056:高く飛ぶ




「…鳥だ」

初夏の日差しが降り注ぐ朝、マルスは空を見上げて呟いた。
青を水で薄めたような空の中、真っ白な鳥が一羽、空を飛んでいる。
細い手を目の上に翳し、その日差しをやわらげながら、
マルスは藍い瞳で、鳥の行方を追った。
涼やかな風が、マルスの髪を、服の裾を、舞い上げる。
庭の隅にある細い木の葉が、ざわざわと音をたてた。

「鳥?」
「うん…、…ほら、あれ」

隣にいたロイが、マルスの肩に手をかけて、尋ねる。
マルスは一瞬、視線をそちらに寄越すと、再びその先を空に向けた。
青い、空。
まるで色の無い水面のようだと、そう思う。

ロイの瞳が、ようやく鳥を捉えたらしい、本当だ、と声を上げた。
それ以上は何も言わず、二人はずっと、鳥を眺めていた。
空の高い、高いところを、真っ直ぐに突っ切っていく、真っ白な鳥。

やがて、鳥が小さな点になったころ、ロイは視線を、マルスの横顔に向けた。
ともすれば冷淡に見える、精巧な人形のように整った顔立ちの中、
宝石のように綺麗な瞳は、何を見ているのだろう。

「…マルス、鳥、好き?」
「え? …ああ…、いや…」

マルスは、ロイに瞳を向ける。空の向こうに、もう鳥はいない。

「…うん、そうだな…。…好き、だよ」
「ふーん」

あいまいな返事を、ロイはあまり興味が無さそうに聞き流した。
そんなロイの様子を、マルスは特に気にしない。
鳥が飛んでいった方に、顔を向ける。風がざわつく、朝。

「まあ、俺も、嫌いじゃあねーけどな。
 キレイだし、可愛いし、食うとうまいし」
「………。
 …あのな…。」

最初の二つはともかく、と、マルスは溜息をつく。
こんなところがきっと、ロイがロイたる所以なのだが。

「マルスは?」
「…え、…ああ、…うん…。
 …そうだな…」

急に投げかけられた問いが、
鳥の何が好きなのか、ということを指していることは、理解が行った。
真っ白な鳥が消えていった空の、向こう。
マルスはただ、真っ直ぐに見つめている。
そして。

「…自由じゃなくても、…高いところまで、飛んでいけるから」
「……え?」

ぽつり、と、小さな、小さな声で呟いた、言葉は、
涼やかな風のざわめきに、消えた。

「何? 何だって?」
「…何でもない」
「あ、何だよそれ。ひっでーな、教えてくれてもいいだろ」
「一度言ったことは、二度は言わないことにしてるんだ。
 …いいだろ、別に。理由なんか、どうでも」

そう言って顔を逸らすと、ロイは、ずるい、と言って、背中に抱きつく。
途端に慌てるマルスと、その身体をしっかり抱きしめて、放さないロイ。
この場に誰か別のひとがいれば、いつも通りだ、と思えるような、二人の光景。
初夏の日差しの下、二人はまた、くだらない言い合いを始めた。

遠い、遠い昔。
小さな王子は、城の壁に囲まれた中庭に居た。
水のせせらぎを耳に留めながら見上げた空は、
青くて。
青を水で薄めたような空の中、真っ直ぐに飛んでいく真っ白な鳥は、
壁を越えて、視界を越えて、国境を越えて、手の届かないところまで。
ずっと。

国の滅亡、という事態により、城から解放された後。
手の届かない場所まで行けても、楽しいだけではないのだと知った。
それでもずっと、空の向こうまで飛んでゆく真っ白な鳥は、
健気で、そして、とても強いと思った。

強さが欲しかった。
   自由じゃなくても、自由を感じられるほどに。

「…どこにも行けなくても、」
「?」
「…お前が、傍にいてくれるんだろ。
 …なら、それで、僕は、いいから」
「……へ?」

素直に言ってみると、ロイは、碧の瞳を大きく見開いた。
それを見て、マルスは、少しだけおかしそうに、笑う。

初夏の日差しが降り注ぐ朝。
涼やかな風が、二人の髪を、服の裾を、舞い上げる。
ざわざわと音をたてる、木々の葉が、
淡い木洩れ日を落としていた。



「初夏」という感じのものを書こうかということで。