064:螺旋




人間に森を焼かれて、行く先を失っていた。
そこを、人間が、助けてくれた。
それからずっと僕は、彼の味方だ。
ただ、彼だけが。
信じられた。

そう言っていたから、自分も、彼を。

人間を、信じていたのに。



   ******



森を抜けても、雨は未だに降っていた。
この一帯は普段は、滅多に雨は降らないのに、
何故か最近だけ、長雨に見舞われている。
空が不穏を感じているのだと、誰かが言っていたが、
その誰かが誰だったかは、もう忘れてしまった。

泥のはねる地面を蹴り、ロイとリンクはひたすら走っている。
ただ一つ、ガノンドロフ側の勢力の、拠点を目指して。
古い要塞。そこに、マルスは、助けたいたくさんのものは、いる。
今の二人には、そんなものしか、目には映っていなかった。

走って、走って。
走りながら、ロイは考える。今までのこと。忘れていたこと。自分の成したこと。
自分が守りたい人の、
すべてを、自分が奪ったことを。

だけど。
だけど、守りたい。

その気持ちが、いつまでも変わらない。いつまでも変わらない気持ちが、今、

   ロイ。あそこだ!」
「っ…!」

ロイを、そして、リンクまで引きつけて、こんなところまで来た。
元々は、一つだった勢力。わかれたふたつの道は、
誰かの   マルスの心で、一つに戻ろうとしている。
復讐という名前で駆逐される、破滅の道へ。

させてはいけない。そんなことは。
だからこんなところまで来た。

石造りの大きな建物を、ロイは見上げる。古い要塞は、何を見てきたのだろう。
雨に濡れて威厳が増した今、要塞はロイの恐怖心をわずかに呼び起こしたが、
頭を軽く打ち振るうことで、胸の奥に静寂を呼び戻した。

「………」

息を、深く吸う。
ゆっくりと吐き出したところで、

「…あそこに、マルスがいるんだな。行っ   
「!! 待て、ロイ!!」
「えっ!?」

走り出そうとしたロイを、リンクが止めた。
勢いよく踏み込んだ足を無理矢理止めて、ロイが不機嫌そうに振り返る。

「何だよ、急に待てとか言うなよ!」
「誰かいるんだ! あれは…、」

誰かいる、と言って、その先に向けられた視線を、ロイは追いかける。
二人とも、剣の柄に手をかけて。
要塞の入り口から、少し離れた場所。

雨の中。
足を、泥で汚して。

「………」
「……ピ、チュー…?」

ピチューが、その小さな身体で、立っていた。こっちを見ていた。
大きくて素直な、黒い瞳で。

この緊迫した状態で、ずいぶんとかわいらしいものが立っている。
ロイとリンクは安堵して、柄から手を離し、ピチューに近づいた。
ほんの一瞬だけ、この勢力が一つだったころ、昔に戻ったような顔で。

その時。

「…っぴちゅううぅっっ!!」
「っ!?」

ピチューがわざを使う時の声。そして、辺りに響く、その独特の音。
音が走って、ロイとリンクの間に、青白い光が勢い良く向かってきた。
反射的に、それを避ける。
完全に避け切れなかったロイの袖の端が、黒く焼け焦げた。

「…っ、なっ…!?」

今のは、ピチューの…でんげき攻撃だ。

ピチューの頬が、ばちばち鳴っている。あれは電気を溜める音だ。
おかしい。普段ピチューは、電気が自分に逆流しないよう、充電はしないのに。
それどころか、ピチューが自ら攻撃を仕掛ける、などということも。
今までロイとリンクは見たことがなかった。
この、戦いの間でさえ、一度だって。

「…おい、…ピチュー…?」
「………っ…、」
「…おい、どうしたんだ、ピチュー! 何がっ…」
「…ゆる、さ、ない…」

もう一歩、近づくと。
聞こえる。

「…許さない、人間なんか、殺してやる!!」

   誰よりも幼い声が吐く、呪いの言葉が。

「っ、避けろ、ロイ!!」
「っ…!」

ピチューが、頭から勢い良く飛び込んで…ロケットずつき、だ…くる。
ロイめがけて飛んできたそれを、ロイは左に跳んで避けた。
同時にリンクも右に跳ぶ。絶対に巻き込まれないように。
ピチューはくるん、と空中で前に回って、受身を取りながら着地した。
地面にできた水溜りが、大きな水音をたてる。

尋常じゃない。
この小さな子どもが、どうして、あんな言葉を?
肩で息をしながら、ロイとリンクの考えることは一緒だった。
   何が、あった?

