065:自転車に乗って




「…つっ、」

白いシャツを捲った右腕、肘の辺りにぺたぺたと消毒液を塗っていたリンクは、
おそらく沁みてしまったのだろう、その表情をわずかに歪めた。
ほんの少しの間の後で、大きな溜息をつきながら、傷の手当てを再開する。
フローリングの床に絨毯を敷いた、その上であぐらをかきながらのそんな後ろ姿は、
戦士とか勇者とか、彼の称号にはまったくそぐわない情けなさで。

その様子を遠巻きに眺めていたサムスは、苦笑しながら声をかける。

「大丈夫? ここ、それしか消毒液が無くて。
 今度、町の薬局をさがしてみようか」
「いえ、大丈夫です。すみません」

だけど、ありがとうございます、と。
サムスの気づかいにきちんと礼を述べながら、リンクは再び溜息をついた。
歳のわりにずいぶん溜息が多い子だ、とサムスは思ったが、
それを口にすることはなかった。

よく見てみれば、リンクはずいぶんと怪我が多い。
顔にもあるし、指にもある。
服を着ているので見えないが、おそらく膝とか肩の辺りにもあるはずだ。
血がわずかに滲んで、服を汚している現状なのだから。

滲んだ血の跡から察するに、おそらく。
ぜんぶ、範囲の広い擦り傷、といったところだろう。

「顔の怪我の番になったら、言いなさい。やってあげるよ」
「あ、はい。じゃあ、その時になったらお願いします」

今度は素直に頷いて、リンクは歳相応の顔で、笑った。





「それにしても、」
「?」

あれから数分後。
約束どおり、リンクの頬に消毒液を塗ってやりながら、
サムスはぽつりと切り出した。

「君は、やっぱり怪我ばかりなのね」
「……はい?」
「ピカチュウと、せっかく仲良くなったのに」

リンクとピカチュウのことを言っているサムスの声は、どこか懐かしい。
一年も前のことではないのに、サムスにとってはもう、
彼と、彼の小さな友達のあれやこれやは、ずいぶんと遠い昔のことに思えるのだった。
サムスのそんな心情を察することができるわけもなく、
リンクは首をかしげたまま。

まあ、そんなところが君らしいんだろうけどねと、サムスは笑う。

「ピカチュウと仲良くなる前は、ほら。
 しょっちゅう電気の攻撃を喰らってて、ずいぶん怪我だらけだったでしょう」
「…ああ。はい。その節はお世話になりました」
「いえいえ。
 それでね、ピカチュウと仲良くなったから、怪我、減ると思っていたのだけれど。
 …はい、終わり。絆創膏も貼っておく?」
「あ、はい、お願いします」

剥がすのは自分でねと言いながら、サムスは真四角の絆創膏を取り出して、
リンクの頬に貼り付けた。

「ありがとうございます」
「いいえ。…訊いていいかな」
「? 何ですか?」

床に散らかした救急箱の中身を元のとおりに片づけながら、リンクはサムスの声を聞く。

「大丈夫、なの?」
「……。…まあ、多分。
 …一応、嫌われてはいないみたいだから…、」

答える声は、いつもと比べて、どこか弱弱しかった。
サムスはもちろんそれに気づいていたけれど、やはり何も言わない。

「…それは、まあ、その。
 やっぱり、オレ、あいつのこと全部は知らない…ですし。
 …自信、無い時もありますけど…。」
「………」
「でも、サムスさん」

救急箱を元の通りに直し終えて、それを抱え上げる。
リンクはサムスの方に視線を向けて。

「オレ、ピカチュウに関わった怪我で、
 嫌だと思ったことは、一度も無いから、良いんです」
「…リンク」
「あいつのためのことが、オレの怪我なんかで済むんだったら」

幸せそうに笑いながらの言葉に、嘘や偽りは一つも無い。
そんな笑顔や、大きな手とか、
言葉が、きっと。

「……なるほどね。…お人好しだね」

冷たいところを暖める、あたたかい陽だまりみたいになったのだろうと。
サムスはふと思った。

「お人好し、って。
 サムスさんまで、フォックスさんみたいなこと」
「自覚、無かったの?」
「……。…いや、まあ少しは」
「なら、いいじゃない」
「…そうですね。あ、じゃあ、オレもう少し練習してきます。
 コレ、ありがとうございました」

頬の擦り傷を指しながら笑って、リンクは救急箱を棚の上に持ち上げた。
すぐに庭に向かう後ろ姿は、少年らしいといえば少年らしいけれど。

「ところで、どうして、自転車の練習する、なんて?」
「いや、何か、よくわからないんですけど。
 ピカチュウが、懐かしそうに眺めてたんですよね。
 乗りたいのかって訊いたら、でも僕乗れないし、って」

だから、乗せてあげたら喜ぶかなと思って、と。
そう言うリンクは、まぎれもなくただのお人好しなのだけれど、
リンクは気づかない。

「でもピカチュウが、リンクが最近怪我ばっかり、って心配していたよ。
 程ほどにね」
「…え。ピカチュウが? 心配って、…心配…」
「つっこみどころはそっちじゃないでしょう。わかったね?」
「…うーん。でも、もう少しで乗れそうで」
「はいはい、わかったから。言い訳も考えておきなよ」
「…そうですね。そうします」

じゃあ、と言って、リンクは庭に駆けて行く。
転んでばっかりでちっとも慣れない、怪我だらけの青年と。
転ばされてばっかりで泥だらけの、真っ赤な自転車。





程無くして。
自転車に乗った青年と、
自転車のカゴに乗せてもらった、小さなでんきねずみが一匹、
ひまわり畑の真ん中の坂道を、
一緒に下っていったことを。

見ていた人が、いるとかいないとか。
それは、真っ赤な自転車が真っ赤な少年に譲られる日よりも、
ずっとずっと昔の話。



…これのために自転車に乗ったリンピカ、とか描いてみたんですが、
リンクってば自転車似合わない! 仕方無いんですけど。

最初に考えてたのはロイマルで夏色(byゆず)だったんですが、
ロイマルで自転車に関しては某様の書かれた小説がすっごい好きなので、
自分で書くのは無理だったです。