077:大暴れ




…よぉ。初めまして、俺の名前はロイ。あんたは?
………。
……ふぅん…。
俺の“世界”じゃ、あんまり聞かない名前だなぁ…。
…まぁ、そんなことどうでもいいんだけど。

じゃあ、うん。
折角話しかけてくれたんだし、ちょっと話そうか?


   ******


まさか自分が、自分と同じ男に、本気で惚れる日が来ようとは思ってなかった。
でもまあ相手があの人なんなら、誰もおかしい、とは思わない…ハズなんだ。
…え? どんなやつかって?
髪とか青くてさらっさらで、そりゃあもう、すっごい美人なんだ。
見たことない? よく、公園らへん歩いてるよ。
ちょっとからかうとすーぐ赤くなって、可愛いし。言ったら怒るけど。
名前は、マルス。響きよくて、俺は好きだよ、あの人の名前。

…で、うん。
何か、聞きたいことある? 答えられることなら、何でも答えるよ。
…あ、言っとくけど。
「マルスをお嫁さんにちょうだい」、とかは駄目だからな!!
もちろんお婿さん、とかも却下。マルスは俺がお嫁さんにもらうんだっ。
…あぁ!? そんなの無理に決まってるじゃん、だって!?
いいんだよ夢はデカイ方が!!

…ったく…。
…ああごめん、話がそれた。で、何か聞きたいことはあるのか?

…うん、…うん。
…初めてキスしたのはいつか、って? …結構コアなこと訊くな…。
まぁいっか。

初めてキスしたのは、確か、会ってから三か月くらい経った時だよ。
一か月は、まだまだオトモダチ。
二か月目で、さりげなーく手握ってみたりとかしてみて。
で、いつまで経っても俺の気持ちに気づいてくれなかったら、
何と言うかまあ…、…その、うん。勢いでやっちまったっつーか何つーか…。

…な、何だよその目は。
…無理矢理だったんじゃないか、って? ………。
…し、仕方ねーだろ、俺16歳の男だぞ!?
ああそうだよ、無理矢理だったんだよ!! 悪いか!!
…いや、悪いんだけどな。うん。
流石に反省してる。

で、何だっけ。…ああハイハイ、初めてキスした時のこと、だったな。

別にさぁ、キスした直後は良かったんだよ。
不本意だけど、あの人、何が起こったか全然わかってなかったみたいだったし。
でもさー…あの人、あの通りの性格だからさ…。


…大変だったのは、その後だ。
要するに、初めてキスしてから一日二日経った、その後。



   ****** *** ******



庭の芝生が、冬を経て、青々としてきた。
空気は未だ冷たいが、日差しはもう既に暖かく、気分までうきうきしてくる。
外の散歩を楽しんできて、上機嫌なまま玄関に入ってきたロイは、
今まさに廊下を横切ろうとしていたマルスを、瞬間的に見つけた。

「あ…、」
「…? ……っ!」

その後は、早いものだった。
ロイはブーツを脱ぎ、紺色のスリッパを履くと、
本当にスリッパで走っているのかと疑うくらいの速さで、
廊下に立っているマルスに駆け寄っていった。
フローリングの廊下を蹴って、がばあぁっ、とマルスに跳びつこうとする。

「…マールス      ッッvv ただいっ…」
「うるさい黙れ、近寄るなっっ!!!」


げしっっ。

……ロイの腕の間を縫って、ロイの顔面に、マルスの右ハイキックが決まった。
有無をも言わさぬ速さで。
マルスに跳びつこうとした身体が、マルスの足によってその勢いを止められ、
ずるずるずると、廊下に崩れ落ちる。

「…ふん…、」
「……ってぇなぁっ、何すんだよマルスッッ!!」

しかしロイは、このくらいではめげなかった。
顔にくっきりと赤いスリッパ跡を残したまま、勢いよく上半身を起こすロイ。
が。

「何するんだ、はこっちの台詞だ!!」

マルスのはっきりとした拒絶の台詞と共に、今度はロイの後頭部に、
かかと落としが降ってきた。
マルスの腰に提げられた剣が、ベルトにぶつかって音をたてた。
その一瞬後、
ロイの顔面がモロにフローリングの廊下とぶつかって、がごっ、と何だか不吉な音がする。

「………」
「…言わなかったか? 確か一昨日の、夕方くらいに。
 今後一切、食事の時を除いて、僕の半径2メートル以内には近づくなって!!」

床に突っ伏して動かなくなったロイに、マルスは罵声を浴びせる。
ちなみに『食事の時を除いて』というのは、
食事の時まで入れてしまうと、ロイとマルスのどちらかが、
部屋の隅っこで一人寂しく食べなくてはならないからだ。
食事の時間は全員で仲良く、というのが鉄の掟であるこの屋敷で、
そんなことは起こしてはいけなかった。

