015:演技




あいつだ。
俺が呼ぶと、一応返事はするけど、必ず逃げる。
それで、あいつ…リンクの足に隠れて、
助けてー、なんて言うんだ。

大海原のように心が広い俺だって、いくら何でも限界だ。

よく知らないけど、人の顔見て逃げるなんて、いい度胸すぎる。

後ろから、そっと近づく。
あいつは耳がいいから、無意味になるかもしれないけど。
そっと近づいて。
そして。

「…ピカチュウ!!」
「っっ!!」

びくんっ、と体全部ではねて、ピカチュウは慌てて振り向いた。
大きな黒い目を、更に大きくして、ピカチュウは俺を見る。

「…赤い寝癖の剣士さん」

そして、一言。

「『ロイ』。…あのな、前から言いたかったんだけどなー」

こんな小さいの相手に大人気ないとは思いつつも、
腰に両手をあてて、大仰に言ってみせる。
要は威嚇ができればいい。
威嚇する必要も無いような気がするが。

よほど驚いたのだろう、かたまったままのピカチュウの、
額をとん、と指でついて、言う。

「何っで、俺のカオ見ると逃げんだよ。俺は悪魔か何かか」
「…ち、ちがうよ」
「じゃあ何でうろたえてんだ、おい! ったく…」

ピカチュウが視線をそらして、何かをうろうろと探し始める。
わかってる。これは、あいつを探してるんだ。
好んで一緒にいるんだか、都合がいいだけなのか知らないが。
リンク。
いつも苦労を背負いこんでる…ような気がする…緑色の服の剣士。

でも悪いが、リンクは見つからない。
何でって、
買い物当番を代わってもらったからだ。わざわざこのために。
リンクとピカチュウは、いつも一緒に買い物当番に行ってしまうから、
こうでもしないと、リンクなしで、話ができないわけで。

「おーい。ピカチュウ」
「…なあに?」
「なあに? とか、可愛らしく言ってんじゃねーよ。
 こっちを見ろ、こっちを」
「………」
「〜〜だからっ、何でそこで黙るんだッ!!」

だから俺は、悪魔か魔物か何かかってんだ。
こーんな心の広い好青年をつかまえて、本当にいい度胸してやがる。
この、小さなねずみ。

弟だとかいう、もっと小さなねずみは、こんなに根性は悪くない。
ロイおにーたんー、とかなんとか言って、ころころ懐いてくる。
…別に、ピカチュウに懐いてほしいとか、そういうわけではないが。
それでもやっぱり、顔見て逃げられるというのは、いい気が全くしない。

大げさに溜息をついて、俺は尋ねる。

「何だよ。お前、俺のこと、嫌いか?」
「………」

だから何でそこで黙るんだ。
…もしかして、本当に嫌われてんのか?

「……言っとくけど、嫌いなら、嫌いって言ってくれねーと、わかんねーんだからな?
 俺、バカなんだから」
「…そうだねぇ」
「そこで同意すんな」

自分で言うほどバカだと思ってるわけじゃないんだが。

「………」

ピカチュウは、困ったように俺を見上げ、じっとしている。
…何となく。嫌い、というわけではないらしい。…ような気がする。
じゃあ、何だろう。
…嫌いじゃないなら、何だってんだ?

そんなことを考えていたら。

「……あ」

ピカチュウが、驚いたように、声をあげた。
俺の向こう側を見て。
瞬間、安心したように、目から緊張が解けたのが、俺にだってわかる。
えらく嬉しそうな顔をして。

「リンク!」

……えっ!?

「リンクー」
「あ、ピカチュウ。…何やってんだ?」

ややのんびりめの、やわらかい口調と声。
間違いなく、あいつだ。あの、緑色の剣士。
まさか、
…こんなに早く、帰ってきたのか!?

「おかえり、リンク」
「ん。ただいま」

俺がその場にいないかのように、リンクとピカチュウは、ほのぼのと話をしている。
リンクの腕に、当たり前のように跳んで乗って。
リンクもそれを、当たり前のように受け入れたりしてるから、
…あーくそ、ほのぼのしやがって。

って、
こんなことを思ってる場合じゃない。

「…おい、ピカチュウ」

諦め気味に、もう一度溜息をついて、俺はピカチュウを呼ぶ。
瞬間、ピカチュウは、やっぱりかなり驚いた様子で、
リンクの頭の後ろに、隠れてしまった。顔の半分だけ、こっそりと覗かせて。

「…ロイ? どうしたんだ?」
「どーもこーもねーよ。…あのさ、」
「…け、剣士さん」
「『ロイ』。何だよ。今更だろ」
「…でも…。」

俺とリンクを交互に見て、ピカチュウは黙る。
そんなしぐさで、小さな子供を叱ってるような、そんな感覚に捕らわれたけど、
そんなもので、ほだされるわけにもいかなかった。

三度目の溜息をついて、言う。

「あのなー。言われたくないんだったら、やるなってーの。
 こっちはお前と、普通に話がしたいだけなんだよ」
「………」
「…あの、ロイ?」
「え? …ああ」

きっぱりとリンクのことを忘れていた。ごめん。

こいつに話した方が早そうなので、愚痴も兼ねて言うことにした。
さっきも言う気だったけど、あらためて。

「あのな、リンク。こいつな、俺の顔見ると、逃げるんだよ」
「…は? 逃げる?」
「ああ。なー、ひでーだろー?」
「………。…そっか」

なるほどな、と呟いて、リンクはピカチュウに目を向ける。
ピカチュウはそんなリンクの視線を受け取ると、しゅん、と可愛らしく項垂れた。
ピカチュウの頭を軽く撫でてやりながら、リンクは笑う。

