007:妖精




「…『ナビィ』?」
「ああ、そうだよ」

午後のお茶を一口飲んで聞き返したマルスに、リンクは微笑んで頷いた。

「そいつが、オレがハイラル、ってところを旅してた時の、相棒。
 タルミナ、ってところを旅してた時は、チャットって奴がいたんだけど、
 あの人の話は、またそのうちな」

やはりお茶を一口飲んでから、リンクは一息つく。
テーブルに置きっぱなしのソーサーにカップを返してから、
リンクは話の続きを始めた。

「最初のうちは、全然気も合わなくて、何だこいつ、とか思ってたけど」
「…リンクでも、そんなことがあるのか?」
「ああ、あるよ。でも、本当に最初のうちだけだったな。
 頼りになって、生意気だと思ったら、すごく優しかったりしたし。
 …正直、旅の途中なんか、彼女がいないと駄目になってたと思う」
「………」

懐かしそうに、ゆっくりと話すリンク。
マルスはいつもにも増して優しい穏やかな瞳を見ながら、
そのナビィ、という妖精が、リンクにとってとても大切な存在なのだと理解する。
マルスの旅は、つらかったけれど、仲間が大勢いたのだ。
それに比べてリンクの旅は、その妖精がいなければ、一人旅。
本当に、本当に心の支えになっていただろうと、そう思う。

一人というのは悲しくて、どうにもならないものだと、マルスは知っていた。

「…そうだな。
 …そういう人…がいるっていうのは、いいなと、思うよ」
「ああ。オレも、そう思う」
「その人とは、今も会うのか?」
「…あ…、…いや、」
「?」

何気なく尋ねた問いかけに、リンクはちょっと申し訳無さそうに笑う。
…悪いことを訊いてしまったのだろうか。

「…会わない…よ。…会えない、って、いうか…」
「……え…、」
「…旅が終わった後、…いなくなっちゃって、さ」
「………、」

藍(あお)い瞳を大きく見開いて、マルスはリンクを見つめる。
いつもと同じ穏やかな顔だったが、リンクはどこか寂しそうだった。
それは、マルスがあまり、見かけることの無い表情で。

「随分、探したんだけど…」
「………。」

青い瞳が、どこか遠いところを見つめる。
まるで、長い長い時間を、思い出しているかのように。
その目を見て、何だか悪いことをした気分になってしまったのか、
マルスが一人、苦しそうな顔で俯いた。

それに気づいたリンクが、慌てた様子で言う。

「あ、いや、…大丈夫だから。そんな顔、するなよ」
「…でも…」
「平気だよ。悲しいことばかりじゃ無いんだからさ」

そう言って、ふ、と思いついたようにソファーを離れたリンクは、
座るぞ、と言って、マルスの隣に座った。
びっくり顔でリンクを見ているマルスの頭を、
子供をあやすように、撫でてやる。誤解させてごめんな、と言いながら。

「あいつがオレのところに来たのは、オレが子供で、
 どうしようもなく、何もできなかったからなんだよ」

そして。
こんな話を、始めた。

「…それらしくは、見えないけど。
 ほら、オレ、一応、勇者、っていうもの…みたいだから」
「………」
「それにしては何もできないから、彼女がきてくれて、導いてくれたんだ。
 …彼女がオレから離れたってことは、認めてくれたってことだろ?」
「………、」

いつもと変わらない調子で告げられた、そんな言葉。
思わず目をまるくして、マルスはリンクを見つめる。
大きな手は、まだ子供のように、青い髪を撫でている。

「…認めて…、」
「言ってたんだ。もう、大人だから、大丈夫だよね、って。
 …そりゃあ、やっぱり、一緒にいたかったとも、思うけど…、」

そう思う気持ちに、嘘はひとつもない。
だけど。

「大人だ、って。…人を救える勇者だって、認めてくれたことが。
 純粋に、嬉しかったんだ    …だから、耐えられた」

リンクは、マルスの瞳を覗いて、優しく笑う。
いつものような、無条件で人を安心させる力を持った、
穏やかな微笑みで。
その微笑みは、誰の力で、誰のお陰で絶やさずにいられるようになったのか。
あたたかな言葉の中で、マルスは理解できたような、そんな気がした。