「…っピチュー! ピチュー、どうしたんだ!」

リンクが叫ぶが、ピチューには伝わらない。

ピチューは高く跳躍し、電気を身体に纏いながらリンクの方に飛んでくる。
見たこともない、思いもよらない速さで。
咄嗟にその場でしゃがんで避け、ピチューが背を向けた瞬間、
リンクは斜め後ろに蹴りを繰り出した。
両手を軸に回りながら、踵をその小さな背中に当てる。

「ぴちゅっ…、…ぴちゅうぅっ!!」

蹴りを喰らって、ピチューは僅かに呻いたが、落ちはしなかった。
その場から高速移動して、一気にロイの顔の前に移動する。

「! ロイ!」
「ぴっ…ちゅうーっっ!!」
「うわっ…!」

目の前にいきなり現れたピチューに、ロイは反応できなかった。
ピチューが頬に溜めていた電気が放たれ、まともに喰らったロイは後ろに弾け飛ぶ。

「っ…!」

ロイに攻撃した後のピチューの背中に、リンクは向かっていった。
剣は抜かずに、手刀を、首の後ろに叩き込む。気絶させる意図で。
が、直前にピチューは振り向いた。小さな身体を回転させる。
ほとんど条件反射でリンクは身体を捻ったが、しっぽが腕を掠った。

吹っ飛ばされたロイは、片膝と片手をついて、地面に着地していた。
リンクがピチューの気を逸らしてくれた為、追撃はなんとか免(まぬが)れる。

「つっ…、…おい、ロイ、大丈夫か!?」
「ってぇー…、…ああ、大丈夫だ! そっちも、大丈夫だな!?」

たん、と地面を蹴り後ろに跳んで、リンクはピチューと距離をとる。
ロイとリンク、その間にピチュー。
間合いを維持しながら、ロイとリンクは、お互いの状態を確認した。
二人はまだ、剣を抜いていない。

「…っぴちゅ…、」

先程までの攻防で、ピチューの息はかなり上がっていた。
当然だ。ピチューは電気による攻撃を行えば、ダメージが自分に跳ね返ってくる。
だがピチューはそれさえ構わずに、攻撃している   ほとんど捨て身で。
こんなに戦いが似合わない子は、戦場では珍しいことだ。
それが、ロイとリンクの戦いのための思考を鈍らせていた。
本気で、攻撃が、できない。

そして二人には、ピチューがこんなにもいつも通りでない理由も、
未だわかっていなかった。

「…ピチュー、本当に、どうしたんだ、何で…」
「………。…人間、なんか…」

リンクが呼んで、ピチューがそれに僅かに反応する。
氷のような冷たい、暗い瞳。
甘えてきた幼い声とは、違った声が、叫ぶ。

   人間なんか、信じなければ良かったんだ!!」

「………!」

その瞬間、
向かって飛んできた、ピチューのでんげきを。

「つっ…!!」
「っ!?」

リンクは避けようとせず、頬を焦がし、傷を作り、帽子を飛ばした。
勢いで身体も吹っ飛ばされ、泥の中に背中を打ちつける。
ゆっくり起き上がった背中に、一つに結わえられた長い金髪が、ぱさりと落ちた。

「おい馬鹿リンク、何で避けねーんだよっ…!」
「…ご、…ごめ…」

何かに怯えているようなリンクの瞳。こんな瞳は見たことが無くて。
ロイは電気の逆流に苦しむピチューを見据え、剣を抜いた。
銀色の刃が、雨空の中、僅かな光を弾く。

「………………」

ロイの剣を、見て。

「………殺した、の?」
「………?」

ピチューが、ぽつりと言った。
雨の音。かすかに、聞こえる。

「………殺したの?
 ………そんなふうに、…剣で、…ピチューのことも、…殺すの?」
「…ピチュー…?」
「………許さない。
 ………許さない許さないゆるさない!」

ばちばちと、電気がはじける音がする。
ロイとリンクは、はっと上を見た。黒い雨雲。   雷雲!

