058:青




見上げた空はひどく蒼く、白い雲の一つさえ見当たらない。
緑の木々は風にざわめき、赤茶けた地面は、少しだけ、乾いて。
硬質な灰色の岩に座り込み、彼は、空をただ見上げる。

違う“世界”とやらに「勉強」「修行」という名目で出かけた彼は、
少し前に、その“世界”とやらから戻ってきた。
以前とさほど変わるところは無かった   強いて言えば、剣の腕が格段に上がっていたことか   のだが、
彼は帰ってきてからよく、空や、海の見えるところでは海を、眺めるようになった。
彼はどちらかというと、そういうことには興味を持たない人であったから、
彼を幼いころから知る人は、何があったのかと、疑問に思うようになった。


確か、昨日訊いた時の返事は、「俺もよくわからない」だったはずだ。


彼は自分に与えられた仕事を一通り終わらせ、剣の稽古をかかさずやった後に、
必ず、空を眺めた。
空の蒼をじっと見つめる彼の顔は、どこか無表情に近かった。

そういえば、変わっていることと言えば、
彼は出かける前と比べて、かなり料理の腕が上がっていたのだ。
以前は自分が好きなものしか作らなかった彼が、
彼の好みとは大分かけ離れた料理をするようになった。
その“世界”とやらで何をしていたんだ、と訊いたら、
彼はただ、「闘ってた」と答えた。


彼は、「強くなりに行ってくる」と言った、その言葉の通り、
強くなって帰ってきた。
でも彼は、以前と変わり、時々、何故か悲しそうな顔をするようになった。

空の蒼を見つめながら。


以前は、あんな顔を、意味も無くする子ではなかったと、
彼を昔か知る人の何人かは、彼の父親に言いに行った。
彼の父親は、「大事な、忘れものをしてきたんだ」、と言った。

「私も、その忘れものが何なのか、まったく覚えていないが」とも。




「…きゃっ」

ロイの横を通りすぎた直後、いきなり後ろから、強めの力で髪を引っ張られた。
困惑気味に後ろを振り向くと、   やはりロイが、自分の髪を掴んでいた。

「ロイ」
「…え。…あ、…ああ…ごめん…」

言いながら軽く笑うロイに、リリーナは違和感を覚える。

彼が帰ってきたときから、ずっと感じていた。

「…ロイ」
「…ん?」
「…どうしたの?」
「…わからない…」
「………」

窓を、開ける。
開けた先には、空の蒼が、永遠とも思える広さで、広がっている。

「……わからない、けど」
「………」
「……何か…違うんだ…」


空の蒼を見るたび、思った。
自分は何か、忘れものをしてきた気がすると。
そして忘れてきたものは、
とても大事で、心のうちの大部分を、占めていたような。
そんな気がした。

頭の奥が痛む。
…何を、忘れてきたんだろう。
こんな、痛みじゃなくて。
こんな、切ない思いでもない。

「……リリーナ…、」
「…何?」
「……お前…、姉貴とか…兄貴なんか、いない…よな」
「…いない、けど」
「……だよな…」


空の蒼は深く、穏やかに広がり、でも何も教えてはくれない。
つい昨日までは、忘れたことすらわからなかった。
何か変だと気づいたのは、
空の蒼を見続けていたから。

忘れたんだ、何か、大事な何かを。
一体あの世界で、自分は、何をしてきたんだったか。
闘ってたのはわかる。
でも、もっとそれ以外だ。
強くなることと同じくらい、大事なものが、
あの世界にあった気がする。

そこまで思い出すと、必ず、頭の奥が痛んだ。必ずそこで思考は途切れる。


自分は、強くなった。
それ以外、得たものも、失ったものも、何も無い。
だから、自分の世界に帰ってきて、
自分のやるべきことは、何の問題も無くこなせるようになり、
その分ではあの世界は、自分にとって、有益なものだったのだ。

でも今、こうして、少しずつ思い出している。
得て、失ったものが、必ずある。
思い出した時、自分はどうなるのか。
どうしてこうして、胸が詰まる程に大事なものを、忘れてしまったのか。

わからない。



「………」


空の蒼は、何も教えてくれはしない。
風が吹き、髪を撫でていく。
この手が覚えている、何か、冷たい、やわらかな感触を。

誰を探しているんだろう、
俺は。


見上げた空は、蒼いけど、探しているのは、これじゃない。



ただ覚えているのは、青い   …。



上げようか悩みましたが、上げる条件をクリアしたので上げました。
これを書くと、今まで書いたロイが全て嘘になってしまうような気がしたのです。
…えと、とりあえず、リリーナがニセモノで申し訳ございませんです…(汗)