009:コンビニ




好きだよ、大好きだよ、ずっと傍にいるよ。
君がつらいなら、ずっと抱きしめているよ。
だから、お願い、泣かないで。
ずっと傍にいるから、ずっと笑っていて。
必ず幸せにするから。

呪文みたいに繰り返される言葉は、
胸の奥、心まで埋め尽くしていく。
優しい気持ち、暖かい体温。
やわらかい腕に抱きしめられて、誰にも見せない涙をこぼす。
境界線を外して、心が他人で満たされていく。
幸せに、なっていく。





   ***


「マルス!」

青い空の下に、はねた赤い髪が見える。意志の強そうな、碧の瞳。
少年は、少し離れた場所にいる彼の方へ、真っ直ぐ走る。
ひまわりのような笑顔は、淋しい心を包んで、引きつけて止まない。
太陽のような少年だった。

「マルス、おかえり!」
「うん。…ただいま」

走ってきた勢いのまま、少年は彼に抱きついた。
発展途上の腕で、嬉しそうに、愛おしそうに彼を抱きしめる少年は、
子供の顔そのままに、彼の白い頬にキスをした。

「っ、ちょ、っと…ロイ、」
「何だよこれくらい、今更だろー」

肩に手をかけて、彼は少年をやんわりと押し返したが、
少年はそれに応じなかった。
それどころか、更に腕に力を込めて抱きしめてくるのに、
しばらくして彼は、抵抗を止めた。抵抗は無駄だと悟ったからだ。

少年の腕に、抱きしめられて。
彼は、元々淡白気味な表情を、まるで人形のようにしてしまう。
それに気づいたのか、少年は彼を抱きしめたまま、
彼の顔を、そっと覗いた。

「…マルス?」
「…何だ?」
「…何か、あったのか」
「……。…何でもない。…いつものこと、だから」
「いつもみたいに、人が死んだのか。
 反乱を、抑えに行ったんだろ」
「………。」

敵わない。…いつまでも、その、いつも真実を見る、碧の瞳には。

「………」
「いいよ。…泣きたいんなら、泣けば?
 って言っても、泣かないだろーけどさ」

あんた、強情だもんな、という少年の口調は、あくまでも軽めだ。
それでも少年はそれ以上、彼の顔を見ようとはしなかった。
彼の頭を抱え込んで、自分の肩口に押し付ける。
少年から、絶対に、彼の顔が見えないように。

「………ロイ…、」

少年は、彼の青い髪を撫でて、そして、背中をぽんぽんと叩く。
手のひらに隠された確かな優しさに触れて、彼はそっと瞳を閉じた。
いつも、
悲しくなると、寂しくなると、苦しくなると。
いつも、助けてくれる。強い声が、瞳が、手のひらが。

背中にそっと腕を回して、彼は眠るように酔っていく。
陽の光によく似た、炎のあたたかさに包まれて。



好きだよ、大好きだよ、ずっと傍にいるよ。
悲しいなら近くにいるよ、
寂しいなら抱きしめてあげるよ、
苦しいなら救ってあげるよ、
だから、お願い、どこにも行かないで。
必ず幸せにするから。

名前を呼ぶ声。
あたたかさ。
胸の中の鍵がはずれて、誰かにそっと触れられる。
幸せに、なっていく。





   ***


「…マルス?」

丘の上、そよ風になびく草の群れ。
寝転んでいた青年は、彼の姿を見て、上半身をゆっくりと起こした。
金髪に、木洩れ日が反射して、きらきら光る。
おだやかな風と木洩れ日は、そのまま青年の気質のようだ。

「マルス。…帰ってきてたのか? おかえり」
「うん。ただいま。…ついさっき、だけどな」

彼がいつものようにはにかんで笑うと、青年も優しく微笑んだ。
そのまま彼は、青年の隣に、寄り添うように座る。

「………」
「………」

座って、しばらく。
何も喋らない、彼の横顔に。

「…どうしたんだ?」
「………。」

青年は手を伸ばして、やわらかく笑いかけた。
頬に触れられ、彼は肩を竦めるが、それもほんの一瞬のこと。
大きな手のひらに包まれて、彼は寂しそうに笑う。
それは、花に感じる危うさに似ていて、青年は少し困った顔をした。
そして。

