049:tomorrow
昨日のことを覚えているかい?
昨日のことを忘れてはだめだけれど
僕らが迎えるのは、明日という時間
僕らはひたすらに、明日へ向かって
誰かを犠牲にした未来を、誰かを犠牲にする過去を
******
「…まーたそんな暗いカオしてる」
「……ロイ」
外の風はやや冷たく、もう本当に秋がやってきたのだと、
ようやっと身を持って実感出来るほどに涼しくなってしまった。
いつまでも外で遊んでいたいという子供達の願いもむなしく、
今は夕方の5時を過ぎれば、空は薄っすら闇がかってしまう。
そんな中、夏も秋もまったく行動が変わらないのが、マルスだ。
元々アウトドア派ではないマルスは、夏も秋もずっと、
大概は部屋に閉じこもって、本を読んだり昼寝をしたり、あるいは仕事をしたり。
そうでなければリビングで、誰かとお茶を飲んでいる。
いつもの通り自室で過ごしていたマルスの元に、いつもの通りロイはやって来た。
もっと他にやることはないのか、と言いたくなるくらい、
ロイはマルスと一緒にいたがる。ロイ曰く、これが日課、ということらしい。
本を読むのを止め、すっかり暗い窓の外を見つめていたマルスに向かって、
ロイは一言、「暗いカオしてる」、と、こう言った。
…どうしてこうロイは、自分のことに関してばっかり、こうも鋭いのだろう。
ポーカーフェイスは、昔から得意だったはずなのだが。
「…悪かったな、暗い顔で」
「ああ、悪いね。あんた最近色々悩みすぎだよ」
「……。…仕方ないだろ…」
悩みすぎるのが性分、と…あまり認めたくは無かったのだが、仕方なかった。
確かに自分は、他人と比べて、悩みすぎだと思う。
そしてそれがどうにもならないから、…また悩んでしまうのだ。
まあ、今回ロイ曰く「暗いカオ」して悩んでいたのは、そのことではないが。
今更悩んでも仕方の無い類の悩み。
それなのにいつまでも、心の深いところを侵し続ける痛み。
「………お前だって、考えるだろう?」
「何を」
「……、…自分が殺した、人のことさ」
「………」
ふ、と、自嘲気味に微笑んで、マルスはロイを見やる。
そんなに意外だったのか、ロイは大きな目を、更に大きく見開いていた。
「……マルス、」
「何だ?」
「……それって、……深読みしてもいい?」
「……。好きにしろ」
ふい、と顔ごと目を逸らして吐き捨てるように言うと、
ロイは驚きと苛立ちと、それから悲しみの入り混じった表情で、
じっとマルスを見つめた。睨んでいる、と言ってもいい。
こういう時、妙なところで鋭い、ロイの性質に助けられる。
『深読みしてもいい?』という言葉は、その通りだった。
「………」
自分が殺した、人のこと。
…自分が直接殺した人のことも含めて、自分の何かが原因で、死んだ人のことも。
ロイが少し前、雨の日に言っていた。
自分が殺した、仲間のこと。
「………」
「…好きだった…、人がいたんだ」
「……。…え?」
ぽつりとマルスが呟いた言葉に、ロイはその思考を、マルスの方へと返した。
好きだった人、とは、どういうことだろうか。
その反応を楽しんでいるのか、微笑みを携えたまま、マルスは続けた。
「違うな。…今も好きだから…好きな人だ。…好きな人が、いたんだ」
「…好きな人?」
「ああ。自由で、縛られなくて、そんなところが好きなんだけど」
「………」
「お前と同じような、赤い髪をしてたよ。だから、…ちょっと懐かしいな」
「………。…もう、いないの? その人」
「……うん」
「………」
マルスが、目を伏せる。瞼を飾る長い睫毛が、揺れた。
前に落ちかかる青い髪と合わせて、 何でこの人はこんなに綺麗なんだろう、と、
ロイは思う。
それは、いつか見た花火とか、桜に感じる『綺麗』と似ていた。
明日を迎えることのできない、一瞬で散りゆくはかないさだめ。
「……僕は…、彼を犠牲にして、ここにいるんだ。
……彼が…僕を守ってくれたから…」
「………そいつ、…マルスのこと、好きだって言ってた?」
