055:枝毛
「綺麗だよな」
唐突にこう言い、ロイはその手で無遠慮に、マルスの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
人に触れられるのがどうも好きではないらしい マルスはロイを睨むと、
わけのわからないことを言うな、とでも言うように、溜息をつく。
「…何が」
「髪」
「髪…?」
ますます不信そうな顔をされ、ロイは内心、ちょっとがっくりとする。
まあ、髪が綺麗だなんて言われて喜ぶ男なんざ、そうそういないか、と、
ロイは今度は指を、髪に絡ませてみた。
少しも束縛させてくれない滑らかな青い髪は、指の間をすり抜けて、
さらさらと流れ落ちていってしまう。
マルスが何も言わないのをいいことに、
しばらくマルスの髪で遊んでいたロイだったが、
「…いい加減にしろ」
ぱしん、とその手を軽く本の表面で叩かれて、大人しく手を引っ込めた。
ごめんごめん、と軽く笑い、マルスのご機嫌を伺う。
「だって、本当に綺麗だからさ。色もそうだけど。
枝毛とかも少しも無いし、女の子が羨ましがるだろうなーそれ」
「……。…別に、髪なんて、どうでもいいだろ」
「え? …どうでもいい?」
そこまで綺麗な髪なのに、
「どうでもいい」
…だと。
何かがおかしいように思えて、ロイは思わず怪訝そうな声を出す。
「…あんた、自分で髪の手入れ、してるんじゃねーのか?」
「え?」
マルスと同じ程に綺麗な髪の持ち主が、ロイの仲間内にいるのを、ロイは思い出した。
確かその子は、長い髪の少女で、
毎朝毎晩、飽きもせず、長い時間をかけて、きっちり手入れをしていた気がする。
何度も何度も櫛(くし)を通して、髪の毛の先をいちいち確かめて。
髪なんかどーだっていいだろと、
赤い髪をろくな手入れもせずはねさせたままのロイが言ったら、
少女は怒って、ロイにその辺の棒を思いっきり投げつけた。
その棒を頭に喰らって、確か、全治一週間 …
…まあとにかく、綺麗な髪を維持するには、かなり面倒な手入れが必要だった。
どうでもいい、なんて思っている人間が、
そんな面倒な手入れ、するものなのだろうか。
でも現にマルスはこうして、この綺麗な髪を持っているのだし。
そんなことをぐるぐる考えていると、
「…ああ…、」
「?」
マルスがふと、思い出したように呟いた。
「…今は、起きたら勝手に、ピーチさんがやってくれるんだ」
「…は?」
「やらなくていいって言ったんだけど…、…まあ別に困らないし」
「…へ、へえ」
ぴく、と、ロイの笑顔が思わず引きつる。
ロイはマルスが、そーいう対象で好きだ。
さりげなくどころか、大分ストレートに思いを告げたような覚えがあるが、
残念ながらその熱意には答えてもらえないまま。
…まあ以前より、これでも大分マシにはなったのだが。
話しかけても一言で会話を終わらせられていた、出会いのころよりは。
たまには笑ってくれるし。
そんなわけでロイ的には、マルスにそんな風に触ったりできる人が、
心の底から羨ましい。ついでに腹が立つ。
何とか笑顔が引きつるのを押さえようと、ロイが頑張っていると、
マルスはまた、とんでもないことを口にした。
「僕の“世界”では…。…マリクが、やってくれてたんだっけ…」
「…………」
机の上に置いてある写真立てに目を向け、懐かしむように言った。
確か「マリク」とは、マルスが“世界”に帰ったとき無理矢理ついていって、
一度だけ会ったことがある。
あの、妙〜〜〜にいけ好かない、あの、魔導士は。
同じ男じゃなかったか。
「…なーマルス、」
「何だ?」
「…そいつ、マルスのなんだっけ?」
「? 『何』?」
「…敵とか、弟とか」
「それなら、幼馴染だけど」
「…………」
ロイの脳裏に、ふと、嫌な想像が過ぎる。そして多分それは、想像ではない。
あいつも同じ魂胆か…!!!
「…マルス、そのままイスに座って、後ろ向いてて」
「え?」
「…いいから」
何だか心持ち、いつもより低いよーなロイの声に、
マルスはちょっと不思議がりながらも、大人しく後ろを向く。
ロイはそれを確認すると、すたすたと歩いて、マルスの部屋を出ていった。
…しばらくして、戻ってくる。
「………?」
おそらく、洗面台にでも行ってきたのだろう。
その手に、一本のブラシを持って。
「…ロイ?」
「動くな。…明日から俺がやる」
「は?」
「だから! 俺が髪、やってやるっつってんだよ!」
「…何で」
「何でも!」
「いや、別に、やらなくてもっ…っ、いっ…たいっ、引っ張るな、ロイ!」
「え? あ、ごめん」
思わず一度、ぱっと手を離した。
今度こそ完全に機嫌を損ねてしまったらしい、
鋭く、睨まれて。
「いきなり、何のつもりだ!」
「いいだろ別に! 何であいつは良くて俺は駄目なんだよ!」
「え? …あいつ?」
「ああもう! いいよもう、あんたは後ろ向いてりゃいーんだっ、
とにかくだな、マルス!」
慣れない手つきで、熱心にマルスの髪を梳く。
びしっ、と指をつきつけて、きっぱりと言った。
「 あんたもう誰にも、この髪、触らせんなよ!!」
「………?」
えらく真面目で、しかも何だか怖いロイの気迫に押され、
マルスは不思議そうな顔で、頷くしかなかった。
ロイのこんな小さな嫉妬心に気づく時より、少し前の話。
まだロイの片思いみたいです。そして微妙にマリマル(笑)。 マルスの髪は綺麗なんだろうなあという個人的な妄想より…。