「だから、な?
 悲しいことばかりじゃなかったんだ。オレは、大丈夫だよ」
「…ああ、」

気まずさからかたく握っていた手の力を緩めて、マルスはふ、と微笑む。

「リンクは…。…何て言えばいいんだろう、…わからないけど…」
「……?」

もう、ずっと前のことだ。
リンクの心の影の魔物と、勇者とが、言い争ったことがあった。
偶然その場に居合わせて、マルスは怪我をした。
怪我をさせた魔物は言っていた   勇者は勇者を恨んでいる、…。

あの日から、ずっと。
言葉の示すところがよくわからなくて、不安になった。
勇者が目の前の青年を指すのだとしたら、あの言葉は、
リンクは自分のこと全てを、嫌っているということになるのだから。

「…その人に、会えて、良かったな」
「…ん。そうだな」

だけど、今の話を聞くかぎりでは、悪いことばかりではなかったみたいで。
他人事ながら、なんだか安心してしまった。
いつも頼りきりで悪いなと思っても、やっぱりリンクはリンクで、
勇者という言葉がぴったりだと、そう思う。

「……あ…、」
「? …マルス?」

何気なく視界に入った、壁掛け時計を見て、マルスは目を見開いた。
ゆっくりと思い出す。午後三時半。…何か、忘れてるような気がする。

「……!!」
「っ、と、マルス? どうしたんだ?」
「…忘れてた…! …ロイと、出かけるって…!」
「…えっ、」

慌ててソファーから立ち上がるマルスの背中を、慌てた様子でリンクは見る。
いつも冷静で静かなマルスが、妙に慌てているので何事かと思えば。

「珍しいな、マルスが忘れるなんて」
「約束したのが、おとといだったから…、…と、」
「あ。いいよ、お茶の片づけなら、オレがするから」
「え? だけど…、」

テーブルに伸ばされた腕を制して、リンクはさらりと言った。
驚いた顔でこちらを見ているマルスに笑いかけて、
いいから、急いで行ってやれよ、と言う。

「ロイ怒らせると、後でうるさいぞ」
「…うん。…ごめん、ありがとう…!」
「ん。いってらっしゃい」

いってきます、と短く言って。
リンクにもう一度、ありがとう、と頭を下げてから、マルスは駆け出す。
ばたばたと騒がしい様子が珍しかったのか、
廊下を通りがかったらしいファルコが、驚きの声を上げているのが聞こえた。

「………」

静かなリビング。
午後三時半の時計、ふたつのティーカップ。

「………勇者、か」

ふ、と、自嘲気味に溜息をついて。
リンクは、遠くを見つめる。

「だけど、本当は、好きな人に本当のことも言えない、臆病者なんだ。
 嘘ばっかりついて、…だけどそんなことが、嬉しくてしょうがない」

遠く、遠くで聞こえる声。
もう懐かしい、もうきっと会えない、だけどきっと自分を思ってくれている、
ずっとむかしのともだち。

「………今のオレを見たら、きみはどう思うかな。
 ………情けない、って言って、怒るかな。…なあ、ナビィ」

いつか、二人一緒にいたころは。
こんな気持ちは知らなかった。

「……きみがいないと、オレは…。
 ……わからないこと、ばっかりだ」

優しい声。
だけどどこか、悲しい。

午後三時半の時計、ふたつのティーカップ。
あたためられたポットから、まだ、白い湯気が立っていた。



妖精って見て、どうしてもナビィしか思いつかなかったのです。
時オカわからない方ごめんなさい〜。