044:南




あれは、太陽が、一番南にのぼったときの話。

もちろん、わくわくした、なんて、そんなことはなかったけど、
空の高さとか、風の向かう場所とか、
毎日のように見ていたはずのものが、いつもと違って見えた。

ああ、これが、出発するってことなんだな、と、

旅を続ける人の気持ちが、少しだけわかった。ような気がした。


   ******


「……懐かしーな、」
「…?」

公園の奥、丘の上に寝転んで、ロイは手を伸ばす。
頭の横で揺れる、芝生の匂い。
ロイの横に座って、本を読んでいたマルスは、
起きたのか、と呟き、本に栞を挟んで閉じた。
真新しい、ハードカバーの白い表紙。
脇に、本屋のロゴの入った紙袋が、丁寧に畳まれて、置いてある。

「何が懐かしいんだ?」
「昔のことだよ。いろんなこと」
「…ふぅん」

伸ばした手の先、指で、マルスの髪にそっとふれる。
若干引っ張るように掴んだその指は、
太陽と同じ薫(かお)りをしていた。暖かいけど、やっぱり、ちょっと痛い。
マルスが顔を、少し引きつらせる。

「あ、ごめん」

それを見てロイが、慌てて手を放した。
マルスが女の子であれば、ごく普通の恋人同士に見えるであろう、
そんな情景。…マルスは不本意だろうが。

芝生に両腕を沈めて、ぼんやりと、空を見つめる。
流れていく雲。淡い空色。
ときおり吹く風が、芝生の間を抜けて、耳元でざわざわと音をたてた。

「…ちょっと、タダのホームシックだから」
「…は?」

ホームシック。

「…帰ろうと思えば、今からでも帰れるだろ」
「うーん。それはまあ、そーなんだけどさあ。そーじゃなくて」

何だかなー、とロイは呟く。
見つめた空の、向こうに何を見ているのだろう。
ロイの碧の瞳をじっと見つめて、マルスは無意識に、息を潜める。
邪魔をしてはいけないような気がした。

「…何つーか、こう」
「………」
「…向こうの“世界”には、マルスはいないしなー」
「………。」

にこ、と、いつもみたいに笑って。
ときどきマルスは、ロイに、ひどく弱い。
さらりと殺し文句を言うところなんかが、特に。 本人が知らないだけで、マルスも同じように、
ロイに殺し文句を吐く時があったりするのだが。マルスは知らない。

ロイは再び空に目を向けた。
芝生の匂い。太陽と同じ薫り。
ふ、とその目を閉じる。
何も見えない。何かが聞こえて、たくさんの匂いを感じるだけ。

「だから、帰りたいとか、恋しいとか、そういうんじゃないんだけど」

小さい足で、走って転んだこと。
泣き喚く自分を、肩車して、家路についた父親のこと。
育って、海の向こうに渡った時も、同じようなことを思った。
そして、帰ってきて、
初めて戦いに出た日。太陽が、一番南にのぼって、でも眩しくは無かった。

太陽が、一番高くにのぼるころには、皆、昼の明るさに慣れているから。
どれだけ位置が低くても、夜明けにいきなり覗く、朝日の方が、眩しい。

「………」

あの時は、いろんなものが新しいものに見えた。
空の高さとか、風の向かう場所とか、
毎日のように見ていたはずのものが、いつもと違って見えた。

あの時と比べて、少し時間が経った今は、もちろん、そうじゃない。
色んなものは、見慣れてしまって、新しくは見えない。
どれだけ綺麗に見えても、時間が経てば、いろんなものが見慣れたものになる。

青い髪も、藍い目も、少し頼り無い綺麗な見た目も、
隣にいるのが、傍にいて本を読んでいるのが、
からかうと本を投げつけてくるのも、実は意地っ張りだったりするのも、
当たり前に。

「…ま、いいか」
「え? …何が、」

   それは、時間をそれだけ共有したことになるのかもしれない。

「マルスが俺と一緒にいて、良かったってこと」
「……?」



南 → 南中高度→ 太陽が一番高い位置、
…という安直な連想で。
やはり最近は、昔のことがどーこー、という話が好きらしいです…。ワンパターン…(痛)

そしてやっぱりFE封印を捏造しました。申し訳ございません…っ。