032:フェンスの向こう
手紙には、ただ一言、こう書いてあった。
『この世界へ招待します』、
と。
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「…何、見てるんだ?」
「オグマ」
執務室の大きなソファーは、仮眠を取る時の為にと、マルスが自分で頼んで入れたもの。
仮眠室があるんじゃあ、と言ったら、
ベッドに横になると、熟睡しちゃうからな、と笑って答えた。
ソファの背もたれに大げさに寄りかかって、手を額の上にかざす。
その手の中には、封の開けられた白い手紙。
「ああ、その手紙か…。…で、結局、何だったんだ?」
「うん…。…調べてみたんだけど、」
腕をつっかえ棒にして、マルスがソファの背もたれから身体を起こす。
ソファの後ろからマルスの顔を覗き込んでいたオグマは、
マルスが身体をゆっくりと起こすのと同時に、身体を少し、引いた。
藍い瞳が、真っ直ぐに、大きな窓の向こう側を見る。
青く透き通った水に守られた、綺麗な国だ。遠いところに、空との境界線があった。
「よくわからないんだけど、この世界の『向こう』に…、
僕達のいる、この世界とは違う“世界”が、あるらしいんだ」
「………」
「そこには、僕とは違う“世界”の人達が、手紙に呼ばれて…、
その“世界”の、大きな屋敷で、一緒に、過ごしてるんだって」
「…ほぉ…、」
少しだけ興味ありげに、オグマ。
マルスはどこか申し訳無さそうに、微笑む。
「夢みたいな話だろ? …本当に、夢みたいだ」
白い封筒から、便箋と取り出す。
ただ一言、招待する、と書かれた、真っ白い便箋を。
年頃の青年らしくもない表情をたたえたマルスを、
オグマはじっと見つめた。
優しく見つめるでも、きつく睨むでもなく、
ただ、じっと。
その表情に、覚えがあった。
「…マルス、」
「? 何だ?」
「お前さん、行きたいんじゃないのか? その“世界”、に」
「………え…、」
マルスが、目を大きく見開いた。
心底、驚いた様子で。
そんな仕草だけはまだ、子供のようで、
オグマの表情も、ふっと緩む。
「…やっぱり、そうか」
「………」
「じゃあ、行けばいいだろう。どうして迷ってるんだ?」
「……だ、って…。」
言い訳をする子供のように、視線を泳がせる。
どこか居心地悪そうに、マルスは、
ゆっくりと、小さな声で、途切れ途切れに呟いた。
「…僕には、まだ、やることが…。
…国(アリティア)のこと、民(みんな)のこと…、
…それに、未来のことも」
「………」
未来のこと。
それは、二十歳にも満たない青年が、考えるようなことではないはずだ。
けれど、年齢のことなんて、まったく関係が無くなる。
「王子」という立場、たった一つのために。
どれだけのものを我慢してきたんだろう。
オグマはマルスの横顔をじっと見つめ、そして、
少し大げさに、溜息をついた。
マルスが気づくように、少しだけ、微笑む。
「…あのよ、マルス」
「? …何?」
「別に、一人で何もかも、背負い込むことはないだろう?
行きたいんなら、行ってこい」
「……。
…オグマ、…でも、僕は…」
「何のために、俺達がいると思ってんだ」
俺「達」。
それはきっと、マルスの、翠の髪の幼馴染や、茜色の謎の青年。
小さな頃からの、騎士達や、もっといろいろな人のことだ。
マルスの顔が、強張る。
マルスの周りの人々は、マルスの大切なものだから。
「仕事のことが心配なら、大丈夫だろ。
手紙が来たってことは、連絡は取れるってことだろうしな。
お前さんの手を煩わせないように、こっちで努力はするが」
「………」
「それにな、マルス。
…もう、終わったんだから」
長い間、マルスの心を閉じ込めていた、いろいろなこと。
それももう、決着がついて。
今は、もう皆、マルスの望む笑顔でいて、空も青い、綺麗なままだから。
「少しくらい、好きなことをやってこい。
俺達は今まで、戦いの時に、お前さんの頼みの通りに動いた。
だから、今度はマルスが、俺達の望むとおりに、いてほしいんだ」
「…みんなの、望むとおり?」
「ああ。
…俺達は、お前に、城に閉じこもってほしいわけじゃ、ねえんだからよ」
ふ、と、笑う。
マルスが望む、そのままの笑顔で。
「お前の、好きな場所に、気が済むまで、行ってこい。
…それで、気が向いたら、たまに帰ってくればいい」
「……オグマ…」
マルスが、ソファーの上で、手をぎゅっと握る。
少し震える声で、マルスは、ゆっくりと尋ねた。
「…いい、のかな、」
「何がだ?」
「…僕は。…この手紙の世界に、行ってもいいのかな…。」
「いいんだよ。行きたいんだろう?」
「…うん。…すごく、興味がある」
「なら、それで、いいだろ」
「…好きな場所に、行ってきてもいいのか?
