037:気まぐれ
「マルスー。入るぞー」
こんこん、と、小さな音が二回聞こえて、そしてすぐに扉が開いた。
机に向かっていたマルスは、ペンを止め、顔を上げる。
そして、ノック音と共に聞こえた、声の持ち主を確認した。
「…ロイ」
「お疲れ。ココア淹れてきたんだけど、迷惑?」
扉を器用に足で閉めたロイは、両手にマグカップを二つ持っていた。
落ち着いた色合いの、赤と青のカップ。
それぞれから湯気が立っているのを見て、マルスはふ、と微笑む。
止めたペンをペン立てに挿すと、ロイに言った。
「いや。…いい加減、休憩しようと思ってたところ」
「もう、四時間ぶっ続けだろ? よく飽きないよなー…」
「飽きる、とかいう問題じゃないだろ。
これが僕の仕事なんだし」
「ふうん…。…俺だったら、絶対できないけどな。そんなの」
そんな細かい字の書類なんか、読んでるだけで眠くなりそうだ、と、
歩きながら、ロイは言う。
そんなところが、ロイらしいな、と、マルスは笑った。
「はい」
「ありがとう」
斜め後ろから差し出されたカップを、マルスは両手で受け取った。
細く息を吹きかけて冷ましながら、一口、口にする。
そんなマルスをちら、と見下ろしながら、
ロイは机の上に散らかった、数枚の書類を見渡した。
ぽつり、と呟く。
「…それにしても、難しい書類がこんなに山ほど来るなんてさ、」
「?」
ロイの呟きが聞こえ、マルスはロイを見上げた。
ロイより自分の方が、身長が大分高いから、
下から見るロイというのは、どことなくいつもと、違って見える。
子供っぽさを見せる瞳が上手く見えないその顔は、
いつもと違って大人びて見えて。
マルスの頭の横、肩の少し上を、ロイの手が通った。
マルスの身体越しに、とん、と机に、手を置く。
「…大変だなぁ、王子様、っつーのも」
「………」
机の上に置かれた手に、思いがけず、目を奪われた。
身体の小ささとは違う、思っていたよりも大きめの、しっかりした手。
見上げたロイの視線が、前に見上げた時よりも、
高くなっている、…気が、する。
「………」
ロイが呟いた言葉の後で、急に、部屋が静まり返った。
ふと垣間見せた大人びた横顔に、否応無しに惹かれ、見入ってしまう。
多分それは、普段と違う、彼のもう一つの顔だから。
窓の外で、風が踊る音が聞こえる。
「…マルス?」
「……え…、」
ふいに聞こえたロイの声に、マルスは現実へ引き戻された。
「…どうしたんだよ、ボーッとして」
「………。…何、でも…」
不思議そうに自分を覗き込むロイを見て、
マルスはようやく、自覚する。
「………っ…」
自分がこの、自分より年下の少年に、
うっかり見惚れていたことに。
その事実に、思わずマルスは、顔を赤くする。
「…マルス? どーしたんだよ、って」
「…何でも、ない…」
「何でもなくないだろ。顔赤いし。…まさか、熱があるんじゃないだろーな」
「何でもないって、言ってるだろっ…」
「何でもなくなかったらどーするんだよ、…あんた、無茶すんだからさ」
書類が汚れない位置にカップを置いて、
ロイは無造作に、マルスの前髪をかき上げた。
もう片方の手でサークレットを外すと、
こつん、と額を、マルスの額に押し当てる。
「……ロ、イッ…、」
「…熱は、ねーみてーだな…。……、…マルス?」
碧の瞳に、至近距離で覗き込まれ、
今度こそマルスは、動揺した。
頬が熱を持って赤くなるのが、自分でもわかる。
瞬間、まるで条件反射のように、マルスの手は、机の上の本を取っていた。
ロイの顔目掛けて、思いっ切り投げつける。
「…っ!!?」
それを、寸でのところでかわしたロイは、
「………っ…」
「……な…っ、」
何故か顔を真っ赤にして、こっちを睨んでいるマルスに、
いつもの通り、つっかかった。
「…何、すんだよマルス、急に!!」
「…何でもないって、言っただろっ!!」
「ちょっと額合わせただけだろーが!!
それ以外はまだ何もしてねーだろ!!」
まだって何だ。
「ったく、もー…。…何なんだよ本当、あっぶねーなぁ」
「……だから、何でもないってっ…」
「何でもないのに、顔が赤くなったりするか。
……あ、もしかして、」
「……?」
いいこと思いついた、と言わんばかりの冗談めいた表情で、
ロイはわざとらしく、人差し指を立ててみせる。
怪訝そうに見る、マルスの前で、さらりと言った。
「俺のかっこよさに、ようやく気づいてつい見惚れちゃったーv …とか」
「………」
「…なーんて、まっさかなぁー…」
「……だ…れ、がっ…」
ロイがふざけてこんなことを言うのはいつものことで、
だから普段なら、もっと簡単にかわせるのだろう。
が、
今回は、そうもいかなかった。
ロイが冗談のつもりで言った、そのことは。
ほぼそのまんま、マルスの心境だったから。
「…お前なんかに、見惚れるか、このバカッッ!!!」
「っ…、ちょ、って、マルスッ!!?」
立ち上がり、机に立てかけた剣を手にして、斬りかかっていく。
立って近くに並んで見れば、わかる。
やっぱり身長はマルスの方が大分高いし、
ロイは小さくて、まだまだ子供だ。
でもそれでも、
自分の額に当てられた手の大きさとか、その体温、
そして視線の位置は 初めて会った時より、少しは高くなっているのだから。
認めたくない。
そしてマルスは、やっぱり気づいていない。
「マルスッ!!」
「うるさい! 一回くらい、大人しく斬られろ!!」
「一回くらいって、今までどれくらい斬られっ… …わー、マルスッ!!
当たる!! 当たるって、この距離は当たる! 死ぬってマジでッ …」
ロイがマルスを、好きなのと同じくらい、
マルスもロイに、惹かれているという、そんな事実に。
差し替えました。
ロイにメロメロなマルスというのはどうだろうと思ったのですが、
何だかおかしいですね…(笑) うちの王子は年上の男性に弱いようで。