「……。…うん、…いっぱい言ってくれた」
「……ふぅん…」
少しつまらなそうに、ロイ。
そんなロイに、マルスは苦笑を漏らした。
「…よく、過去に縛られるな、って言うだろう」
細い息を、長く吐いて。
マルスは、言った。
「……言う、な。俺もよく言われた」
マルスを見ながら、ロイが頷く。
「…でも、…そんなの無理だと思うんだ。…あくまでも、僕の意見だけどな。
過去を気にしていたら、未来には進めないから…
……気にしないようにしようと思っても、いつもこんな風に思い出す」
「………」
「……ロイ。…僕は、間違ってるのかな。
彼が守ってくれたこの日常を…命を、今度は自分が守らなきゃ、とは思うんだ。
…でもどうしても、…どうしても、そういう気持ちになれない…」
「………」
細い手首とたおやかな手とが、マルスの顔の半分を覆って隠す。
手のひらの下の顔は今、微笑んでいるのか、泣いているのか、どっちだろう。
「何であの時、僕は彼を助けられなかったんだって…そんなことばかり思う。
…忘れちゃいけないことだっていうことは、わかってる。…けど、」
「………」
「………」
マルスの声が、そこで途切れた。
ロイが目を少し細めて、マルスを見つめた。
マルスが今、心に抱えている痛みのことは、
手に取るように、とまではいかなくとも、ロイには大体理解できていた。
自分も少し前、雨の日に、同じようなことで悩んでいた。
そしてマルスに、それを救ってもらった。
昨日を忘れてはいけないのだという、大事なことを教えてもらった。
「………」
でも、…もしかしたら、それだけではないのだろうか。
人間が、乗り越えなければいけない痛み。
それは、自分の痛みを、認めることだけじゃなくて、もう一つ。
「……マルス…、」
そこから、踏み出す勇気を。
それまでずっとソファに寄りかかっていたロイが、スッと立ち上がった。
そして、イスに座っているマルスの元へと、歩み寄る。
「マルス、顔上げて」
「…ロイ?」
ロイの声が近くで聞こえて、マルスはふと顔を上げた。
自分が座っている為、ロイの視線が、自分よりも高い位置にあった。
それを認識した直後、
ロイが、マルスの身体に腕を回し、正面から抱きしめた。
「…っ。…え、…ちょっ、ロイ? 何やって、」
「いいから。…少し黙って」
「……?」
左腕は華奢な身体を、右手は、マルスの小さめの頭を抱え込んで。
剣士特有の少しごつごつした指が、青い髪の間を滑っていく。
マルスは頭をロイの胸の辺りに押さえつけられ、それでも何故か抵抗しなかった。
定期的に脈打つ心音に、ささくれた気持ちが、やわらいでいくような気がした。
「……ロイ…? …あの…、」
「…マルスはさ、…自分の痛みを認められる、強さを持ってても…
それまでなんだな」
「……え…?」
「……それも、間違ってないと思うけど」
ロイの表情が見えないのが、何故だか少し不安で、
マルスは顔を上げようとした。
…ロイの手にやんわりと押さえつけられ、叶わなかったのだが。
「人に守ってもらった命を自分で守らなきゃ…ってわかってんなら、
…じゃあ、できんだろ? その先も。
…怖がる必要なんて、どこにも無いさ」
「……怖がる…?」
「怖がってるだろ、マルスは。人を犠牲にした未来を」
「……。……だって」
「だっても何もないだろ。…あんた神経質すぎだよ…。
まーそこがあんたのいいとこなんだけどな。そういうとこも好きだし」
仕方の無さそうに笑って、ロイはマルスにそう言った。
腕の中のマルスが、ちょっと抵抗したのがわかった。
「折角もらった未来なら、遠慮無く受け取っておけばいいだろ。
マルスが明日を生きるのを、…別に誰も咎めたりしない」
「……でも…、」
「まだ『でも』とか言うのかマルス。…あのな、そいつ、マルスのこと好きだったんだろ?」
やや乱暴に、頭を押さえつけながら、ロイ。
声が少し不機嫌気味だが、マルスはそれに気づかなかった。
「…そうだって言ってた」
「ならいーんだよ、だって、とかでもー、とか言わなくて!
