045:不慮の事故
屈託の無い笑顔で俺の名前を呼ぶ、それでも恋なんて一度もしたことが無かった。
…無かった、のだけれど。
「…ったく…、」
はねた赤い髪を不機嫌そうに掻き乱し、その日ロイは、
果物入りの紙袋片手に商店街中を歩き回っていた。
忙しなく辺りをきょろきょろと見回すその姿は、誰が見たって、
迷子を捜しているのだ とわかる。
ただしこの少年の場合、捜す迷子が迷「子」じゃない。
「……あ、」
歩き回っていた少年が、ぴた、と足を止め、人込みの向こうをじっと見つめた。
幸いにも彼の捜し人は背が高く、髪の色が変わっているため、遠くからでもすぐわかる。
そちらに向かっていると、その「捜し人」も、彼に気づいたらしい 、
「…ロイ!」
ぱっと笑って、彼の名前を呼んだ。
そして、たたたたっ、と走ってくる。
が。
「っ、おい馬鹿、走るな、マルス!」
「…わっ、」
彼との距離を半分ほど縮めたその瞬間、マルスは何につまづいたのか、
前に思いっきり倒れ込む。
それを予測していたのか、ロイはそれより前に走り出し、
転びかけたマルスを、片腕で抱きとめた。
もう片方の腕は、紙袋の中身を、頑張って守っていた。
マルスがロイにしがみつくような体勢のまま、少しだけ乱れた息を、整える。
やがて、
「…びっくりしたぁ…、」
「…だから走るなっつったんだよ、…ったく」
ロイから離れて、にっこりと笑いかけた。
不機嫌全開なロイとは、おおよそかけ離れた表情である。
「ありがとう、ロイ」
「………怪我は?」
「無いよ。大丈夫」
マルスが無傷なのを目で確認すると、ロイは自分も体勢を立て直した。
そして、マルスをじっと、睨むように見る。
今度は、迷子になったことへの説教の為だ。
「…で?」
「…花が、綺麗だなぁと思って…」
マルスもそれをわかっているらしく、取り繕ったりせず、素直に白状する。
しゅんと項垂れるその様子は、ちょっと怒る気が引けてくる。
…が、説教を怠るわけにはいかなかった。
彼より年上のこの青年は、意図的な問題は起こさなかったが、
かなりぼんやりしている為、無意識に大した問題を起こす。
被害を受けるのは、何故か保護者的な存在になっている、ロイ。
迷子になった理由を聞くと、ロイはうんざりと溜息をついた。
「…あのな。前は確か、うさぎが可愛いな、だったよな?」
「…だって、可愛かったんだもん…」
「うさぎはどうでもいいから。…で、俺その時言ったよな?
ただでさえ人が多くて見失いやすいんだから、
勝手に立ち止まったり、走ったりするなって」
「……うん…」
マルスは悲しそうな顔をしたまま、ロイからさりげなく視線を逸らした。
自分が悪い、というのはわかっているらしい。
やがてマルスは、おずおずと顔を上げる。
ロイをじっと見て、申し訳無さそうに、ぽつりと言った。
「……ごめん、ね」
「………」
少し微笑んで言われると、
何故だか自分の方が悪いことをしてるような気になってくるのは、
この王子の魔力だか魅力だか、そういうものの所為なのだろうか。
マルスがこういう微笑み方をする時は、
彼がひどく悲しんでいる時なのだと知っているロイは、
つい何も言えなくなってしまう。
これがもっと別の誰かならば、もっと容赦無く言えるはずなのだが。
「……悪いと思ってんなら、…もう勝手にどっか行ったりすんなよ」
「……うん」
ロイは大きな溜息をつくと、マルスの横を通り抜けて、すたすたと歩き出した。
一度立ち止まって振り返り、ついてこい、と視線で訴える。
そしてまた歩き出すと、後ろから、マルスが小走りでついてくる音が聞こえた。
「ロ、ロイ? どこいくの?」
「どこだっていいだろ」
「でもこっち、屋敷とは反対方向で…」
「いいからついてこい」
おろおろしているマルスは放って、ロイは人込みの中を歩く。
時折マルスがちゃんとついてきているか、振り返って。
しばらく無言で歩いて、やがて着いた場所は、
「………ここ、」