「!! ピチュー!! その技はっ、」
「…っ、駄目だリンク!! 避けっ…」

「おにーたんを、殺した人間!!
 許さない   マルスおにーたんだって、殺してやる!!」

      !!」



瞬間。



何かを引き裂くような、叩き割るような轟音が、辺りに轟いた。
暗い空を、真っ白な閃光が駆け抜ける。
耳をつんざく激しい音。
木々の、倒れる姿。

雨の音。
何かが爆(は)ぜるような、不吉な音と一緒に。

「………つ…っ。」
「………っ、」

反射的に身体を返し、致命傷を避けたロイとリンクは、
それでもピチューのかみなりで、相当のダメージを喰らった。
泥の中から、痛みを堪えて起き上がる。
絶え絶えの息で、身体中に様々な傷を作って。

なんとか、瞳を開いてみれば。

「………」

雨の降る森。
ピチューが、焦げた地面の上で、立ち尽くしていた。

「………嘘。…だろ…」
「………」

リンクの喉の奥から、震えた声が、意識と反対に言葉を紡ぐ。
雨が降る森は、空もとても暗い。
知っている世界は本当は、こんなに暗くはないはずだった。
一体どうして、いつからこんなに雨が降っているのだろう。

「…ピチュー。…嘘…だよな?」
「………違う…、」
「…そんなわけない、…ピカチュウ、が…」
「…違う、違う違うっ…」
「…嘘だ。…嘘だ、何かの間違いだ! …マルス、が、」
「…違う!!」

わかっている。
本当は。
もうずっと前から、知っていた。

「…マルスが、ピカチュウを、殺した、なんて!!」
   違うっ…!!」

もう二度と戻れない。
無意識に握り締めた手が震える。肩で息をしながら、リンクはピチューを睨みつけた。
対するピチューは、ロイとリンクに殺気を向けたまま。
しかし、先程のかみなり攻撃の逆流がきているらしい、小さな足は震えている。

大きな目で二人を見ながら、ピチューは、叫ぶ。
震える、声で。

「違う!! …違う、殺した、マルスおにーたんが、おにーたんを…っ」
「嘘だ…、…嘘だ!!」
「嘘じゃ…、嘘じゃ、ないっ…、」

震える声。
そうだ、どうして。
どうして気づかなかったのだろう。

「…リンク、」
「嘘だ!! …何かの間違いだ、…マルスは殺さない。
 …ピカチュウは、死なない…!」
「…嘘じゃない、…嘘じゃない…っ!」

思い出す。まだ、自分の周りの世界が、平和に見えていたころ。
この、小さなねずみがいちばん懐いていたのは、誰だったか。
微笑ましいのと同時に、羨ましかった。
青い髪の綺麗な王子様の笑顔を、ああも簡単に引き出せる、小さな存在。

「嘘じゃない、殺したんだ!!
 …だから、だから…!!」
「…ふざ、けるな…、…そんなことに、なるわけない!!」

気づかなかったんじゃない。
気づきたくなかっただけだ。
「敵」として現れた子供に、これ以上の情けをかけたくなくて。

「…リンク、おい…、」
「……でも、でもっ…。…だけど…!!」
「約束したんだ。ピカチュウを、置いていかないって。
 …嘘だ、絶対、信じない…っ!!」

   っいい加減にしろ、リンク!!」

否定し続ける、リンクを。
怒鳴るような声で名前を呼んで、ロイはその肩を引っ掴んだ。

「っ!」

途端、リンクはびくん、と肩を竦めた。目を見開いて、振り向く。
怒ったような、だけどとても悲しい顔をしたロイが、
リンクの青い瞳を睨んでいた。

「…ロイ…」
「リンク。…覚えてるだろ?」

マルスに懐いていた、小さな子供の姿。
…そう、子供だ。
ここは戦場だ。
子供も大人も関係無い、だけど。

「関係無くても、子供は子供なんだ。大人が大人であるみたいに。
 …お前の言い分はわかるよ。でも、考えてやれよ。…ピチューは…、」

リンクは、ピチューに目を向ける。
小さなからだ、黒い大きな瞳から。

大粒の涙が、ぼろぼろこぼれていた。

「………あ…、」
「…どう、して…? …おにーたん…、…ど、して…」

大好きな、お兄ちゃんを。
同じくらい好きなマルスが、殺したという事実。

耐えられるはずが無い   本当は。

「…ピチュー…いっぱい、おにーたん、よんだ…の、に…。
 …おにーたん、おへんじ、なかった…」
「………」
「……そし、たら…、…マルスおにーたんが…、…いわ、れて…」
「…言われた?」