しかしやはり、ロイは無事だった。何という強靭な頭。
ちょっと涙ぐみながら、ロイはよろよろと顔を上げた。

「……そんなん、マルスが勝手に決めたんじゃんか〜…」
「…あれは、お前が悪い」

すたすた歩いて、ロイから2メートル半の距離を取り、そしてロイに言う。
ふいっと視線を逸らすマルスに、ロイは更に近づこうとする。
後頭部を手で押さえながら(流石に痛かったらしい)、ふらふら立ち上がって。
そして、ずんずんとマルスに近づいていった。
それから逃げるように、マルスが徐々に後ろに下がっていく。

「何だよ、いいだろ別にキスの一つや二つ」
「いいわけないだろ!!」
「何でー?」
「お前っ…、得体の知れない男にいきなりキスされて、
 別にいいか、って許せるのか!?」

不満そーに、そして気楽そーに問いかけをするロイに、
マルスはあくまでも手厳しく答える。
言い合いをしている間にも、ロイはマルスに近づいていくし、
マルスは後ろ向きに下がりながら、ロイから逃げている。

「得体の知れない、って何だよー…別に得体知れないわけじゃないだろ」
「自分と違う“世界”の人間だってだけで、
 充分『得体の知れない』、だとは思うんだがな…」
「…そうかなぁ…」
「…って、そういう問題じゃない!! だから、……っ、?」

どんっ、と、…マルスの背中に、何か、当たった。
何だろう、と考えるのも刹那で、
……マルスの目が、焦りに見開かれる。

「…マルスにしちゃあ、随分らしくないミスしてんじゃん…」
「………!!」

くすくすと、意地悪く、楽しそうに笑うロイ。

後ろ向きに、真っ直ぐな廊下を下がっていたのだ。
そのうちに行き止まりまで辿り着き、壁にぶつかるのは、時間の問題だった。
要するに今マルスは、
完全に、ロイに追い詰められた、というわけで。

壁に後ろ手をつき、背中を壁にぴったりとくっつけた。
もう、これ以上は逃げられなかった。

「別に、捕って食おーって言うんじゃねーんだから。
 そんな風に逃げなくてもいいだろ」
「……っ…、…や…、」
「…だーかーら、そんなに怯えなくてもいいんだって。
 そんなロコツに怖がられると、結構落ち込むんだぜー?」

がっかりした様を装いながら、ロイはどこか楽しそうに、マルスに手を伸ばした。
ロイの指がマルスの顎を捕らえた瞬間、マルスが、びくん、と身体を強張らせた。
思わず、反射的に閉じてしまった目を、そろそろと開ける。

「……それとも、そんな風に無防備なカオ晒して。
 …俺のコト、誘ったりしてる?」
「………っ…!」

目を開けた先、かなりの至近距離に、ロイの顔があった。
その顔に浮かぶ表情は、ひどく意地悪そうな、恐ろしい、と表現できる笑み。
ロイの碧の瞳に見え隠れするのは、
子供の無邪気さと、獣の欲望とを両隣にした感情。

マルスが無意識に、手をぎゅっと握った。
ロイが、マルスの身体を覆うように、壁に手をついた。

「言っておくけどな、俺だって傷つくんだからなー?
 そんなにキスされたの嫌だった? なら、もっとしてやろうか?」
「……な…、」
「いっぱいキスすれば、嫌じゃなくなるかもしれないな。
 …というわけで、じゃあ、しようか? ちょうどいい立ち位置だしーv」

一回しちゃえば、二回も三回も変わらない。
にこにこと笑いながら、さらりとこんなことを言ってのけた。
右手でしっかりとマルスの顔を支え、つい、と顔を近づける。

「……ロイッ…、」
「何? …あのさ、本気で嫌なら止めるけどさ。
 この状況で、遠回しに嫌とか言っても、駄目だからな。
 言いたいことがあるなら、直接言わないと」

そんなことを言いながら、ロイとマルスの顔の距離は、もう程無く無くなろうとしていた。
互いの吐息がわかる距離。
いたずらな光を隠したロイの瞳を直視できなくて、
マルスは再び、目を硬く閉じた。
してやったり   と、勝ち誇った笑顔で、ロイはマルスを見る。

後はもう、勢いにまかせて何でもしてやればいいと、
内心かなり上機嫌に、顔に触れた先の指で、マルスの髪を弄んだ。
大きな身長差を埋める為、ロイがさりげなーく背伸びをした。

しかしこの時、ロイはすっかり忘れていた。というか、気づいてなかった。

「……ロイ…っ、」
「んー? 何だよ今更」

この話の冒頭らへんで、マルスがロイにかかと落としをお見舞いした時、
こんな記述があったハズ。
   マルスの腰に提げられた剣が』、と、こういう記述が。

「………っの…、」

そう。
   マルスにはまだ、この場を切り抜けられる、術がある。

「………いい加減にしろっ、このバカッッ!!!」




ひゅんっっっ!!



