062:暗幕




もうずっと忘れていた。まるで当たり前のようにいつも後ろにいたから。
自分は二人にわかれている。光と影。勇者と魔物。影の名前で呼ばれる彼。
隠した気持ちを隠せば隠すほど、彼に責任を押しつけることになるのだと、
考えることも思い悩むことも、いつの間にか放棄していた。

でも。
でも、それでも、この思いに変わりは無い。たった一人を想い続けること。
それがどんなに長くてどんなに苦しくてどんなに望みが無くても。
ずっとずっと。忘れられないほどに。





   ***

夕焼けで空が赤く染まる。南向きのこの部屋に、西日が真っ直ぐ差し込むことはないが、
赤い空を見ているだけで、ほんの少し眩しいような、そんな錯覚を覚えた。
赤が終われば、深い深い夜が待っている。その夜のほんの少し前の、淡い藍色の時間。
星がわずかに光るその時間、ぼーっと空を見て過ごすのが、リンクは好きだった。

「お前は?」
「………?」

いつの間にか部屋にいるダークリンクに、リンクはいきなり尋ねる。
ベッドの上に乗り上がって、窓の外を見ているリンクは、
ドアの辺りに立ち尽くしているダークリンクを手招きした。

「少しは、好き、とか、嫌い、とか、理解したのか?」
「………。…それなり、には…」

素直にこちらに寄ってくるダークリンクに、今度は、とりあえず座れと言う。
ダークリンクはしばらく迷った後で、ベッドに腰掛けた。
自分の分身であるとはとても思えないほど、ゆっくりと丁寧な動作で。
それでもこの銀髪の魔物は、紛れも無くもう一人の自分である。
以前はそれで、軽いいざこざもあったけれど、今はもうそれほどでもなかった。
こうして普通に話せるし、向こうが話しかければ笑って対応できる。
いつからだろう。
なんとなく、自分というより、他人というふりをするようになったのは。

真っ赤に染まる空を見ながら、リンクはぽつり、と言う。

「何か、訊きたいことが、あるんじゃないのか?」

と。

「………」

そう言うとダークリンクは珍しくうつむいた。
聞きたいのに聞きたくないような、覚えのある表情で。
なんとなく、そんな顔をしていたからリンクは尋ねただけだったが、
これ程までにダークリンクが悩むのは、どうしてだろう。

リンクは、わかっている。
ダークリンクが、何を聞きたいのか。
悩むことなんか、もう、たった一つしかない。
長い時を重ねた、今ならば。

「………お前、は…」

リンク、と名前を呼ばない意地が、ほんの少し微笑ましい。
わかりあうことはない。わかりあう時は、ダークリンクとの別れの時だ。
だからわかりあえないふりをする。いつだって。
それがダークリンクを苦しめていると、知っていても。

「ずっと…考えていたんだが…。どうしても、わからなくて…」
「ああ。…いいよ、わかってるから。何だ?」
「……お前は、…恋、というものを、しているんだろう?」

恋。
長くて苦しくて、望みの無い希望の名前だ。

ダークリンクは、続ける。

「……なのに、…どうして、お前は…。…何も言わないんだ?」
「………」
「……感情というのは、言わないと伝わらないのだろう?」
「………そう、だな」

リンクの、小さな親友の受け売りだ。
『感情というのは、人の気持ちというのは、言葉にしないと伝わらない』、って。
小さな親友はいつか、悲しい目をしながら、冷ややかに言った。
あなたはバカみたいに、優しすぎるよ、と。
違う。
優しいわけじゃない、勇気が無いだけだ。勇者が聞いて呆れるほどに。

リンクは、続ける。

「…別に、…伝えたいわけじゃないよ。…オレは、」
「…ならどうして、その目はいつも、王子を追っているんだ」
「………。…なるほど、な…」

見抜かれていた。   彼は自分だ。当然かもしれないけれど。

それどころかきっと、ダークリンクには、自分の気持ちは全てわかっているのだろう。
理解しているかどうかは、ともかく。
リンクとダークリンクは、心の一部を共有している。
それは、ダークリンクが、リンクの心の影から生まれた魔物だからで。
切ることのできない、切れない関係。
空は真っ赤に染まり続ける。

「…そうだな、未練がましい…よな。…諦めたつもりだったんだけどな…」
「…恋というのは、諦めるようなものなのか?」
「…どうなんだろうな。よく、わからないよ、オレは。本当は」
「………」
「だって、どうにもならないのが、恋、っていうものだからな」

ほぼ独り言のように喋るリンクの声を、ダークリンクは聞いている。
理解しているのかしていないのか、本心の読めない表情で。
相変わらず氷りついたように、少しだって動かないその表情は、
この長い間で、それでもほんの少し変わっているはずなのに。

