040:天使
誰もが振り返る程、とは言わずとも、誰かを守るのに適した身長。
180センチ、もしくはそれ以上の。
守られる側からすればかなり頼りがいのある姿だろう、
おまけに彼の、その容貌。
炎のような赤い髪、涼しげな碧の瞳。
美男子というカテゴリーには入らないが、青年らしい、精悍な顔立ちをしている。
街角にただ立ち尽くしているだけなのに、彼はいやに人目を引いた。
雑誌的に言うと、彼氏にしたい人ナンバー1、みたいな煽りそのものであるかのように。
彼は誰かを待ちながら、ただ、そこに立っていた。
「…あ」
あの彼の待ち人とは誰だろう。と、女の子達の視線が集まる中、
そんなものは気にもかけず、彼は急に、無表情から笑顔になった。
道の向こう。
彼の気持ちを一心に惹きつける、その人がいた。
「マルス!」
「ロイ。ごめん、遅くなって…、」
花には蝶。泉には精霊。そして、美男には美女。そんな言葉が、頭に過ぎる。
その人の待ち人は、それこそ思わず見惚れる程の、たいそうな美人だった。
透き通るような白い肌。長い睫に縁取られた、深い、藍の瞳。
青い髪がさらさらと流れて、清冽な顔立ちをいっそう魅力的に見せている。
男なんか女なのか、ぱっと見では区別がつきにくい、中性的な印象。
それは、身体の華奢さで、より顕著になっていた。
けっして身長は低くないのに、どこか儚げな雰囲気を持つ。
腕の頼りなさも、腰の細さも、首筋の薄さも、すべてが庇護欲を誘っていた。
赤い、大人の空気を持つ男性と、
青い、綺麗、という言葉そのものの青年。
赤い男性の方が、背が高い。
青年は少しはにかみながら、男性へと走り寄ってくる。
ぱっと見てわかるくらいの、しかしけっして大きすぎない、身長差だった。
実にお似合いの、恋人同士。
…青年は男だが、それでもお似合いの、恋人同士。
「…わっ…、」
「! あ、おい、マルス…!!」
駆け寄ってきた青年が、何かにつまづいて、切羽詰まった声をあげた。
がくん、と前に倒れる、細身の身体。
それに気づいた男性はいち早く駆け出していた。
真っ直ぐに、迷い無く、腕を伸ばす。
地面に吸い込まれそうになった身体は、男性のしっかりした腕に支えられた。
「…大丈夫か?」
「あ、うん…。…ありがとう、ロイ」
ふんわりと、まるで花のように微笑む。
白い頬をほんのすこし赤く染めた、そんな表情は、
とてもかわいらしい。
青年が体勢を立て直す前に、男性はその腕を引いていた。
少し驚いたような顔のその人を、包むように、抱きしめる ……
「……ぴいいぃ、かあぁぁっ、ちゅうううぅぅぅぅ ッッッ!!!」
「おっわあああぁぁぁぁぁ ッ!!!」
ばちばちばちっ、どぉーんっ!!
……。
「…ふう…。」
朝からかなり派手な音をたてて、ロイにかみなりが落ちた。
しゅうううぅ、と煙をたてるロイと、
何故かちょっぴりすっきりした顔のピカチュウ。
小鳥がちちち、と歌う、爽やかな朝だった。
煙をあげたまま、ロイががばっ! と身を起こす。
「てっっっめええぇぇぇ!! おい、ピカチュウ!!」
「おはよう、ロイさん」
「ああ、おはようピカチュウ。で、穏やかに済ますと思ってんのか!
俺に、マルスとかリンクにやる手は通じないんだからな!」
「だからわざわざかみなり使って起こすんでしょ。
てめえーっ、なーんて言われる筋合いは無いと思うけど」
「あああぁぁ、もう! 話をそらすなーっ!!」
「そらしてるのはロイさんでしょう? で、何」
目を合わせた瞬間、くだらないことで言い合いを始める一人と一匹。
もっともピカチュウの方は、そうは思っていないかもしれないが。
相変わらずのマイペースを保つピカチュウを、ロイはびしっ、と指差した。
「あっのなー、何で起こすんだよ!!」
「何でって、朝だからに決まってるでしょ」
「朝だからって起こすなよ!!」
「言ってること無茶苦茶なのわかってる?」
「ああああ、もう〜ッ!! せっかく、いい夢見てたのにーッ!!」
「……ゆめ?」
「いいとこだったんだぞ、ったく!!
もうちょっとでこー、あのかわいいマルスをぎゅうっと抱きしめられたのにッ…!!」
「…抱きしめる? 抱きつく、じゃなくて?
っていうか、夢の中でもそんなことやってるの? ロイさん…」
一人で勝手に熱血しているロイと、どこまでも冷静なピカチュウ。
「悪かったな、小さくて!!
