012:傷痕(あざ)




カーテンを閉め忘れたガラスの外に、白い月が浮かぶ。
月だけが灯りになって、部屋を照らす。
寝息と、秒針が時を刻む音だけが聞こえるはずの部屋には、
何かが軋む僅かな音と、二人分の息遣い。

「……っ、」

シーツに押し付けた身体の、白い背中に、そっと唇を寄せる。

「…ぁ っ……」
「……、」

固く瞳を閉じて、小さな熱に耐えるマルスの髪を、
可能な限りの優しさで梳いてやる。
汗で少し湿った髪は、それでもやっぱり綺麗なままで、
今度はロイは、髪に顔をうずめた。

耳元に触れそうになるまでの近さ。

吐息が耳の奥に絡んで、マルスが泣きそうな声をあげた。

「や…ッ!! …あ、んっ」
「……。…あんた、…本っ当、慣れないんだな」

くす、と意地悪く笑う。少し、仕方無さそうにも。
押し倒した身体は少しの熱にも過敏に反応して、
罪悪感を掻き立てたり、素直な欲に通じたりもするけど。

少し腰を浮かせた、おそらくマルスにとって、羞恥心を煽るだろう位置のまま、
自らをゆっくりと押し進める。
腰から足までを手で辿り、反対の手を、薄い胸に這わせた。

「あ、ぁあッ!!」
「…そーいうとこも、かわいい、けどっ…」

ちゅ、と濡れた音をたてて、耳朶をそっと食(は)む。
滅多なことでは触れられないのであろう身体が、
ほんのりと染まって、震えながら小さくはねるのに、
少し、嗜虐心を煽られた。

攻め立てながら、ふと、月の光にさらされる、白い背中に目をやる。

白い首筋に、自分がつけた、いくつかの痕の他にも、
まだ。

「…っ…、…あっ、…ぁ…   !!」

自分がつけたんじゃない、剣の先でつけられた細い傷痕が、
うっすらと残っているのを、見つけた。


   ******


「……マルス、」

自分の熱を吐き出して、仰向けにぐったりとベッドに沈んでいるマルスに、
ロイはそっと囁いた。
未だ、先程の行為のままの身体なのだろう、
ロイの声に、ぴくん、と身体を小さくはねさせる。

「…ぅ…ん…?」

絶え絶えの息が直らないまま、それでもなんとか返事をしたマルスの背中に指を這わせ、
ロイは静かに呟いた。普段の彼とは違う、深い声で。

「…多いな」
「……? 多い…」
「…傷痕。」
「………」

ロイの言うとおり。
マルスの背中には、いくつもの傷痕があった。
…別に、ロイが自分でつけた、情事の痕のことではなく。
おそらく戦いの中でつけられたのであろう、
細い、薄く残った、傷痕のことだ。

「…そう…、か?」
「ああ。…多いよ。目立たないけどな」

背中をゆっくりと撫でながら、ロイは小さく呟く。
やがて、大げさに溜息をつきながら、ぱんっ、と軽く、背中を叩いた。

「っ!」

思わず顔をしかめたマルスには気づかない様子で、
ロイは少し、明るく、わざとらしく、言う。

「ったく、剣士が背中なんかとられんなよー…って、俺が言えたことじゃねーけど。
 もっと気をつけろよ? 折角綺麗な背中なのにさー」
「…綺麗、って」
「綺麗は綺麗だろ。もったいねーの」

こんな綺麗なのに、いつもは見えないんだもんな。
さりげなくとんでもないことを言い放つロイを、睨みつける気力も無くて、
マルスは小さく溜息をついた。
おそらく自分が何を言っても、ロイのこういうところは、多分変わらない。
本人も、気にしない。

「…はーぁ」

情けなく溜息をついて。
マルスの背中に、す、と手を伸ばして、ロイはマルスの上に倒れこんだ。

「っ…、ロ、イ!」

突然の行動に、マルスは今度こそ、混乱した。
状況が状況であるがだけに。
今、ロイに身体を寄せられると、どうしても違う方向に進んでしまうのではないかと、
つい、慌ててしまう。
背中にずっしりと乗っているロイの髪を引っ張って、
マルスはロイに、小声で抗議した。

「ロイ、…おい、重いっ…てば…ッ!」
「なんだよー、いいだろ別に」
「よくないっ! …ちょ、どこ、触ってッ…!」

マルスの声が上擦る。
…どうやら、ロイがセクハラ行為をはたらいているらしいが。

「腰と背中と足。触りたくなるよーなカラダしてるあんたが悪い」
「そんなわけないだろ! …っ…、いい加減に、しろっ!!」

ごすっ。

「………」

ロイの後頭部にマルスの肘が容赦無く落ちて、ようやくロイは静かになった。

「………っ…てえー…」
「…少しは大人しくしてろ…」

頭を押さえて呻くロイに、軽く説教をして、
マルスは再び、ベッドに沈んだ。毛布を引き寄せて、ふ、と目を閉じる。

「………」

少し涙目になったまま。
そんなマルスの背中を、ロイはじっと見つめた。

「…何だ?」
「んー? …いや…。」

だるそうに目を薄く開いて、マルスが尋ねる。

「……本当、綺麗だなー、てさ。あ、背中のことな」
「……傷痕だらけの背中でも、か?」

苦笑気味に。
マルスがそう言い、ロイもまた、苦笑気味に返事をする。

「…そーだよ。」
「………」
「…まーやっぱり、大事な大事なかわいー恋人に傷がつくってのは、
 嫌なんだけどな」
「………誰が、…恋人、だ…」

そっけなく言って。少し頬を赤らめるのが、かわいらしくてたまらなかった。
いつまでたっても認めようとしないで、
でも多分、そんなとこが好きなんだろーな、と、ロイは思う。
自分の馬鹿さ加減…あるいは仕方無いのかもしれないが…に呆れながら、
ロイはそっと、マルスの背中に唇を寄せた。

