068:ハンドル
マルスが部屋から出てこない と言われたのは、つい先程だった。
「マルス」
こんこんこん、と、やや控えめにノックをしたが、返事は無い。
ひとつ溜息をついたロイは、その顔からふっと表情を消すと、
何の断りも無しに、部屋のドアを開けた。
「マルス」
「………」
灯りの無い部屋は、真っ暗だった。暗闇に目が慣れない。
夕暮れが夜に入る時の、独特の暗闇。そして静寂。
窓の外で、秋の虫が、鈴のような声でひっそりと鳴いている。
暗闇の中で部屋を見渡すと、マルスはいた。
ベッドの真ん中に座り込み、こちらに背中を向け、顔をうつむかせた、マルスは。
座ったまま寝ている、という雰囲気では無い。
耳を澄ますと、震えるような吐息が聞こえた。
ロイは静かに、マルスの傍に歩み寄る。
「座るぞ」
「………」
どうせ返ってこない返事は待たずに、ロイはベッドに腰掛けた。
きし、と、二人の体重を支える木の骨組みが、音をたてた。
マルスの方には目を向けず、ロイは暗闇に視線を向ける。
背中の後ろで、マルスは何も言おうとしないし、動く気配も無い。
そしてロイは、それを責めようとはしなかった。
静寂の中で、ただ、二人で、黙っているだけで。
時計の針が時を刻む音と、秋の虫の声だけが、
遠くに聞こえた。
「………」
「マルス」
それからほんの少しの時間が過ぎた頃。
再びベッドが、きし、と音をたてた。原因は、ロイが動いたからだ。
ロイは片腕で身体を支えると、その向きを変えた。
「よっ、と」
「……っ、」
真っ直ぐに両腕を伸ばして。
背中からマルスの肩を抱いて、自分の方に引き寄せて、そして抱きしめる。
体勢を崩したマルスは一瞬息を詰めたが、やはり何も言わなかった。
マルスの体温を腕の中にきちんと感じながら、
ロイはマルスの髪に頬を押しつける。
「ん、これで良し。あったかいし」
「………」
「………なん、で…」
抱きしめたところから、小さな声が聞こえた。
抗議の声とは違う、自分を責めているような声だった。
ロイは何も言わず、マルスの声は適当に聞き流す。
「……なんで、お前なんだ」
「………」
「……お前じゃなければ…、寂しくなったり、しないのに」
「………」
「……なんで…、……どうして、僕は…」
「………」
途切れ途切れの声は震えていて、まるで泣いているようだと思った。
けれどマルスは顔を下に向けているし、手の甲で目を覆っている。
だからそれには気づかないふりをして、言葉は適度に聴きとめながら、
後は先程と同じように、適当に聞き流す。
これは、子どものわがままだと、ロイは知っていた。
「………」
「……お前なんか、大嫌いだったのに。…どうして…」
「………」
「……お前のせいで、怒ることが多くなったのに」
「………」
「……悲しいことも、いっぱい、あるのに、どうして…」
今、ここが暗闇で良かったと思う。
何をしても、何を言っても、誰にも何も届きはしない。
「…俺は、マルスと一緒で、嬉しいけど?」
「………」
体勢を崩したままの身体を強く抱きしめて、ロイはそんなことを囁いた。
途端に黙り込むマルスが本当は何を言いたいのか、ロイはわかっている。
「で、今のって、情熱的な愛の告白、ってことでいーわけ?」
「………バカ」
ぽつり、と聞こえたいつもの軽口は、いつもとは違う言い訳に聞こえたが、
ロイはそんな些細な違いは気にかけず、優しく微笑みながら、青い髪にそっとキスをした。
マルスが笑うのも悲しくなるのも、
どちらもロイがいるからだと良いかなと。