抱きしめる、であってんだ!」
「…べつに、そんなことは言ってないんだけどねえ…。」
「俺は夢の中では、すげー背が高くてさー。
もっと、こう…。カオとか大人の男! って感じの顔しててさ、
ちょっと父上っぽかったのが腹立つけど」
それはたぶんエリウッドをモデルにしてたんだろう、とはピカチュウは言わない。
「で、マルスがさー、いつもよりちっちゃくてかわいくって…!!
いや今もかわいいんだけど、やっぱ見上げると見下ろすとじゃ違いが、
ああでもちょっと首傾げて見下ろしてくれる角度もいいんだけど!!」
「それはどうでもいいから、続き」
「何だよどうでもいいって! …ふっ、さてはお前、マルスのかわいさがわかんねーんだな」
「ロイさんの趣味なんか知りたくないし」
「身長のワリに細い腰とか手首とかー、白いうなじとか完璧な鎖骨とか、
青い髪もいいよなー、さらっさらで。目も綺麗な藍色でさー…」
「……かんぺきなさこつ?」
ピカチュウのつっこみは完璧に無視して、ロイはひとり妄想モードに入っている。
妄想というか、想像というか、ただのノロケというか。
疑問を感じることで、めげるということから逃避するピカチュウは、
それでもかなりうんざりとした様子で、ロイの話をきちんと聞き流す。
「完璧だろ、こう、指でたどるとさー…さらっとしててさー…。
当然肌も綺麗だし… …って、俺が言いたいことはそういうことじゃねーんだよ!!」
「うん。ようやくわかってくれたんだね」
ようやく妄想は終わったらしい。
再び熱血し出したロイを見て、ピカチュウはちょっぴり安心してしまった。
何でこんなことで安心するんだろう、と少し悲しくなったピカチュウは、
頭のかたすみで、自分の親友のことを思い出していた。
彼もこういうとき、こんなふうなことを思っていたのだろうか。
はあぁ、と溜息をつくピカチュウをよそに、ロイの夢の話は続く。
「っというわけで、俺はもう少しで、マルスを抱きしめられるとこだったんだ。
ああ、あの俺より小さなマルスは、どんな抱き心地だったんだろーなあ…。
やっぱり腰とか細くって、思わず押し倒したくなるくらいかわいかっただろーなあ…。」
「………。」
「…あ あ、なーんで夢だったんだろ、あれ。
もったいねーの」
「…………。」
「どうせなら、もっと色んなことしたかったってゆーか…」
「……………。」
「…何だよ、ピカチュウ。何か言いたそうだな」
かなり冷え切ったピカチュウの視線に、ロイはようやく気づいた。
不信そうに、ロイは、ピカチュウを見下ろす。
そんなロイに視線を返して、ピカチュウはぽつりと、呟いた。
「……いや……。
……なんて、いうか…。」
ああ、やっぱり、人間は不思議だ。
……夢のことなんかで本気で怒って、あれこれと想像できちゃうなんて。
僕やっぱり、人間のことはわからない。
心の中で、親友に、そっとメッセージを送り届ける。
「……ロイさんって、バカだよねぇー」
「ああ!? 何がだよ、悪かったな!!
そもそもお前が、朝だからって俺を起こすから 」
「だから自分が何言ってるかわかってる、ロイさん?
なんなら今から僕が、永眠させてあげてもいいけど」
「いや、いい!! すいません、遠慮しますッ!!」
「しなくていいのに…」
「するに決まってんだろーがッ!!」
「…どうしたんだ? ロイ」
「!!」
あーだこーだと言い合う二つの声の間に、誰かの声が割り込んできた。
夢の中でも覚えてるほど聞きなれた、優しい声。
…ただし今は、その優しい声は、朝には似つかわしくない程、呆れかえっていたが。
「マルス!」
「ピカチュウがいつまでも帰ってこないから、
起こすのに手間取ってたのかと思ったんだけど…、」
「…うーん、まあ、そんなもんかも」
「マールースー! おっはよー」
ピカチュウとマルスの会話は無視して、ロイはマルスに駆け寄っていく。
そして、いつものように、勢いよく、抱きついて。
それは抱きしめる、というよりはやっぱり、抱きつく、という方が正しかった。
「! うわっ…、」
抱きついた、身体は。
いつものように少しだけ崩れて、そのままなんとか踏みとどまった。
そう、わかってる。
夢は夢。
抱きつくのは自分だし、自分は相手を当たり前のように支えたりはできない。
やっぱり背は低いまま、相手を見上げるだけ。
だけど。
「おはよう、マルス」
「…うん。おはよう」
少しはにかむように微笑む、そんな表情。
青い髪、藍い瞳。
ロイに向けられる声も、変わらない。
夢は夢。
だから。
今は現実に納得して、この角度を楽しむことにしよう。
「早く、着替えてこいよ。
行こう、ピカチュウ」
「うん。…じゃあね、ロイさん」
「ああ、また後でな」
そんな、普通の会話を一通りこなした後。
いつものように、朝は、一日は、始まった。
ヒトは翼への進化を止めたから地上をしっかり歩けるわけで。
だから人間の形にはどうしても、羽は似合わないんだと思います。
ロイ様、妄想屋。ごめんなさい(笑)