途切れ途切れの言葉の中に、不信な点を見つけて、ロイは首を傾げる。
ピチューを追いつめた言葉の正体を、二人は知らない。

影が、忍び寄る。
雨の中、剣を引きずりながら。
ロイは、リンクは、ピチューだって、それに気づかない。

「…うそ…。…ピチュー、わからない…でちゅ…っ、」
「………」
「……だれ、が…おにーたんを… …っ…」

あざやかな、青い色。

「…おにーたんを、ころしたのか…!!」


   教えてあげるよ。今すぐにな!」


響き渡った声。
短い、音。


小さなからだを、銀色の刃が、貫いた。




「………っ…。…、あ…」
「………!!」

雨の音に混ざって、小さなからだが崩れ落ちる。
大きな瞳は涙をこぼしたまま、振り向いた。
後ろから、自分のからだを貫いた、銀色の剣を握った人間。
こんな戦いが始まる前。
ずっとずっと、好きだったひと。

ロイとリンクが、見つける。
奪われて、閉じ込めて、ずっと探していたその人を。
青い髪が雨のしずくできらめく、その人は。
真っ赤な剣を握って、ピチューを見ていた。

「……マル、ス…おにー、たん…」
「…馬鹿だな。信じればよかったのに」
「……ど…して…。」

マルスの顔は、綺麗なまま。
こおったように、動かない。
そして、ずっと彼を探していた、ロイの胸の中も。

「…誰も信じられないと、信じればよかったのに。
 …そうすれば、こんなことにならなかったのに」

ずっとずっと、探していたマルスが、目の前にいるというのに。
…喜びや、安堵なんて、少しも湧いてこなかった。


雨の中。
ざあああ、と、色の無い雫が降り注ぐ。
意識の無くなった子供。
真っ赤な剣を、更に赤く染めて、マルスは。
藍色の瞳で、こっちを見た。


「……っ…」


無感情な瞳。ガラス玉みたいな瞳だと、あの時も思った。
ただ見られただけで、動けなくなる。射られたように鋭い視線。
震える喉の奥に、息ができなくなるほどの威圧感を感じながら、
ロイは、リンクは、名前を、呼ぶ。

「…マル、ス…」
「…ロイ」
「………マルス…、」
「…リンク」

存在を確かめるように名前を呼んで。
笑いもせずに、マルスは切り出した。

「…別に、構わない。…剣を、抜いたらどうだ」
「………え…、」
「思い出したんだろ? 僕が、どこの、何なのか」

滅びた国の、王子。
本当なら、もう、この世界にいないはずの。

マルスは、動かないピチューの身体の横を通り過ぎ、
三歩、二人に近づく。

ロイとリンクに、反論は、一つも無かった。

「殺す気で、こないと」
「………」
「僕は、お前達を、殺す」

真っ赤な剣を握り締め、マルスはきっぱりとそう言った。
戦いの中では、彼はまるで普段と別人のようだった。
誰かが傷つくことが嫌いで、血の色が嫌いな彼が、戦場では真っ先に英雄になる。
そんな冷徹なところの裏側を、好きになって、
守りたいと、思っていたのだ。

こんな戦いが始まったから。
こんなことになった。
だけどもう誰も戻れない。
ロイは剣を抜かず、一歩、前に出る。
足が泥に浸かって、ブーツが更に汚れた。

「マルス、」
「………」

震える声。
だけど、心は負けない。
負けてはいけない。
進ませては、いけない。

「マルス。…そっち、…行っても、いいか」
「………」

返事は無い。
マルスの肩が、ぴくん、と揺れた。

それを見逃さず、ロイはもう一歩、近寄る。
一歩、また一歩。
その後姿を、不安に揺れる瞳で、リンクは見ている。

「…ロイ、」
「…マルス…、」

最後の一歩。
ロイは、腕を伸ばして。

「……っ…。」

その腕に、抱きしめた。
剣を握り締めたままのマルスを。

「…な、…ロイ! 放し…っ」
「…ごめん」

慌てた様子で抵抗するマルスの耳元に、ロイは囁く。
言葉が全てを伝えないことくらい知っている。
そしてマルスがどんな思いで、自分と接していたのか知らない。
大切なものを全て奪われた子供。
奪ったものの中で、どんなふうに思っていたのか。

マルスの抵抗が、ふ、と止む。
殺気立った瞳が、わずかに揺らいだ。

「ごめん。…ごめん、マルス。…俺、何も知らなかった」
「………、」
「…何で、気づかなかったんだろうな。…俺…、
 …あんたの、一番近くに、いたつもり…だったんだ」

