076:シュークリーム
「…よし。焼けたーっと」
オーブンが予定通りの時間を報せた後で、ロイはイスから立ち上がった。
キッチンミトンを手にはめて、そぉーっと、オーブンの扉を開ける。
手乗りサイズの生地がふくらんで、ちょこん、と6つ、トレイの上に乗っている。
トレイをオーブンから取り出して、ロイは一息ついた。ミトンを外す。
ちょっと時間をおいてから、ロイはナイフを手にとった。
かたちを崩さないように注意しながら、およそ丸い焼けた生地に、切れ込みを入れて。
ナイフを、危険が無いように置いておく。
「後はー…」
ボールに作っておいたカスタードクリーム。
絞り袋に入れて、切れ込みに絞れば、それで。
「…っ、と。よーし、終わりーっ!」
絞り袋を握り締めたまま、小さくガッツポーズなんかして。
ちょっぴり焦げた、シュークリームが完成した。
「ああ、結構上手くいくもんだなー。ちょっと焦げたけど。
まあ、初めてにしちゃー上出来だろ。たぶん」
シュークリームを6つ、お皿に乗せて。
うきうきと、ロイはキッチンからリビングへと、向かう。
出っ放しのイスを足でどけて、
ロイはテーブルに、シュークリームの乗った皿を置いた。
「んっとー…」
赤いポケットのついた、紺色のエプロン姿のままで、ロイは辺りを見渡す。
どうやら誰かを探しているらしい。おそらくは、シュークリームに関係のある誰か。
窓の向こうの子供達が走り回っているのが見えたが、今は子供達には、用は無い。
庭の隅の四角い庭に、ポポとマルスを見つけたが、とりあえずそれも今は置いておく。
どこに行ったかな、と思い始めた、その時。
「あ、ロイくん。できたの?」
「ナナ。どこ行ってたんだ?」
キィ、とリビングの扉を開けて、ナナがひょっこりと顔を出した。
「もう少し時間かかるかなと思って、部屋の片付けしてたの」
「そっか。で、うん。できたぜ、ほら」
「本当? 見せて見せて」
急にいなくなってごめんね、と謝るナナを、ロイは笑って許す。
テーブルに置いた皿を片手で持ち上げて、示してやると、
ナナは嬉しそうな顔をしながら、ロイの隣へやってきた。
ロイより少し高い背丈。素朴な茶色の髪を肩から落として、
シュークリームに、目を向ける。
「わー、いい匂い。本当に初めてだったの?」
「ああ、そーだけど。俺、お菓子作りだけは得意だしな」
「そうだね。ロイくんのお菓子、おいしいもんね」
「…だけ、ってとこをちょっとは否定しろよ」
「…あ、そっか。それだけじゃないよね、…うーんと…、」
口元に手をよせて悩み出したナナをじろ、と睨んで、
何でそこで悩むんだよ、と、ロイはやや不満そうに言い募る。
ナナは軽い調子でごめんね、と言って、
やがて二人は顔を見合わせ、冗談みたいに笑いあった。
「ちょっと焦げてるね」
「ああ。多分、ちょっと焼きすぎたんだと思う」
「そっか。でも、気になるほどじゃないよ」
じーっとシュークリームを見ながら、あれこれと話すロイとナナ。
話しながら、ロイの手は、テーブルの上を彷徨った。
置きっぱなしの本…表紙に「簡単! 気になるあの人へ素適なお菓子」と書いてある…を、
こちらに持ってくるためだ。
材料を書いたメモが挟んであるページをめくると、そこにはシュークリームの写真。
それと現物とを見比べながら、ロイはナナに話を始めた。
「で、お前が気にしてたとこなんだけどさ」
「うん」
「結構、力押しでもいけるっぽいぞ。少なくとも俺はそう思う」
「へー…。そうかあ、うん、ありがとう。そこが知りたくて」
「まあ、俺はいいけどさ。…あ、これ、折角だし食ってみろよ」
「あ。うん」
お菓子作りにはたして力押しという単語が必要なのかと思うが、そこはそれ。
二人にしかわからない感覚というのがあるらしい。
この屋敷でお菓子作りが好きなのは、ロイとナナ、そしてルイージだ。
ルイージは今日は、マリオと一緒に屋根の修繕など行っているため、
ロイとナナの二人で作っているらしいのだが。
できたてのシュークリームを、ナナは崩さないように口にする。
香ばしい匂い、さっくりと、おいしそうな音がする。
「うん、おいしい。やっぱり、ロイくんのお菓子、おいしいね」
「それはどーも」
ナナがにっこりと笑うのにつられて、ロイも嬉しそうに笑う。
それはとても和やかな、一部の人から見ればそう、
とても仲の良い恋人同士のように見えた。
***
「…うん、これで終わり。ありがとう。ポポ」
「………」
「…ポポ?」
「………えっ、…あ、ああ、はい。まだどっか残ってました?」
「…聞いてなかったんだな?」
くすくすと、小さな笑い声をたてるマルスの前で、
ポポは申し訳無さそうに視線を彷徨わせた。
別に怒ってない、とマルスが言うと、ポポはごめん、と謝って、
主にマルスが世話をしている花壇を見渡した。
隅の方に、抜かれたばかりの雑草が、根っこまでついた状態で抜かれている。
「終わりだよ。手伝ってくれて、ありがとう。ポポ」
「あ、うん。いいんですけど、暇だったし」