「別に、怒ってるわけじゃないよ。それからロイ。
 …わかってると思うけど、ピカチュウは、お前が嫌いなわけじゃないから」

優しく笑ってそんなことを言われて。
何だか俺の方が、悪いことをしている気分になった。
…いや、してないとは、言わないけど。
ピカチュウを脅してたも同然だし。

リンクはピカチュウに目を向け、それから俺を見て、言った。

「お前、もしかして、喧嘩腰でつっかかってたんじゃないのか?」
「………ちょっとだけ」
「ちょっとじゃなかったもん…」
「ちょっとだろ!! あれはお前が逃げるから…」
「あー…ロイ、抑えて抑えて。
 あのな、ロイ。ピカチュウは、ちょっと人見知りなんだよ」
「人見知り?」

さらっと、言った。『人見知り』。

…人見知り!?

「人見知りって何だ、人見知りって!」
「そんなことも知らないの? …やっぱりバカなんじゃ」
「バカって言うな、バカって! そんくらい知ってる!!」
「自慢げに言うことじゃないよねぇー」
「だーもうっ、話を逸らすな!
 あのなー、人見知りくらいで逃げられてたら、たまんねーんだよっ!!」
「そういう子なんだよ。…な、ロイ」

だからあんまり怒鳴るな   と、リンクは苦笑気味に言う。
そして、ピカチュウに向けて、優しく言った。

「ピカチュウも。…こいつ、……あんまり、怖いやつじゃないから」
「あんまりって何だ、あんまりって!」
「…本当?」
「多分」
「………」

あんまり、も、多分、も、えらくひどい言い草だとは思うが。

ピカチュウは俺と、リンクをじっと見て、少し困ったように首を傾げる。
少し時間が経って、
そして。

「………わかった…」

おずおずと頷いた。

「………」

俺が言っても、ちっとも聞かなかったクセに。
リンクが言えば、一発か。
さっき、考えた、『好んで一緒にいる』のか、『都合がいいだけ』なのか。

あれは多分、好んで一緒にいるんだろうと、確信に変わる。

「じゃあ、ピカチュウ。ロイに謝れよ。仕方ないんだけどさ」
「…うん」

ピカチュウが、とん、と、リンクの肩から下りた。
俺の前に、とことこ歩いてきて、
俺を見上げる。俺もピカチュウを見下ろした。

「えっと、ごめん、なさい」
「…べ、…別に、…わかってくれれば…」

まだちょっと怖がられているのだろうか。
少し、途切れ途切れに言うピカチュウに、
俺は少し苦笑する。
ピカチュウは、もうできれば逃げないようにする、と、小声で言うと、
リンクの肩に、そして頭の上に跳び乗った。

そういえばピカチュウは、いつもリンクの頭の上にいるような気がするけど、
これは何でなんだろう。
…どうでもいいけど。

やがて、リンクは俺に向き直ると、言った。

「…じゃあ、オレは行くな?」
「ああ」
「ピカチュウは?」
「リンクと一緒に行く」
「そっか。…じゃーな、ロイ」
「さよーなら。剣士さん」
「…あ」

俺に背中を向けて歩き出した、リンクに。

「おい、ちょっと止まってくれるか?」
「え?」

声をかけて、立ち止まらせた。
用事があるのは、リンクじゃなくて、ピカチュウの方だけど。

「ピカチュウ。もう一つだけ」
「? なあに? 剣士さん」

首を傾げて、ピカチュウは俺をじっと見る。

腰に手をあてて、もう片方の手で胸の辺りを指して、
俺は言った。
一番、大事なこと。

「『ロイ』。…名前。呼べるだろ」
「………」
「な?」

にっこりと笑って、言う。
ピカチュウは少し驚いたような顔で、リンクに目を向けた後、
俺の方を、ちゃんと向いた。

「…ロイ、さん」
「ん。それでいい。
 …じゃ、俺もどっか遊びに行こっかなー」

じゃあな、と手を振って、リンクと、ピカチュウの横を走ってすり抜ける。
行き先は、決めてないけど、多分、公園になるだろう。
いつもあの人が、好んでいくとこだ。
今日も部屋にいなかったから、多分、公園にいる。
公園の一番奥。丘の上の、大きな樹の下に。

とりあえず、ピカチュウに、名前を呼ばせることはできた。
それでいいんだ。
人と話をするのに、名前も呼ばずに、目も見ないなんて、
何だか変な気がするから。

それだけの、理由だったんだけど。







「…リンク」
「ん?」

ロイがいなくなった後の、静かな廊下。
リンクとピカチュウの声が、妙に響く。

「……僕…」
「わかってるよ。怖かったんだよな」
「………」
「…わかってるけど」

ピカチュウの頭を、ぽん、ぽんと撫でて。

「怖くないだろ?」
「………うん…」

にっこりと笑った。
ピカチュウの大好きな、優しい微笑みで。



それは、ロイが屋敷に来て、しばらく経ったある日のこと。



時間軸が見事にばらばらです。
ロイが何だか別人格に見えますが、それはそれ。
ピカチュウが何だかピカチュウらしくも見えませんが、これはこれ。です。