028:涙
「ロイ」
ベッドに腰掛け、剣の手入れをしていたロイの耳に、ドアをノックする音と、
聞き慣れた声が、聞こえた。
「マルス?」
「入っても、いいか?」
ロイが、マルスを断るはずなどないだろうに。
わかっているのかわかっていないのか、マルスは必ず、
こんなことを言ってくる。
いつまで経っても律儀なマルスを、ああやっぱり可愛いなあなどと思いながら、
ロイは、
「いいよ」
と、返事をした。
キィ…と静かな音と一緒に、見慣れた青い髪が覗く。
その下の表情は、珍しいことに、やんわりと微笑んでいた。
…それが何だかひどく危なっかしげに見えた気がして、
ロイは一瞬、怪訝そうな顔をする。
…が、疑ったって仕方が無いのだって、事実だ。
マルスが訪ねてくるのだって珍しいことなのに、
そんな、暗い顔をしていてどうする。
いつもの表情に戻って、ロイは元気に、マルスに尋ねた。
「どうしたんだ? 珍しーな」
「うん。……」
マルスは短い答えを返した後、ドアを閉め、真っ直ぐにロイの方へ歩いてきた。
…自分は用件を訊いてみたんだけどなーと、ロイはちょっとだけ思う。
ぶっちゃけ用件なんて、なくたっていいのだけれど。
と、そんなことをぐるぐると考えていると。
「………」
「……マルス? …何、」
座っていたベッドが、もう一人の重さで、少し沈んだ。
…マルスが、ベッドに上がってきた。
何の、言葉も無しに。
彼らしくない行動に、思わず、そっちを向いてしまう。
マルスはロイが驚いているのも関わらず、ベッドの上を、
ずるずると四つん這いで移動する。
「…え? あのー、マルスー? 何がした…」
「…そっち、向いてろ」
「え? …あ、はい」
マルスが、ロイの真後ろに移動し終わった後、
ぽつり、と呟かれた言葉に、素直に従った。
正面を向いた後で、ロイは、何で俺今素直に従ったんだろ、と思う。
やっぱり今日のマルスは、何か、変だ。
訊いてみようと、もう一度振り向こうとしたけれど。
「…こっちを向くな」
「…何で」
「…いいから」
マルスが言うから、ちょっと不機嫌そうに顔を歪ませ、やめた。
マルスはロイに、そのまま剣の手入れ、続けてていいからと、そう言った。
「……?」
ロイは疑問を抱きながら、正面を向いて、剣を見直す。
緑色の石を金で飾った柄に、銀色の長い刃。
ふ、と、
「………マル、…ス?」
「………」
背中に、重みが伝わってきた。
「……マルス、」
「………こっち向くな」
「………」
横目でちらりと覗いた先、マルスが何をしているのかが、わかる。
…ロイの背中に、マルスは、ゆっくりと寄りかかっていた。
ちょうど、背中合わせの形で。
「……珍しい、な」
「…別にいいだろ…。…お前だって、いつもしてるんだから」
「…そう、なんだけどさ」
「…嫌ならやめるけど」
「やめなくていい! つーかやめるな!」
せっかく珍しいことやってくれてるんだから、と、つい本音で言うと、
マルスは、くすくすと笑った。背中越しに、マルスの身体が揺れてるのがわかった。
ひとしきり笑った後で、マルスは小さく息を吐く。
「…じゃあ、ここにいてもいいんだ」
「いいに決まってんだろ。…珍しいな、本当」
「…ああ」
剣の柄を丁寧に布で研(みが)きながら、ロイはマルスの声を聞く。
マルスは、何ら普段と変わらない声の調子で、続けた。
誰に話しているでもない、誰かに話しかけるように。
「…昨日」
「昨日がどーしたんだよ」
「…僕の故郷が、陥落した日だったんだ。
父上の、命日」
「!」
ぴくん、と、
ロイの身体が、一瞬、止まる。
「………」
「………」
「……だから昨日、…いなかったんだ」
「………」
「………マルス、」
研いたばかりの剣の、
銀の刃を見ながら、
マルスに問う。
「………」
マルスが、いつもと違った、理由が。
「……こういう時は、泣いてもいいんだって言ったのは、
…お前だろ? ロイ」
「………」
それはとても、泣いている声ではなかったのだけれど。
急に静かになった部屋に、
とくん、とくんと、
背中越しの、心音が聞こえる。
「…マルス」
「………」
「……俺は、マルスを…。…絶対、泣かせたりしないからな」
「………」
彼は滅多に笑わないけれど、それ以上に、
少しも泣かないな、と思っていた。
背中が、また少し、重くなった。
おそらくマルスが、もう少し、ロイに身体をあずけたのだろうが。
触れ合う背中が、少しだけ温かい。
涙の温度に、少しだけ似てる、気がした。
涙の温度は結構あったかいと思います。
書いてみて思ったのですが、
やはり「背中合わせ」は、リンマルのポジションですね。