マルスが静かに言った。
ロイが、首を傾げる。
「商店街で最近、曲がかかってないか?」
「えー…? ……… …ああ! うん、あれだな、あのキレイなやつ」
「多分、それ。聴いていると落ち着くから、あれが欲しいな」
「……むずかしーな」
「だろうな」
髪をがしがしと掻き乱すロイを、再びマルスは笑う。
今日は機嫌がいいらしい。
雪が降ってるからなのか、部屋が温かいからなのか、どうだか。
ひとしきり笑って、それを咎めたロイをなだめて、
マルスは一息ついた。
「…後、そうだな、」
「?」
「いつも、当たり前に傍にいる、優しい恋人が欲しいな」
「………」
それを聞いて、
ロイは思わず、
身を硬くした。
それはどういう意味なんだ。…それは、どうとればいいのか。
頭の中を延々と、ぐるぐると、色々な思いが交錯して。
「…あのー、マルス」
「何だ?」
おずおずと訊ねると、マルスは既にいつもの無表情に戻っていた。
本を片手に、いかにもつまらなそうにロイを見る。
「…優しい恋人が欲しいって?」
「そうだな。一応僕だって、人間だし、男だし」
「…女顔… ……だっっ!!」
「黙れこのバカ!! …気にしてるんだからな、これでもっ…!」
ぼそっと呟いたら、やっぱり本が飛んできた。
ああ俺ってちょっと危ない体質なのかもー、と、ロイがぼんやりと思う。
飛んできた本を拾い上げ、マルスに返す。
灰色のハードカバーはいつもより厚くて、角で殴られなかっただけマシだったかもしれない、
…と、そんなことも思った。
「まあまあいいじゃん、可愛いってことだし」
「男に可愛い、なんて言って楽しいか?」
「あんただから楽しいんだよ。…それはともかく、」
「?」
すっかり機嫌を損ねたらしい、本に目をやるマルスの肩から首に、
後ろから両手を絡め、そっと引き寄せた。
顔の横から本を覗くと、難しい内容だったらしく、一気に頭が痛くなった。
「優しい恋人?」
「僕の安息の時間を邪魔しないような人がいいな」
「……。…優しくするからー」
「何が」
「色々」
「色々…?」
「うん」
「……。…じゃあ今すぐに、この腕を離せ」
「やだ」
「……。…お前、」
「なーマルスー、俺じゃ駄目ー?」
「どういう意味だ?」
「俺じゃ優しい恋人は駄目かって」
「いつ誰が、お前が恋人だって言ったんだ?」
「俺が、あんたは俺の恋人だーって言った」
相変わらず絶対の自信を持って、ロイはきっぱりと言う。
…頭が痛い。
「…そんなことはともかくさ、」
「………」
「…マルス、やっぱり、俺のこと、好きじゃない?」
「………」
俺だって傷つくんだぞー、と、髪に口づけながら、耳元に近く、囁いた。
一瞬身を強張らせたマルスを、できるだけ優しく抱きしめた。
「…あのな…、」
「、」
ふと、腕に、マルスの指が触れた。
再び上からマルスを覗き込んだロイと、視線が合うように、マルスは顔を上げた。
「…好きじゃなかったら、…こんなことはさせてないから」
「……本当?」
「僕がいつも、何だか知らないけど声をかけてくる男に、どういうことしてるか、知ってるだろ」
「……死なない程度に斬ってた」
「だろ?」
「……俺のことだって、病院送りにしてるくせに」
「それとこれとは別だ」
手間のかかるやつだな、と、マルスは言う。
本を傍らに置いて、両腕をそっと上へ伸ばした。
ロイの頭の後ろで両手を絡めて、そっと引く。
そして、ロイの唇に、軽く、キスをした。
「…………、」
触れてすぐ離れるだけの、簡単なキスだったのだけれど、
「…マ、…ルス、」
「…他の誰かに、こういうことはしないからな。僕は」
「……〜〜っ…」
「……? ロイ?」
マルスを真っ直ぐ見たまま、顔を真っ赤にしているロイ。
…どうやら照れてるらしいのだが。
「…あ、の、」
「ロイ? …どうしたんだ? 熱でもあるのか?」
「…あんたがっ…」
「お前だって、いつもやってるだろ。…僕がやっちゃ、いけないのか?」
「いけなくない!! いけなくないけど!!」
「ならいいんだ」
ふんわりと、マルスが笑う。
絶対他の、誰にだって見せたくない、そんな微笑みに。
「……反則だ…」
「?」
「…ずるーっ…」
「…?」
そんなカオされたら、言いたかったことだって言えないじゃないかと、
ロイはそれこそその場で押し倒したくさえなりそうな、逸(はや)る思いを、
必死で押さえつけていた。
それは12月上旬、小雪のちらつく日のできごと。
長期ネット落ち前最後のおきみやげです。
純情少年なロイと、少し男っぽいマルスが書きたかったのでした。…甘っ…。