032:フェンスの向こう




手紙には、ただ一言、こう書いてあった。

  『この世界へ招待します』、

と。


   ******


「…何、見てるんだ?」
「オグマ」

執務室の大きなソファーは、仮眠を取る時の為にと、マルスが自分で頼んで入れたもの。
仮眠室があるんじゃあ、と言ったら、
ベッドに横になると、熟睡しちゃうからな、と笑って答えた。

ソファの背もたれに大げさに寄りかかって、手を額の上にかざす。
その手の中には、封の開けられた白い手紙。

「ああ、その手紙か…。…で、結局、何だったんだ?」
「うん…。…調べてみたんだけど、」

腕をつっかえ棒にして、マルスがソファの背もたれから身体を起こす。
ソファの後ろからマルスの顔を覗き込んでいたオグマは、
マルスが身体をゆっくりと起こすのと同時に、身体を少し、引いた。
藍い瞳が、真っ直ぐに、大きな窓の向こう側を見る。
青く透き通った水に守られた、綺麗な国だ。遠いところに、空との境界線があった。

「よくわからないんだけど、この世界の『向こう』に…、
 僕達のいる、この世界とは違う“世界”が、あるらしいんだ」
「………」
「そこには、僕とは違う“世界”の人達が、手紙に呼ばれて…、
 その“世界”の、大きな屋敷で、一緒に、過ごしてるんだって」
「…ほぉ…、」

少しだけ興味ありげに、オグマ。
マルスはどこか申し訳無さそうに、微笑む。

「夢みたいな話だろ? …本当に、夢みたいだ」

白い封筒から、便箋と取り出す。
ただ一言、招待する、と書かれた、真っ白い便箋を。

年頃の青年らしくもない表情をたたえたマルスを、
オグマはじっと見つめた。
優しく見つめるでも、きつく睨むでもなく、
ただ、じっと。

その表情に、覚えがあった。

「…マルス、」
「? 何だ?」
「お前さん、行きたいんじゃないのか? その“世界”、に」
「………え…、」

マルスが、目を大きく見開いた。
心底、驚いた様子で。
そんな仕草だけはまだ、子供のようで、
オグマの表情も、ふっと緩む。

「…やっぱり、そうか」
「………」
「じゃあ、行けばいいだろう。どうして迷ってるんだ?」
「……だ、って…。」

言い訳をする子供のように、視線を泳がせる。
どこか居心地悪そうに、マルスは、
ゆっくりと、小さな声で、途切れ途切れに呟いた。

「…僕には、まだ、やることが…。
 …国(アリティア)のこと、民(みんな)のこと…、
 …それに、未来のことも」
「………」

未来のこと。
それは、二十歳にも満たない青年が、考えるようなことではないはずだ。
けれど、年齢のことなんて、まったく関係が無くなる。
「王子」という立場、たった一つのために。
どれだけのものを我慢してきたんだろう。

オグマはマルスの横顔をじっと見つめ、そして、
少し大げさに、溜息をついた。
マルスが気づくように、少しだけ、微笑む。

「…あのよ、マルス」
「? …何?」
「別に、一人で何もかも、背負い込むことはないだろう?
 行きたいんなら、行ってこい」
「……。
 …オグマ、…でも、僕は…」
「何のために、俺達がいると思ってんだ」

俺「達」。
それはきっと、マルスの、翠の髪の幼馴染や、茜色の謎の青年。
小さな頃からの、騎士達や、もっといろいろな人のことだ。

マルスの顔が、強張る。
マルスの周りの人々は、マルスの大切なものだから。

「仕事のことが心配なら、大丈夫だろ。
 手紙が来たってことは、連絡は取れるってことだろうしな。
 お前さんの手を煩わせないように、こっちで努力はするが」
「………」
「それにな、マルス。
 …もう、終わったんだから」

長い間、マルスの心を閉じ込めていた、いろいろなこと。
それももう、決着がついて。
今は、もう皆、マルスの望む笑顔でいて、空も青い、綺麗なままだから。

「少しくらい、好きなことをやってこい。
 俺達は今まで、戦いの時に、お前さんの頼みの通りに動いた。
 だから、今度はマルスが、俺達の望むとおりに、いてほしいんだ」
「…みんなの、望むとおり?」
「ああ。
 …俺達は、お前に、城に閉じこもってほしいわけじゃ、ねえんだからよ」