この城を出て、この国を出て…。
…いろんなものを、見てきても、いい?」
マルスが、そっと振り向いて、オグマを伺う。
年頃の青年らしい、子供っぽい瞳で。
どんな興味なのか、マルスが知りたいものは何なのか。
マルスの願いの答えが、どこにあるのか、
オグマは知らない。
マルスが、ふんわりと笑う。
マルスの大切な、いろいろな人の願い、そのままに。
「…やっと、笑ったな」
軽く息を吐いて、オグマは笑う。
そんなオグマのセリフに、少し恥ずかしそうに、顔を逸らしたマルスの髪を、
オグマは、子供にするように、撫でてやった。
オグマの手をそっと払って、マルスは拗ねたような顔をする。
「…オグマ、僕はもう、そんなに子供じゃ、ないんだけど」
「そうか?」
そうでもないだろう、と、笑って続けたオグマ。
マルスは、幸せそうに、微笑んだ。
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そして、およそ、十日後。
空と海の境界線。おだやかに風の吹く、広い草原。
「…それじゃあ、行ってくる。…この国のこと、任せるよ」
「はい。…くれぐれも、お気をつけて」
「大丈夫だよ。…心配性だな、マリクは」
そこに、マルスは、いた。
戦いを共にした、何人もの人達が、見送りに来ている。
そこにいる人全てに声をかけるマルスを、
最後に引き止めたのは、彼の幼馴染だった。
「マルス様。…心配性だなんてっ」
「だから、大丈夫だってば。悪い予感も、しないしな」
「だって、存在すら危ぶまれるような、わけのわからないところに赴くなんて…、
…マルス様に、何かあったらと思うとッ…!
いいですか、マルス様! 何かあったら、すかさず攻撃するんですよ!!
ためらってはいけません!!」
「…攻撃、って…。」
心配性ついでに、大げさだ、と、マルスは苦笑するが、
その場にいる者ほぼ全員が、マリクと同じことを思っているなどということは、
マルスが知るはずもなかった。
「…よくわからないけど、わかった」
剣の柄を握りしめて、マルスはこくん、と頷いた。
そして、
ふわり、と微笑む。
「それじゃあ、」
それは、きっと、誰にとっても、初めての 。
「行ってくる 」
軽く手を振って、マルスは、見送りに来た仲間達に、背中を向けた。
逃げ出すわけじゃない。振り返りもしない。
マルスはこれから、自分の足で、自分の望みを叶えに行く。
高いところに広がる、遠い空を透かし見た。
真っ白な鳥が、空を横切って、飛んでいた。
やがて。
この世界から、マルスの気配が、ぷつり、と切れた。
「……まだ納得してないのか?」
「納得はしてます。…先が心配なだけです」
彼らの王子が、去った後。
不穏の表情を崩さないマリクに、オグマは言う。
「お前さんも、相変わらず心配性だな」
「マルス様が大切なんです。…それに」
マリクは、視線を横に流した。
思い出したくない何かを、思い出してしまったような、そんな顔。
表情の変化を見て、オグマも表情を消す。
「……マルス様が、望んだ“世界”とやらは…。
……マルス様を、救ってくれるんですか? ……、」
「………さあな。」
遠い、空。真っ直ぐに飛んでいく、真っ白な鳥。
手を伸ばしても、けっして捕まることはない。
空の向こうを仰ぎ見て、想いを馳せる。
ここじゃない『どこか』なんて、想像もつかないけれど。
その場所は、彼らの王子を救ってくれるだろうか。
戦いに疲れ、傷つき、幼さを忘れ、涙を忘れた、
たった一人の英雄を。
オグマは箱田先生のFE仕様で。…心持ち。
一年くらい前に書いて、長いこと放置してた話です。
自分で書いて言うのもあれなんですが、
頭を撫でられてる王子にたいへん萌え萌えしながら書きました。…阿呆でスミマセン。
いろいろと言いたいことはありますが、
とりあえず、王子旅立ち編でした。