ややうつむき加減になっていた顔を上げて、リンクは続ける。

「ピカチュウも、お前も、そんなこと言うけど、
 例えばオレが、あいつに何か言って、それでどうなるんだ?」
「………」
「どうにもならないだろ? あいつがオレを、特別に見てくれるわけでもないし、
 逆に気を遣いすぎるようになって、あいつを傷つけるだけだから」
「………」

衝動に負けそうになると、いつだってそんなことを思う。
何か言えば、何かすれば、相手が傷つくだけだから、と。
そんな風に思わなければならないほど、本当は、想いは強いということだけれど。
けっして、言えない。絶対に。

「不必要に傷つけたくない。
 …これがきっと、好きだってことになるんだろうけど」
「………」
「抑え込めば抑え込むほど、自覚ができるっていうのも、何か腹立つけどな」
「…どうして…、」

ぽつり、と、ダークリンクは呟く。
どこかで聞いたような声だった。

「…勇者…、お前は、」
「…ダーク、」
「…それで、納得はするのか? …本当、に、」
「…あのな。わかってるのに、訊くなよ」
「ロイを、傷つけたくて、…王子を傷つけたくて、…本当は…、」
「………」

見透かされている。ダークリンクは、リンクの、心の一部だから。
そんなことを思ってはいけないと知っている。
けれど、思ってはいけない、と、思わないといけないほどに、
本当は。

自分が一番近くにはいない、という証拠。
自分以外のものが、一番彼を支えているのだ、という事実。
衝動を抑えれば抑える程、ダークリンクはマルスを傷つける。
影というものはきっと、自分に一番近い想いで   

「オレは、マルスが、好きだよ」

けっして伝わらない想いの名前だ。

「だから、ロイを恨みたいって、思ったこともある」

本当はそれが、正直な想いだ。

「でも、」

でも、

「…ロイを、傷つけると、…王子を傷つける、から?」
「そうだよ。…だからオレは、親友で充分だ。
 あいつを、笑顔にさせる、手伝いをすることのできる」

そう、それも確かに、正直な気持ちのはずなのに。

「本当は、親友だって、もったいないくらいなんだからさ」

時々は、傷つけたい、悲しませたい、と思うような、
そんな自分が、彼をほんの少しでも、支えているから。

「………だから…、」
「………。」

ダークリンクは顔を下に向けてうつむく。
長い銀色の前髪が、普段滅多に変わることのない表情を隠した。
この想いが、ダークリンクまで傷つけている。
ほとんど自分と同一人物だとわかっていても、何故か、
ほんの少し、寂しかった。

「………、」


そして。



リンクは、ふと、気づく。



「………」
「………ばーか。
 ………なんで、お前が、泣くんだよ…。」

苦笑しながら、銀色の髪に、そっと手を伸ばす。
手のひらで撫でたそれは、ふわふわと、まるで雪みたいな。
雪より白い肌に伝わる色の無い雫は、
久しぶりに見るものだった。

好きだという想いは本物だ。
想いが募れば募るほど悲しくなるけど、どうにもならない。
どうにもならないものが、恋という名前の気持ちだ。
それは本当は、誰かを傷つけるような気持ちではないはずだ。
誰かをふんわり、優しく包む気持ち。
それが叶わないというだけで、誰かを傷つける刃になり得るのだと、
はじめて知った。

人は、傷ついて成長するものだと知っている。
傷つけてはいけないというきまりは無く、想いは伝えることができる。
幸せになれるような機会を持っているのに、
幸せによく似た不幸を受け入れ、それをもったいないと言っている。
この、一人の、勇者という名前のついた、
どこまでもお人好しの、青年は。

「………泣いている、のは…」
「………」
「………お前じゃ、ないのか」
「………。…違うよ。
 ………勇者は、泣いちゃいけないって、きまってないけど、約束だからな」

自分一人が犠牲になることで、
誰かを守ることができるなら。

それを犠牲だと思わないのが、たった一つの抵抗の仕方だった。




窓の外を見れば、星がまばらな、薄い夜空が広がっていた。
淡い藍色が誰かを思い起こさせて、リンクはそっとカーテンをひいた。



普段書いている時間より、ほんの少し未来の話。

ロイとマルスの関係っていうのは、
絶対、リンクにも支えられているのだと思うのですよ。
そして、リンクが隠したい気持ちは、
全部、ダークリンクさんが受け止めてるんじゃないかな、と思うのです。
影ですからね。

そろそろ全世界のリンクさんファンの皆様に土下座しなければなりません。