013:唇




「…マルス、それ何?」
「え?」

締め切った窓の外、冷たい風が窓を激しく叩く。
ロイはマルスの部屋のベッドに寝転がりながら、
ベッド脇の小さなテーブルの上のものを、手に取っては眺めていた。

アンティーク調の小さな目覚まし時計。
同じくアンティーク調の写真立て。…中の写真は、裏返しにされている。
興味が湧いたが、プライバシーの侵害だから、やめておいた。
で、角の部分のみ何故かちょっとだけ痛んでいる、緑色の表紙のハードカバー。

白い一輪挿しと、それに挿してあるのは淡い青色の花。

で、もう一つ。

「ああ、それか…。…えっと…」
「何か、ピーチとかゼルダとかが、似たようなの持ってたなあ…」

手にすっぽりと入る、長い筒のような形。
先端にフタがついており、それを外すと、白い固形。
下の部分をくるくる回すと、その白い固形物質が、伸びたり縮んだり。

「…そうだ、えっと、リップクリーム」
「……リップクリーム?」
「ああ…、唇が荒れてるって言ったら、おとといピーチ姫が買ってきてくれたんだ」
「唇が荒れてるー?」

むくっと身体を起こし、ベッドのスプリングを利かせて、ベッドから下りる。
ベッドの軋む音がした。
机の方で何か…書類だか何だかを書いてるマルスの元へ行くと、
マルスの顔を強引に振り向かせる。

「痛っ…」
「…あ、悪ぃ」

強引すぎたようだ。

そんなことはともあれ。

「…あ、本当だ荒れてる」
「寒くなってきたからだろうな…、
 切れると痛いから、手は打っておいた方がいいぞって言われたんだよ」
「へぇ…。…アレ塗ると、荒れないんだ」
「さあ。…つい塗り忘れるから、まだ効果はよくわからないけど…」

軽く苦笑して、マルスはロイにそう言う。
その後すぐ、再び机に向かうマルスをじぃ〜っと見ながら、
ロイは何か考えた。

やがてロイの顔に浮かんだのは、いたずらめいた、非常に迷惑な笑顔。

「荒れるっつーことは、水分が足んないんだろ? よーするに」
「…だろうな」
「なら別にその…リップクリームとかいうのじゃなくても良いじゃん」
「10分おきに水でも飲めって言うのか?」
「いーや? 10分おきにこーすんの」
「え…、」

肩に左腕を回され、身体ごと振り向かされる。
思わず目線を上げると、近すぎる場所で、ロイと視線が合った。

その、近すぎる距離に困惑している隙を見計らって、

唇が、触れ合う。


「……っ…、…っん…」

瞬間、硬く目を閉じてしまうところが、彼らしいというか。
彼の右手が僅かに震えて、ロイの肩を弱弱しく掴む。
肩に回っていた左手を頭の方に滑らせ、髪の間に指をくぐらせる。

軽く唇を舐めて離れると、
小さく、ちゅ…と、湿った音が聞こえた。

「…本っ当、すげー荒れてる、マルスの唇…」
「な、……お前っ…!!」

口を両手で押さえ、真っ赤になってロイを見つめるマルス。
その身体が小さく震えたままなのを見ると、ロイはにこ、と笑った。

もう一度顔を近づけ、事も無げに、

「マルスの唇荒れてると、キスすんの何かアレだしさ、
 …だから10分ごとに、こーいうことしてあげるから。な?」

こんなことを言い放った。


…マルスの心の中で、何かがぷちん、と切れる音が聞こえたよーな気がした。


「…………っ…」
「…とゆーわけなんだけどさ、マルス。まだ10分経ってないけど、
 もう1回キスしてもいい?」
「………けるなっ……」
「ちょっとキスしただけなのに、こんなに赤くなって。
 かわいいなぁマルスはv」
「……んで、僕が……」
「…? ……マ、…ルス?」

腕の中の身体が、さっきとは違う風に震えている。

何か嫌な予感がして、ロイは、そぉ      …っと、マルスの顔を覗きこんだ。


…と。


「…お前の暇潰しに付き合わなきゃいけないんだっ、このバカッッ!!!」

きっと顔を上げ、微妙に涙ぐんだ目でロイを見たかと思ったら、

がすっっ!!
…とかいう、威勢のいい音が響く。

「がはぁッ!!」

ロイの鳩尾に、めいっぱいの力を込めて、マルスが蹴りを喰らわした。


「………」
「………」

肩を大きく上下させ、深く息を吸ったり、吐いたりしてるマルスと、
離れたところで、お腹を押さえてうずくまってるロイ。

「…っ、仕事の邪魔だ、出て行けっ!」
「……つっ…、……んだとぉっ…!?」

まだちょっと咳き込みながら、ロイがきっとマルスを睨みつけた。
がばっと立ち上がり、すごい勢いでマルスに近づいて、マルスの手首を引っ掴む。
蹴られないようにとマルスの足の上に乗り上げ、
至近距離で怒鳴った。

「邪魔はねーだろ、邪魔は! つーか本気で蹴るなよ!!」
「本気で蹴らないと聞かないだろっ!!」
「恋人に本気で蹴りを入れんなよっっ!!」
「誰が恋人だ、ふざけるなバカ!! …っ、ロイ、重いってば!!」
「だって乗ってねーと蹴るだろあんた」
「どうせ後で蹴られるんだから同じことだろ!!」

どうやら後からロイに蹴りを入れる意志があるらしいマルス。

「えー、何で蹴るんだよーっ」
「お前が僕を怒らせるからだろっ…、ああもう、のしかかるなっ重いっ!」
「いいじゃん別にこれくらい、…機嫌直せよー、な?」
「な、っ……、」

そう言って、再びマルスの唇を塞ぐ。
流石に騒いだり、怒鳴ったりも出来なくなってしまって、
ロイの腕の中で、大人しくしてしまう。
いつものとおり目をぎゅっと閉じ、その手は支えを求めて、
ロイの肩、腕の辺りを彷徨う。

「……ん、んっ…、」

鼻にかかって上擦る声が苦しそうなのを感じ、唇を解放してやった。
悔しそうな、それ以上に恥ずかしそうな顔で、マルスはロイを睨みつける。

「…キスしてる間は大人しいのな、マルス」
「……っ…」
「マルスを黙らせたい時は、キスすりゃいいんだ。へぇー」
「……そんな簡単にっ…、何度もそんなことされるかっバカッッ!!」


いい加減頭に血が昇ったマルスがその直後、
ロイの顎に見事なアッパーを喰らわせたとか、喰らわせなかったとか。


蹴られたお腹は相変わらず痛いし、殴られた顔もひどく痛むし、
触れた唇は、冬間近の風の所為でかさついてはいたけれど。



それでも何となく、ロイは幸せそーだ。
…そういう反応をすればするほどロイが喜ぶということに、
彼の可愛い恋人は、まだ気づかない。



凶暴な王子ばんざーいー(あんただけだそんなの)。
どうでもいいのですけど、どうしてうちのロイって手馴れてるんでしょうね…
(それでいいのか16歳…)