ふ、と、笑う。
マルスが望む、そのままの笑顔で。

「お前の、好きな場所に、気が済むまで、行ってこい。
 …それで、気が向いたら、たまに帰ってくればいい」
「……オグマ…」

マルスが、ソファーの上で、手をぎゅっと握る。
少し震える声で、マルスは、ゆっくりと尋ねた。

「…いい、のかな、」
「何がだ?」
「…僕は。…この手紙の世界に、行ってもいいのかな…。」
「いいんだよ。行きたいんだろう?」
「…うん。…すごく、興味がある」
「なら、それで、いいだろ」
「…好きな場所に、行ってきてもいいのか?
 この城を出て、この国を出て…。
 …いろんなものを、見てきても、いい?」

マルスが、そっと振り向いて、オグマを伺う。
年頃の青年らしい、子供っぽい瞳で。
どんな興味なのか、マルスが知りたいものは何なのか。
マルスの願いの答えが、どこにあるのか、
オグマは知らない。

マルスが、ふんわりと笑う。
マルスの大切な、いろいろな人の願い、そのままに。

「…やっと、笑ったな」

軽く息を吐いて、オグマは笑う。
そんなオグマのセリフに、少し恥ずかしそうに、顔を逸らしたマルスの髪を、
オグマは、子供にするように、撫でてやった。

オグマの手をそっと払って、マルスは拗ねたような顔をする。

「…オグマ、僕はもう、そんなに子供じゃ、ないんだけど」
「そうか?」

そうでもないだろう、と、笑って続けたオグマ。
マルスは、幸せそうに、微笑んだ。





   ******



そして、およそ、十日後。
空と海の境界線。おだやかに風の吹く、広い草原。

「…それじゃあ、行ってくる。…この国のこと、任せるよ」
「はい。…くれぐれも、お気をつけて」
「大丈夫だよ。…心配性だな、マリクは」

そこに、マルスは、いた。
戦いを共にした、何人もの人達が、見送りに来ている。
そこにいる人全てに声をかけるマルスを、
最後に引き止めたのは、彼の幼馴染だった。

「マルス様。…心配性だなんてっ」
「だから、大丈夫だってば。悪い予感も、しないしな」
「だって、存在すら危ぶまれるような、わけのわからないところに赴くなんて…、
 …マルス様に、何かあったらと思うとッ…!
 いいですか、マルス様! 何かあったら、すかさず攻撃するんですよ!!
 ためらってはいけません!!」
「…攻撃、って…。」

心配性ついでに、大げさだ、と、マルスは苦笑するが、
その場にいる者ほぼ全員が、マリクと同じことを思っているなどということは、
マルスが知るはずもなかった。

「…よくわからないけど、わかった」

剣の柄を握りしめて、マルスはこくん、と頷いた。
そして、
ふわり、と微笑む。

「それじゃあ、」

それは、きっと、誰にとっても、初めての   

「行ってくる   

軽く手を振って、マルスは、見送りに来た仲間達に、背中を向けた。
逃げ出すわけじゃない。振り返りもしない。
マルスはこれから、自分の足で、自分の望みを叶えに行く。

高いところに広がる、遠い空を透かし見た。
真っ白な鳥が、空を横切って、飛んでいた。


やがて。

この世界から、マルスの気配が、ぷつり、と切れた。









「……まだ納得してないのか?」
「納得はしてます。…先が心配なだけです」

彼らの王子が、去った後。
不穏の表情を崩さないマリクに、オグマは言う。

「お前さんも、相変わらず心配性だな」
「マルス様が大切なんです。…それに」

マリクは、視線を横に流した。
思い出したくない何かを、思い出してしまったような、そんな顔。
表情の変化を見て、オグマも表情を消す。

「……マルス様が、望んだ“世界”とやらは…。
 ……マルス様を、救ってくれるんですか? ……、」
「………さあな。」

遠い、空。真っ直ぐに飛んでいく、真っ白な鳥。
手を伸ばしても、けっして捕まることはない。

空の向こうを仰ぎ見て、想いを馳せる。
   ここじゃない『どこか』なんて、想像もつかないけれど。
その場所は、彼らの王子を救ってくれるだろうか。

戦いに疲れ、傷つき、幼さを忘れ、涙を忘れた、
たった一人の英雄を。



オグマは箱田先生のFE仕様で。…心持ち。

一年くらい前に書いて、長いこと放置してた話です。
自分で書いて言うのもあれなんですが、
頭を撫でられてる王子にたいへん萌え萌えしながら書きました。…阿呆でスミマセン。
いろいろと言いたいことはありますが、
とりあえず、王子旅立ち編でした。