「っ、…」

瞬間、マルスの華奢な肩が、ぴくん、とはねる。

「…あのさ」
「…何、だ」
「背中のこと」
「しつこい…」
「はいはい。…あのな、変なこと訊くけど。
 …あんた、今、安心してると思って、いいんだよな?」
「……え?」

安心してると、思って。
それは、マルスが。

質問の意図が上手く読めなくて、マルスは視線を、ロイに向けた。
少し困った目で、ロイをじっと見つめる。

「…安心…?」
「ん…。…さっきも言ったけどさ、剣士が背中、とられんなって。
 …戦場にいるんなら、誰でもそうかと思うけど」

傷痕の残る背中は、戦い抜いてきた証拠だ。
一人ではなかっただけ、救われていたのだと思うが。

「…俺に簡単に、背中、とらせてくれるから。
 あんた、ここに来たころ、…ずっと怖いカオしてただろ。
 だからさ、少しは、安心もできてんのかなって、…とか」
「………」
「それだけ」
「………」

マルスが、引き寄せたシーツを、ぎゅっと掴む。
指が震えているのに、ロイが気づかないわけがない。
その手にそっと、自分の手を重ねて、
マルスの身体を抱き寄せる。
夜の闇の中で、青みを増す髪に、口づけた。

「もう寝るだろ?」
「……ああ…、」
「オヤスミ」
「…うん」

「………」

ロイの腕の中に、大人しくおさまったまま、ロイの声の言うとおりに、
マルスは瞳を閉じた。
長い睫毛が少し揺れているのを見ながら、
言うことを素直に聞くなんて、珍しいな、と、思う。

「…ロイ…、」
「…え?」

ふいに、自分を呼ぶ声がした。

「…何?」
「………あのな、」
「…うん、」
「………。……間違いじゃ…、…ないから…」
「……は?」

小さな声で、マルスが言う。
…何が「間違いじゃない」のかが、ロイにはわからなかった。
あまりにも、唐突すぎて。

「…おやすみ…」
「あ、…おい、ちょっと待て!!」

寝る体勢に入ったマルスを、慌てて叩き起こす。

「何だ、…僕は眠い。寝る」
「後にしろ! 後に! 何が間違いじゃないって!?」
「……。…鈍感」
「あんたにだけは言われたくねーよ! で、何だ!!」
「……あのな…っ、」

閉じた目を、わざわざ開いて。
ロイを睨む。
未だに場所だけは、ロイの腕の中だから、
自然に上目づかいになって、ロイはちょっとどきっとしてみたりした。

ああ、俺って果てしない馬鹿だ、なんて思いながら。

「…少しは自分で考えろ! お前が言ったくせに!」
「……え」

声を抑えることを忘れて、マルスが怒鳴る。
目を丸くしてロイが見つめた先で、マルスは真っ赤になった。

「……マルス、」
「うるさい! 寝かせろ!」

半ば条件反射で、その辺にあった枕を投げつける。
ロイの顔から、ばふっ、と音がした。
ロイの腕の中で、ロイに背中を向けて、
不機嫌そうに、目を閉じる。

「…ってぇな、何すんだよっ」
「………」
「あ! 寝るなよー!」
「…寝て、何が悪い…!」
「気になるだろー! 何が間違いじゃないんだよっ」
「自分で考えろって言っただろ!」
「考えてもわかんねーから言ってんだ! 俺が何言ったんだよ!」
「自分の言ったことくらい、覚えてろ!」

何を言っても、今度こそ、マルスは目を開けないし、こっちを向かない。
もう、寝る気しかないらしい、マルスは、
その言葉を皮切りに、一切喋らなくなった。

「何だよ、俺が何言ったって!?
 別に、間違いがどーこーなんて…」

ロイの言葉だけが、静かな部屋に空しく響く。

「………」

シーツから覗く、こっちを向かないマルスの、白い首筋。
それを辿った先の、背中の傷痕を見つめて、

ふ、と、思い出す。

「………安心して…、」

   マルスの、

背中に残った、傷痕を知っているというのは、
一つの証拠だ。
マルスが、背中を見せられる相手なんていうのは、
ほとんど、いやしない。
ましてや、こんな、寝ている間に、なんて。

それは、
たぶん、
少なくとも、

「…そう、思って、いーんだよ、な?」

心を許しているという、証拠になるのだろう。

確かに、かたちになって残っている、傷痕みたいに。

「………」

静かな、月だけが灯りになる部屋の中。
時計の秒針が、時間を刻んでいく音だけが聞こえてくる。
少し大きめの、一人用のベッドには、
意地っ張りな、王子様が一人、眠っている。

物語のお姫さまのように、起こすためじゃなくて、
寝かせるために、髪に口づけた。

「…おやすみ。」
「………」

ロイらしくない、大人びた微笑みで、静かに言う。

閉め忘れたカーテンを閉めた後の部屋には、
二人分の寝息が、穏やかに続いていた。



ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
ずるいのは百も承知ですが、微エロでもどうしても始めと終わりを省いてしまいます…。
…これくらいならぬるめの15禁…で、オッケー…ですよね…?(汗)

王子の背中はたぶん綺麗なんだと思いますが、こういうのもありでしょうか…。