膨大な額がかけられた賞金首。
出会いは、駆る方と狩られる方だった。捕まえようとしたら、殺されかけた。
意志の強い瞳に恋をして、迎え入れた。
本当はそれが。今思えば、彼の復讐の始まりだったのだ。
それよりもっと前、自分が、彼の国をそれと知らずに滅ぼした時が。

抱きしめた身体は。
戦場のものとは思えないほどに、細く、冷たい。

「………ロイ…」
「マルスが、寂しそうだったの、見てたから。
 絶対一人にしないように、近くにいたんだ」

この細い身体に、どんな感情を積んでいたのだろう。
生まれて死ぬまで過ごすつもりだったのだろう、水の王国。
ロイが戦った魔道士は最後まで、マルスの名前を呼んでいた。
マルスの居場所を全部奪って、
誰も気づかなかった。

殺意と憎悪、マルスの悲しみを。
…孤独のことを。

「…居場所…。…俺が、マルスの居場所、奪ってたなんて…」

孤独に苛まれていた身体を抱きしめて、ロイは途切れ途切れに言う。
きっと、ロイが傍にいるほどに、マルスは孤独を感じていた。
それはロイの想像が及ばないほどの、絶望の中。
復讐する相手の中で、それとは気づかせずに微笑んでいる、なんて。
どれほどつらかったのだろうか、ロイにはわからない。

「……僕、…は…。」
「…マルス…」

何度も抱きしめた身体は、今、まるで初めて抱きしめた時のようだった。
頼りなくて、細くて、怯えて震えているような。

「…奪ったものを…。…時間を戻すなんて、できない、けど」

殺したものは帰らない。
その重さを忘れたことは、本当は一度も無かった。

「……マルス。…なあ、復讐は、止められないのか?」
「………」
「勝手なことを言ってると思ってるよ…。…だけど、俺は…」

抱きしめるだけで想いが伝われば、どれほど楽だろう。
腕に力を込めて、ロイは思う。
マルスが痛がったのがわかったけれど、痛いほど抱きしめられずにいられない。
首の後ろを、肩を、雨粒が叩いて落ちていく。

「マルス。…俺は、…あんたが、みんなを殺すところを、見たくない」
「……ロイ、」
「…奪ってしまった分まで、ずっと一緒にいたいんだ。
 …ずっと、マルスが笑ってられるように。
 俺は、…俺が殺した、…マルスの居場所に、なりたいんだよ…」
「………。」

ロイの腕の中で、マルスの瞳が不安げに揺らいだ。
それは、一人で孤独を抱えていた、子供のような…。

「……ロ、イ…」

剣を握っている手が震える。
マルスはロイの体温に暖められながら、
瞳を、一瞬だけ、強く閉じた。


そして。







   ありがとう」


「………っ……あ…、」


傷を全て癒されたような、罪を全て告白したような顔で。
やわらかな声で、マルスは言った。
その両手には、剣の柄が握られている。
銀色の、刃は。

「……っ、マ、ルス…」
「…ありがとう。…嬉しいのは本当だよ。…僕は…、」
「…ロイ…!?」

ロイの、左胸を。

ふかく突き刺して、背中の向こうまで貫通していた。

「…っ!!」
「寂しがっていたのかもしれないな。好きだったものは、無くなっていたから。
 ここでの生活は、楽しかった。…本当は、復讐だって、忘れそうになるくらい」

血に塗れた剣先。
ロイの左胸からあふれた血が、剣を伝い、柄を伝い、マルスの手を汚していく。
碧色の瞳は驚愕と絶望に見開かれて、ただ、見えないマルスの瞳を見ていた。

マルスの声は、なおもやわらかい。

「だけど、それでは、駄目なんだ。
 僕は、あの国の、たった一人の生き残り。
 皆が生かしてくれた。僕を守ってくれた。僕が殺してしまった。
 だから、復讐にきたのに。終わりにするために」