そいつがどんな奴だったかなんて知んねえけど、
ともかくそいつは、マルスに未来を生きてほしかったんだからさっ…」
「………」
「未来譲ったマルスがそんなんじゃ、そいつだって安心しねーぞ多分。
あんたがまだそいつのこと好きなんなら、そいつに心配かけたくねーだろ!?」
「……うん」
「それならそれでいいんだよ。
いいだろ別に、明日を当たり前に迎えるのが、『普通』でも『日常』でも」
「………」
彼が隣にいたころは、明日を迎えるのが普通、だとは言い難かった。
悲しい事実だが、自分は、いつ死んでもおかしくない身の上だった。
戦乱の時代が終わった後だって、王族という身分である以上、身の保証はできない。
そう。…こんな、日常とはあまりにもかけ離れた“世界”に来なければ。
彼は、知っていたのだろうか。
自分がいつか、こんな“世界”に足を踏み入れることになることを。
当たり前の日常を知らなかった自分に、
当たり前の日常を、
明日を当たり前に迎えることを、教えてくれようとしたのだろうか。
彼だったら、やりかねなかった。
あまりに自由奔放で、色々なものを見透かしていた、彼ならば。
「………ロイ…、」
「何」
「…お前は、強いな」
「強い? …マルスの方が強いだろ」
「…剣の話じゃなくて…」
とくん、とくんと、心臓の脈打つ音が聞こえる。
自分を今、こうして抱きしめて、こうして自分を叱りつけて。
自分には、無い強さ。
過去を引きずって、それでも未来へ進もうとすることのできる、その勇気。
過去を置き去りにするわけじゃない、
全てを背負って、重い荷物を背負ったまま、ただ、前へ。
後ろを見ながら、前をも見ることのできる、この少年を。
その、強さに惹かれずには、いられなかった。
自分にも、こういう力があればと、ずっと思ってた。
過去の傷痕を認めることができても、
ずっとずっと、それに足をとられて、進むことができなかったから。
「……僕は…、」
「……?」
「…明日を、また、この部屋で迎えても…。誰かに、咎められたりはしないかな。
…未来に進んでも、彼は僕を許してくれるかな…」
「……当たり前だろ。許す許さねーの問題じゃなくて、皆それを望んでる。
だって皆、…マルスのことが、好きなんだから」
「……ロイ、」
許されても、いいのだろうか。
誰かを犠牲にした未来を。
ロイの指が、マルスの髪を絡め取る。
マルスが嫌がらないのを知って、好きなように遊びながら、
やがて、ロイは言った。
「それから、マルス」
「…うん…?」
「…こういう時は、泣いてもいいんだからな」
「………」
マルスの手が、何かを探すように宙を彷徨って、そして、
ロイの服の裾に、たどり着いた。
おずおずとそれを掴み、…そして、腕の中で、動かなくなる。
穏やかな微笑みをマルスに向けながら、おどけた様子で、ロイが言う。
「……あーあ、マルスの初恋は、俺じゃなかったのかー。
ちょっとがっかりー、…なんちゃって」
「………ィ、」
「んー? 何なにー?」
やたら嬉しそうに、ロイはマルスに答える。
「……りがと…、」
「………」
それからその先、もう何も言わないマルスを、
ロイはより、強く抱きしめる。
本当は、マルスの顔を覗きこんで見たかったが、
マルスが嫌がったから、やめておいた。
窓の外、冷たい風が、鳴くように吹く。
明日を知らない世界の中、誰も知らない明日の過ごし方を好きなように考えながら、
ロイはとりあえず、今日の夕飯の時間を待つことにした。
外の空気は、未だ冷たい。
ウチのマルスはロイに叱られてばっかりですね。そして私はこういう話好きらしいです。
押し付けがましくて、しかも暗くて申し訳ございません…。
『彼』はまあ、本当は殺しても死ななそうな人ではありますが(苦笑)
他に推奨カップリングのある方は、頭の中でちょいちょいと表現を変えてどうぞです(笑)
次は明るい話を書くぞー、おー!!