………。

「……………」
「……………」

一瞬の金属音の後、空気を一直線に切断する音が聞こえた。
更にその一瞬後で、
……ぱらぱらと、ロイの前髪が少しだけ、床に落ちた。

「………な…、」
「……っ…、」

思わず跳んで後ろに下がったロイの目の前には、
肩で大きく息をする、つい先程まで自分の腕の中に収まっていた、
マルスの姿。

「………な、にっ…」
「…お前が…ッ、」

   その手にはしっかりと、あの、細身の剣を握って。

「……すんだよっっ!! 危ねぇだろそんなもん至近距離で持ち出したら!!」
「お前が悪いんだろ!! いい加減にしろ、このバカッッ!!」

ようやくこの場の状況を悟ったロイが、勢いよくマルスにつっかかった。
が、マルスはまったく引かなかった。
剣を構えたまま、今度はマルスがロイに詰め寄る。
2メートルの条件はいいのだろうか。

「人が大人しくしてれば…、調子にのってっ…」
「…な、何だよっ…」
「…誰が、お前なんか好きになるか…ッ」
「…ま、待てマルス!! ごめん俺が悪かった!!
 だからっ… …この距離は当たる!! マジで死ぬから、ソレ!!」

下を向いてぶつぶつ言っていたマルスが、ぎっ、とロイを睨んだ。
両手で剣の柄を持って、頭上高く上げているその姿は、

   さっきのロイなんかよりも、ずっとずっと、恐かった。

   お前なんか、一回死んで生まれ変わった方が世の中の為だっっ!!」
「っ…!! うっ……」

もう一度、空気を斬る音。
   二人の距離に、邪魔は無い。

「……うわあああぁ                  ッッッ!!!」



   ****** *** ******



………と、まあ、こんなことがあったわけで。
実はその後1週間の記憶は無くて、気づいたら病院にいたりしたんだけど。

あれ以来しばらく、近づくだけで剣なんか持ち出すし、
殴られるわ蹴られるわ斬られるわ、しばらく怪我だらけだったんだよなぁー俺。
あははははっ。
……何だよその目は。自業自得? …るっせーな、わかってるよそんくらい!
ヤケになるなって?
ヤケにならずにいられるか!!
だってあれから一か月、マトモな会話してもらえなかったんだぞ!?
バカバカ言いまくるし。
挙句の果てにはピチューに、
「ロイおにーたんのお名前、『バカ』っていうんでちゅか?」
   とか訊かれるしな!!

ああもうっ、そんな目で見るな!
わかってるよ、俺が全部悪かったよ!!
流石に反省してます、はい!
これでいいだろ!? …いや、全然良くないか。

ともかく、俺にとっちゃ初めてのキス、とかより、
そっちの方がよっぽど思い出に残ってるよ。
結局あれから、キスなんていっぱいしたしなぁ…はあ。

…まあ、そーいう乱暴なトコが可愛いんだけどな。あの人は。



…と、じゃあ、俺はそろそろ行くから。
え? 何があるって…
マルスと約束してんだ。夕飯の買い物。

ありがとな。
何か、色々、話聞いてくれて。ちょっと楽しかったよ。

またこの辺うろついてるから。気になったら、また話しに来てよ。
マルスにも、ちょっかい出してみな? 楽しいぜ、反応可愛いから。
あ。
何度も言うけど。
「お嫁さんになって」、は却下だからな!! お婿さんも不可。
これは言っとく。

   っと、もう行かないと、本当に遅れるな…。
うん。
今度はさ、お前の話も聞かせてな! 何でもいいから。

うん。
…うん、わかった。


じゃあな!



大暴れ。…マルスが。
この後しばらくマルスは、片時も剣を放しませんでしたとさ、…とか。
ロイがえらく鬼畜ですが、果たしてこんなロイはありなのでしょうか…。
…ていうか、長くて申し訳ございませんっ…。