そう言ったポポの視線は、何だか落ち着かない様子でうろうろしていて。
それを不思議に思ったマルスは、辺りを見回してみた。
寒空の下、子供達が元気に走り回っている。
屋根の上からは、トンカントンカンと、板とか金づちとか、そんな音。
今日はマリオとルイージが、屋根の修繕をしているから。
そして、大きなガラス窓の向こう、暖かそうなリビングの中。
「………」
紺色のエプロンをしたロイと、シュークリームを食べている、ナナの姿があった。
「…ポポ?」
「…えっっ」
「…気になるなら、行ってくればいいのに」
「……。…べ、別に…」
ごまかすように小さな声で、ポポは適当な言い訳をする。
その様子を見ながら、マルスは優しげに笑った。
いかにも微笑ましい、と言わんばかりの。
ロイとナナの姿を見ながら、ポポは静かに、言う。
「…別に…。…ナナが、誰といたって、…俺には…」
「関係無い、みたいには、見えないけどな。
…大丈夫だよ、ロイは」
「………。…何か、妙に自信があるんですね」
ポポが、こう言って。
マルスは、ふいに大きく目を見開いて、ポポを見る。
「そりゃあ、もし、マルスさんが女の子、とかで。
ロイの彼女だって言うなら、心配もしませんけど」
「………。
………なっっ、」
何気なく言ったポポの、言葉の意味を理解したあたりで、
マルスはいきなり慌てだした。
…どうやら、自分の妙な自信の出所に、うっかり気づいてしまったらしい。
というか、自信があった、ということに。
「そ、そんなことっ、…別にっ、ロイが僕のことを、好き…とかじゃっ…」
「? いや、まあ、わかってますけど。
ロイは男だし、マルスさんも男の人なんだから」
まあ確かに、仲は良いですけどね。
妙なところで天然なポポは、二人の関係にはまったく気づいていない。
ひとり慌てるマルスの隣で、ポポは大げさに溜息をついた。
「…はあ。…気になるなー。…何、話してんだろ。…気になる」
くしゃ、と前髪を右の手のひらでつぶして、ポポは視線をわずかに上げた。
楽しそうな、ロイとナナ。
男の嫉妬は見苦しいし、第一恋人同士じゃない。
わかっては、いるけど。
仕方ないかともう一度溜息をついたところで、ポポはマルスに話しかける。
「ところでマルスさん。
この雑草、捨ててきてもいいんですか?」
「え? …え、あ、ううん。捨てないで」
返ってきた答えに、ポポは瞳を見開いた。
雑草を、根っこごと丁寧に両手ですくって、マルスは歩き出す。
「マルスさん?」
「ピカチュウが、気にするんだ」
そう言って笑ったマルスの言葉の意味を、ポポは理解できない。
シャベルと雑草を持って、庭の隅の方に向かうマルスの背中を呆然と見た後で、
ポポはもう一度、リビングを見た。
子供達の、声の向こう。ガラス窓の、向こう側。
三度目の溜息をついて、ポポは、シュークリームをおいしそうに食べる、
ナナの笑顔を、見ている。
***
「…それにしても、やっぱ、女の子だなあ」
「え? 何が?」
テーブルに肘をついて、ナナととりとめもなく話をしていたロイは、
急にそう、切り出した。
手を止め、こくん、と首をかしげるナナに、
ロイはぽつり、と言う。
「ポポに、作ってあげたい、なんてさ」
その言葉を受けたナナは、きょとん、とした様子で、ロイを見て。
そして、にっこりと笑った。
「うん。…だってポポが、おいしそうだなーって顔で、本、見てたから。
ケーキ屋さんで買ってきてもいいけど、自分で作ってあげたいっていうのは、
やっぱり、女の子、なのかな」
「俺は、そう思うけど。…ま、喜ぶんじゃねーの?」
ポポは、ナナが好きだ。そして、ナナも、ポポのことが。誰がどう見ても、一目瞭然。
あの、脅威の天然ボケ、超鈍感なマルスでさえ気づいているのだから、
本当にわかりやすいのだ。
気づいてないのは本人達ばかりで、どうにももどかしいのだけれど。
お役に立てて光栄です、と冗談めいて言うロイに、ナナはありがとう、と言った。
そしてロイは、かたん、とイスから立ち上がる。
「さて。 じゃあ俺は、台所の片付けでも始めるかな」
そう言った、瞬間。
何気なく、庭に向けた視線の先。
ロイは、気づいた。
目が、合った。
花壇の近く。
ポポが、とても複雑な表情で、こっちを見ていることに。
「………。」
思わず一瞬、時間が止まる。
その隣でナナは、シュークリームをひとつ食べ終えて、
立ち上がったロイを見上げた。
「あ、片付け。手伝うよ」
「………いや、…いいよ。そんなことより 」
答えてロイは、おかしそうに、くす、と笑う。
そして。
「ポポんとこ、行ってこいよ。
何か、誤解されてるみたいだから」
「………え?」
短い反応をしたナナは、庭の外には気づかない様子で。
あいつも報われないな、ああでもこっちもか、と思いながら。
寒空の下、立ち尽くしているポポに、
ロイは冗談めかした視線を送った。
雑草どうこうというのは友人からもらったお話関連だったりします。
ポポナナ好きです。
キャラ設定により、完全に中学生ですけど。