019:電話




キィ、と扉を開けて、パジャマに身を包んだマルスは、部屋を見渡した。
様々な場所から生徒が集まっている、全寮制のこの学校は、
それにしたって立派な寮を持っているなと思う。
二人一部屋にしては、ものすごく広いとは言えないまでも絶対に狭くはないし、
あまりにも設備が整っているのだ。
綺麗な造りの各部屋は、二つの部屋に、簡単なキッチンと水回り、という構造。
冷暖房完備。二段ベッドに、二つの勉強机、そこそこの大きさの本棚。
トイレはもちろんのこと、シャワーに風呂まできっちりついているなんて。
大浴場が苦手なマルスにとっては、願ったり叶ったりの条件で、
よくもまあこんな学校があったものだと、マルスは溜息をついた。
首に落ちてくる水滴を、タオルで拭いながら、ソファーに向かう。
この部屋に、今、もう一人の住人は、いない。

「…あ…、」

ソファーに腰を下ろし、マルスは目の前のローテーブルに目を向けた。
風呂に入る前に置き去りにした携帯電話のランプが、赤く光っている。
手を伸ばして取り、開いてみると、画面には、着信在り、の文字。
それを見て、マルスは少し、困った顔をした。

「……。…えっと…、」

慣れない動作で、マルスはとりあえず、真ん中のボタンを押してみる。
すると画面は、誰かのアドレス帳に切り替わった。
どうやら当たりだったらしい。マルスは安心して息を吐く。
画面の上の方に目をやると、そこには、一人の名前が載っていた。
それは、ランプの色が示した通りの   

「…うわっ!」

名前を確認した瞬間、手の中の携帯がぶるぶると震えて、
マルスは心臓が跳ね上がったように、びくっ、とした。
恐る恐る携帯電話を見てみると、どうやら電話が掛かってきているらしく、
この場にいない、もう一人の住人が適当に設定していった着信メロディが、
早く出ろ、と騒いでいる。

きちんと落ち着いてから、マルスは間違えないように、
もう一度ボタンを押した。
ほんの少しびくびくしながら、携帯電話を耳に押し当てる。
そして、電話の向こうから、聞こえた声は。

『…あ、マルス? 俺』
「…ロ、イ」

先程の着信履歴で確認した通りの。
今この場にいない、もう一人の住人、だった。

自分ではまったく気づかないくらいに、マルスの顔がほころぶ。

『ちゃんとメシ食った?』
「うん。…あの、ロイ、…さっきも、電話、した…よな?」
『え? ああうん、30分くらい前に。
 履歴残ってただろ…、もしかして風呂入ってた?』
「あ、うん…、…ごめんな、何か、用事でもあるのか?」
『いや、用、って程、用は無いんだけど』

ロイの声が一度途切れたところで、マルスはこっそりと画面を見た。
アンテナがきちんと3本立っているのを確認するために。
以前電話した時、電波状況が悪かったのに気づかず大変だったので、
その時の経験を踏まえて、だ。

居住まいを直して、マルスは再び耳を澄ませる。
すると向こうから、妙に嬉しそうな声が届いた。

『マルスの声、聞きたかったから。それだけなんだけどさ』
「……うん。……あり、がとう…?」
『…何か、あんたがお礼言うのも違う気がするけどな。
 とりあえず、どういたしまして』

電話の向こうで、笑う気配。
マルスも思わず微笑むが、向こうに伝わったかどうかはわからなかった。

壁の高いところにかかっている時計の針がゆっくりと進む音が、
いつもよりも早く感じられるような気がした。
耳に届くのは、いつもと変わらない、ロイの声で。
部屋は、とても、静かだけれど。

『何か、変わったことあった?』
「いや…、特に何も。…夏休み中だしな。
 強いて言うなら、生徒会で、文化祭の話し合いがあった、ってくらいだけど」
『文化祭? ああ、そっか。後3ヶ月くらいだもんな。
 それって言えば、演劇部がマルスに声かけてるって聞いたけど、
 それって本当?』
「え? 演劇部…、…ああ、そうだよ。
 何だか、配役が一人足りないって話だったけど…、」

頭の中、いつかの話を思い出しながら返事をする。
特に誰にも話してないような気がするのだが、
ロイは一体どこからその話を聞いたのだろうか。

『受けるの?』
「まだ、わからないよ。生徒会でもいろいろあるだろうし」
『ふーん。ま、そうだよな…、…マルスがお姫さまやるなら見に行くんだけどなぁ』
「な、…っ、何で僕がお姫様なんだっ!」
『男役よかそっちの方が似合うと思うけど』
「そんなこと考えるのはお前だけだっ!!」
『や、そんなことねーって』

ばふっ! と、思わずソファーを叩いて反論するマルス。
傍から見れば挙動不審なことこの上ないが、今、部屋にはマルス一人だけ。
電話の向こうのロイは、いつもと変わらない調子で笑っている。

『まあ、そんなことはともかくだな』
「………」
『あ、怒ってる』
「怒ってない!!」
『それを怒ってる、って言うんだろ。あのさ、』
「…何だ」

すっかり不機嫌になったマルスは、その辺に転がっているクッションを引き寄せた。
手持ち無沙汰な左腕にそれを抱えて、それでも律儀にロイの言葉を待つ。
そして。

『やっぱ俺、マルスのこと好きみたいだ。うん、今更だけど』

「………。……っ…!!」

さらり、と事も無げに言われた、もう何度目かの、そんな告白。

誰も見ていなかったのが幸運だと思えるほどに、
マルスは真っ赤になった。

「…っ…、…!」
『っと、ちょっと呼ばれたから行くな。
 …マルス? 大丈夫か?』
「………。…っえ、」
『いや、だから、大丈夫かって』

本人は自分が何を言ったかなんてまったく気にしていない様子で、
不信な声をマルスに届ける。
落ち着き払ったそんな声で、マルスは何とか我に返った。
気づかれないように、深く息を吐く。
ほんの少し苦笑を漏らして、応答した。

「あ、うん…、…大丈夫。
 …いつ帰ってくるんだ?」
『明日の夜には帰るよ』
「そうか。…それじゃあ、エリウッドさんに、よろしくな」
『ん。それじゃ、明日な』
「ああ。おやすみなさい」
『おやすみ』

ぷつ。と、向こうが電話を切る音がして、マルスも電話を切った。
画面には、通話時間5分、とかいう表示と、いくらかかったか、という表示。
もう一度真ん中のボタンを押すと、
いつもの、青いモチーフの待ち受け画像が現れる。
それを確認して、マルスは携帯電話を閉じ、
もう一度、テーブルの上に置いた。

「………」

クッションをソファーに置いて、立ち上がる。
入浴は済ませた、歯は磨いた、今日のやる分の宿題は終わった。
火は止めた、鍵はかけた、カーテンは閉めた。
指で一つ一つ確かめてから、マルスは満足そうに頷く。
携帯電話を片手に握り締めて、ソファーにローテーブル、テレビのある部屋から、
二段ベッドに勉強机がある部屋へ、足を向けた。

入り口で止まり、壁に手を這わせる。
電気のスイッチを探して。

「…おやすみ」

ぱちん、とスイッチを切れば、一人しかいない二人部屋は、夜に包まれる。

下のベッドに潜り込んで、マルスは、
自分では気づかないほどに明日を楽しみにしながら、
静かに目を閉じた。



何だろう、このバカップルっぷりは…。

安直に携帯電話。そして学園パロディです。全寮制、二人は同じ部屋。
マルスは絶対、携帯電話をうまく扱えないだろうと。

ちなみにエリウッドさんは国語の教員です。