ロイとマルスが離れ離れになる理由となった、 花屋だった。
マルスが明らかに慌て、困惑して、ロイを見る。
「…ロイ? …あの」
「どれだ?」
「…え…」
マルスの手首を強引に掴んで、店頭に並ぶ花達の前に、引き寄せる。
相変わらず不機嫌そうに、マルスを見上げた。
「どれが綺麗だって言ったんだよ」
「……? …えっ…と、」
マルスが指差したのは、店頭にあった花達ではなく、
店の奥、隅の方に飾ってあった、白いマーガレット。
「…あれ…」
「…あれ? あの白いやつか?」
「うん」
「……。…よくもまあ、あんなとこの花に見とれられるな…。
…ま、いいか。わかった」
言うなりロイは、店の中に入り、店員に何か、話しかけた。
マルスに声の届かない位置で、しばらく問答を繰り返す。
「……??」
頭の上に疑問符をいっぱい浮かべ、でもなんとなく声をかけづらくて、
仕方なくマルスは、店の前でじっと、ロイが出てくるのを待つ。
時折後ろを通りがかる子犬が可愛くて見入りそうになったが、
これ以上ロイを不機嫌にさせるわけにはいかなかったので、何とか耐えた。
そんなことをやっている合間に、
「おい」
ロイが、帰ってくる。
やっぱり不機嫌そうだ。
「…また何かに見とれてただろ」
「…子犬が…」
「……。…ったく…」
ロイはもう一度溜息をつき、お前もう俺から離れるな、と言った。
ごめんね、と小さな声で言うマルス。
ロイはそんなマルスを軽く睨んだ後で、
マルスに、ずい、と何かをよこした。
そして、ぐるっ、と後ろを向いてしまう。
「…これやるから、…俺の横でこれにでも見とれてろ」
「…え…、」
思わず受け取ってしまった、ロイから渡されたものは、
「…これ」
先程、ロイが訊いた 白いマーガレットだった。
「……ロイ、」
「…それがあれば、とりあえずどっか行ったりはしなくなるだろ」
「…いいの?」
「今更言うな。…いいよ、やるよ」
「…本当?」
「しつけーな、もう!! やるっつってんだろ!!」
「……ロイ、」
「今度は何だよ!」
居心地悪そうにマルスに背中を向けていたロイが、
いい加減にしろ、とでもいうような顔で、振り向いた。
だけどその先に待っていたのは、
そんな気さえも、殺がれるもので。
「…ありがとう…」
「………」
一輪のマーガレットを両手に大事そうに持って、
その花に負けないくらいの、ふわふわした可愛らしい笑顔で、
こんなことを言う。
「……〜〜〜っ…」
そんな表情を見て、ロイは何故か、顔を真っ赤にさせる。
その顔を隠そうと、再びマルスに背中を向け、急に歩き出した。
「あ、…待ってよ、ロイ」
「喋るな!」
「…え」
「…いいからさっさと歩けっ」
「…うん」
慌てて追いついてきたマルスは、いつものように、ロイの横に並んで歩く。
横のマルスをちらっと見ると、マルスは、
両手の中の、たった一輪のマーガレットを、
それはそれは嬉しそうに、さっきの笑顔そのままで見つめていた。
そんな顔を見て、ロイはまた、
何か胸がざわつく、そんな感覚を得る。
何で、どうして。
こいつは同じ男で、しかも自分より年上で、
確かに剣の腕はたつけど、
とろくて、ぼやぼやしてて、よく転んで、すぐ迷子になりそうで、
自分に手間ばかりかけさせる、
どうしようもない、疫病神。
そう、…そんな、はずなのに。
「…綺麗だなぁ…」
「………」
こんな笑顔たったひとつ見たくらいで、
全てを許したくなって、
こんなふうに、胸の中がざわついて、
どうしようもない感情に捕らわれそうになるのは、
どうしてなんだろう。
「……わっ、」
「っ! おい、何やってんだ馬鹿!!」
その気持ちが、
「惚れた方の負け」、という言葉、
そのものの理由であることを、
ロイはまだ、知らない。
このロイは、何だか身長170ありそうです。マルスと僅差。
僅差だから腹が立つ。…ああ面白いかもしれない…。
確かマーガレットの花言葉は、「胸に秘めた想い」とかそういうのです。
…確か…。