「…ごめんな」
「………」

ぽつり、と、穏やかな声はそのままに、一言そう告げた。

「…どうして、…リンクが謝ることは、少しも…」
「…お前の事情を、わかってやれないから」

頬に触れ、髪に通していた手で、青年は彼を抱き寄せた。
ふわりと肩を包んで、胸元まで引き寄せれば、彼は寄りかかる形になって。
彼の耳元に、音が届く。
胸の奥、子守唄のような心音が。

青年は、彼の前髪に、唇をそっと押しつけた。

「…お前がつらいのに、オレだけ、何もできない」
「………そんなこと…。
 …僕は、リンクが…。
 …近くにいて、くれたら…」

彼を抱きしめる、青年はお人好しだ。それも、上に馬鹿のつく。
そんなことは充分知っているので、彼は悲しむのがつらかった。
自分のことを思ってくれる、青年まで傷つけることになるから。

「…ごめんな」
「………」

それでも青年は、ずっと彼の傍にいる。
抱きしめて、子守唄を聞かせてくれる。
そんな、青年の限りない優しさはつらかったけれど、甘えたかった。
傍で抱きしめてほしかった。
抱えた寂しさのぶんまで。

それは、まるで木洩れ日と、風の音のように。
とても優しかった。



好きだよ、大好きだよ、ずっと傍にいるよ。
無理をしなくてもいいんだよ、
泣いてもいいんだよ、
寂しいなら寂しいと言ってもいいんだよ、
抱きしめてあげるよ。
幸せなふりをする必要は無いんだ、君は幸せになれるのだから。
僕が、
必ず幸せにするから。

言葉の波に溺れるように、その腕の中で眠りにつく。
催眠剤のような陽だまり。
好意は信頼に変わり、信頼は依存に変わる。
優しさもあたたかさも全て、自分のものになっていく。
幸せに、なっていく。





   ***


「…大丈夫か? …落ち着いたかい?」
「………、…ご、めん、なさい…」

腕の中で言葉に励まされ、彼はようやく呟いた。
弱弱しい、だけど確かな言葉。彼を抱きしめている男性は、安心したように息を吐く。
顔を上げようとした彼を、そのままでいい、と言葉で制してから、
男性はゆっくりと髪を撫でてやる。
怖い夢を見る、子供をあやすようなしぐさで。

「…ごめん、なさい…、」
「お前が謝る必要は、無いだろう。
 …私がお前を、助けたいだけなのだからな」

揺らぐことのない微笑みと優しい声が降ってくる。
元の世界で悲しいことがあると、彼はついこの人に頼ってしまっていた。
その腕に抱きしめられるのも、優しい声が耳をくすぐるのも。
冬の中、暖炉の炎にあたためられているような、そんな感じがするからだ。

「悲しいことが、あったのだろう?
 …話したくないなら私は何も訊かない。
 だが、悲しみたい時は、悲しんでおいた方がいい」
「………」

寄せていた好意は信頼に変わり、信頼はいつしか依存に変わった。
わかっている、これは依存だ。
この人は自分を傷つけない。
何も訊かずに抱きしめてくれる、体温の心地よさ。
いろいろなことが幸福に変わる。
この人の言葉だけで。

「…私でいいなら、お前が望むだけ、傍にいよう」
「………はい。
 ………ありがとう、ございます…」

依存だと、わかっていても。
離れられない、自分はもう、この人から。
目を閉じて心ごと寄りかかっても、
いつだって受け止めてくれるから。















…わかってる。
…誰でもいいんだ、本当は。
…炎のような少年だろうが、木洩れ日のような青年だろうが、温もりそのものの男性でも。
…誰でもいい。
…どんな方法だってかまわない。
…自分の心を救ってくれる、自分を傷つけない人なら、誰でも。誰でもいい。

それは根本的に、人を愛することができないということ。
利用価値でしか見られない。与えられるものを受け止めるばかり。
自分が愛しているのはきっと自分だけなのだと。
そんなことを、思った。

どこの世界にいたって。どんな時間だって。
傍にいてくれるなら。

誰でもいい。

誰でも。



この人は本当に、私が私だから私を好きなのか。
私は本当に、この人がこの人だからこの人を好きなのか。
今でも時々考えます。ただ、役に立つからじゃなくて?

なんか王子が浮気してるみたいですけど、
これ、3つの世界を遠くからぼんやり見ているみたいな、
一種のパラレルワールドだと思って下されば…と思います。
王子は浮気できるほど器用じゃないと思います。