雨が降る。
マルスの手を汚して、そして真っ赤な命は、地面に落ちていく。
少し離れたところで、リンクはそれを見ていたが、
見ていることしかできなかった。

「きっとあの時からもう、戻れなかったんだよ。
 だけどみんな、無理をしていた。終わりにするべきだ。
 みんなか僕かのどちらかが、奪わなければ」

神様。

「僕が欲しいのは、ロイの隣じゃない。そんな居場所は、いらない」

神様、どうして。

「僕が欲しいのは、お前が奪った居場所だ。
 あの場所以外、居場所なんか、いらない」

震えている。
…手が、声が。

「……マル、ス… …あんた…ッ、…ぅ、ぐ…ぁ…ッ!」
「……さよなら。
 ……僕は、お前のことが…、…好きだったよ」

マルスは、ロイの左胸から剣を引き抜いた。
ずるり、と、何かいやな音をたてて。
ロイの手が、マルスの肩を掴んで、そして地面に落ちていく。
水溜りに倒れた身体から、真っ赤な血がどす黒くなって溜まっていく。

「ロイ!! …ロイ、しっかりしろ!!」

それまで何かに取り憑かれたように動かなかったリンクが、弾けたように動き出した。
走って、ロイの下までやってきて、頭の横に座り込む。
左胸からの血は止まらない。
肌から、瞳から、色が失せていく様に、背筋が凍りそうになった。

「…マルス、…お前…!」
「………」

リンクは、マルスを見上げた。
真っ赤な剣を握り締める、真っ赤な両手。
顔にも血が飛び散っていて、その肌の白さをいっそう際立たせていた。

ロイが、いつも好きだと言っていた、藍色の瞳は。
闇のように真っ黒く、もう何も見ていない。

「……戻るわけにはいかないんだ…。
 ……僕一人だけ…幸せになんか、なれない…」

そんなことを考えている場合ではないだろうに。
リンクは、マルスの瞳を見て、呟きを聞いて。

泣きたいのだろうかと、思った。


「…僕は、もう…。
 …誰かの想いを受け止めるのが、怖いんだ…。」


自分のために、たくさんの人を殺してしまったから。
好きという想いが、怖かった。





マルスは、ロイの血で真っ赤に汚れたまま、くるりと二人に背中を向けた。
リンクが見ている中で、マルスは森に向かっていく。
足取りはいつもと変わらず、顔つきもいつもと変わらない。
線の細さも、綺麗なところも。

「…マルス、」
「リンク。…止めるなら、今だよ。僕はリンクには、勝てないから」

リンクが呼ぶと、マルスは立ち止まって、そう言った。
思わず返答に詰まったリンクの方を振り返って、マルスは笑う。
自嘲的な微笑みだった。

「でも、リンクは、僕を攻撃しないだろ?
 …リンクは、優しいから。…僕が仕掛けない限り、絶対に剣を抜かない」
「………」
「そうじゃなきゃ、今頃、ロイは無事で、僕が死んでいたはずだからな」

ありがとう。と、ぽつりと言って。
マルスは再び歩き出す。

「…マルス、」
「………」
「…どこに、行くんだ?」
「………。
 …エリウッドさんの…ところに」

ロイを、手にかけたと知れば。
今なら本気で戦ってくれるだろう、と、マルスは言った。
それは何だかとても危うい凶器のように思えて、リンクは思わず止めようとしたが、
その前にマルスは、森の中に消えてしまった。

後戻りができないのだと知っていた。
それを今更思い知った。リンクは恐怖に、言葉も出ない。
戦場で、今まで、命の危険など常に隣り合わせだったけれど、
こんなふうに、絶望的な恐怖を味わったことは、一度もなかった。

「…ロ、イ」
「………」

ロイを、助けてやらなければと思うけど、どうすればいいのかわからなかった。
冷たい雨は、この空気の中で、冷静な思考をどんどん奪っていく。
ロイは地面に倒れたまま、それでもまだ僅かに胸が上下していた。
閉じられた瞳。

「………ル、ス…」
「………!」

呻くような声が聞こえた。
泣きたくなった。
こんな状況になっても、彼は。

「………行くな…。…行く、な、マルス…」

彼が守ると決めた、たった一人の破壊者のことを。
無意識で。

「…マルス…」

心に決めた、想いのままに。
   呼んでいたから。



書きたいところはこれで全部…なんですが、
ここで終わりだと言ったら流石に石が飛んでくる…でしょうか。

そも「書きたいとこから始めて書きたいとこで終わらせる」つもりだったので、
話としてはもちろん終わりまできっちり考えてあるのですが、
一応100題内での更新はここで終わります。この続きは…どこで書こう。
まあ、あの、その…そのうち…。

ピチューや王子に「殺す」という単語を使わせるのがつらくて、書きにくかったです。
読みづらくってすみません。