○ 雨上がりの道 ○
「止まないね、雨」
「そうだな……。……にわか雨だと思うんだけどなあ。
空も明るいし、そろそろ止むと思うんだけど……」
喫茶店の中から窓の外、止まない雨を見て、リンクは溜息をついた。
左手に持った白いカップの中、少し冷めたコーヒーの残りを飲み干して、
店の中の時計を見る。
午後4時半。いい加減帰らないと、夕飯の時間が遅れてしまう。
買い出し当番の自分達が帰らなければ、支度は始まらないのだから。
「ネス、」
「ん?」
リンクの反対側の席にいる少年は、呼びかけでこちらを向いた。
目の前には、随分前にからにしたチョコレートパフェの容器があった。
「どうする? オレは平気なんだけど、濡れても大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
「そっか。……じゃあ、行こうか」
「うん」
何の文句も言わず、ネスはにこっと笑う。
その笑顔に応えるように微笑み、リンクは席から立ち上がった。
「そうだ、ネス」
「何? リンク」
テーブルの上の伝票を持って、喫茶店の入り口に向かう。
リンクの前を、軽い足取りで走るネスを呼び止めると、
人差し指をそっと、口元に持っていって。
「オレの奢り。カービィには、内緒な」
「……あ。うん、了解」
ずるいー、って言われても、困るから、と。
その一言ですべてを理解したネスは、リンクに、
パフェ、ありがとう、と笑って言った。
***
雨の降る街は、いつもとは違う匂いがした。
からっとした空気とは違った、湿った気配が、土の匂いを連れてきている。
にわか雨独特の空の色は、暗いのに明るくて少し気味が悪いが、
今はそんなことを言っている場合ではなかった。
ばしゃばしゃと、水溜りに足を突っ込むたびに、派手な水飛沫が上がる。
中途半端に湿ったシャツが、身体に貼り付いて気持ちが悪い。
「ネス。大丈夫か?」
「え?」
ネスの頭の上から、突然、声が降ってくる。
それは当然、隣を一緒に走っていたリンクのものだったのだが、
喋ること無くひたすら走り続けていた今にとって、それは突然で、
ネスはうっかり驚いてしまった。
その質問の示すところにようやく考えが至り、ネスは笑う。
「あ、うん。大丈夫」
「本当か? ……なら、いいんだけどさ……」
「大丈夫だってば。前から思ってたけど、」
舗装された道路を、ずっと走っていく。同じように走っている、人の群れを追い越して。
雨のしずくは地面を弾いて、そして水溜りに沈んでいく。
木の葉から滴る雨粒は、傘を差して見ればもう少し風情があるのだろうが、
今はほんのちょっとだって、気に留めることはできない。
「リンクって、心配性だよね。僕、平気だよ?」
「……悪かったな。子供を、危ない目に遭わせるわけには、いかないだろ」
「……子供」
確かに子供だけど、と小さな声で続けるネスの頭を、リンクはぽん、と叩く。
子供は子供だから、大人を気遣わなくていいんだよ、と言って。
それを聞いて、ネスは、
「リンクだって、まだ子供なんでしょ?」
「それでもお前よりは大人だよ。さあ、急ごうな」
こう反論したが、更に反論が返ってきた。
煉瓦造りの街並みを抜けて、リンクはふ、と空を見上げた。
銀色の糸のように降ってくる、雨の向こう。
明るい色の、雲が見えた。
***
「……はあ。ようやく」
ようやく雨が止んだのは、街並みを抜け、商店街を抜けて、
両隣をひまわり畑に囲まれた、緩やかな坂道に入ってからだった。
「……っあー、屋敷帰ったら、まずは風呂だな……」
「そうだね。……誰か、沸かしてくれてるといいのにな」
襟を引っ張って空気を入れてみたり、裾をはたいてみたりしながら、
二人は止んだ雨にちょっとずつ文句を言う。
当然そんなことで、身体にまとわりつく不快感が消えるわけは無く、
やがてネスが、小さな溜息をついた。
「ネス?」
「…………」
小さな溜息の後。
ネスがなんだか、暗い顔をしていて。
「……雨は、嫌いか?」
できるだけ深刻な声にならないように注意深く、リンクは尋ねる。
その声にネスは、俯かせていた視線を、少しだけそちらに上げた。
いつもと同じように、少し困ったように笑っている、リンクの姿。
少し迷った後で、ネスはぽつり、と言う。
「……別に、雨は嫌いじゃないよ。きらきらしてて、綺麗だから。
……けど、雨の日は、嫌い」
赤い髪、藍の瞳、窓の外、向けられる視線。
いろいろなものを、思い出す。
「……ロイとか、マルスとか。
……雨の日は、悲しそうだから」
「…………。
…………ネス……、」
気づいて、いたのか。
思わずかたちになりそうだった言葉を、リンクは飲み込んだ。
そうだ、大人のような考察力は足りなくても。
子供には、子供特有の、勘の鋭さというものがある。
ロイはともかく、マルスの雨の日の変化なんて、
リンクは、彼の小さな親友に教えてもらって、初めて気づいたのに。
「ねえ、リンク」
泣きそうな顔で、ネスはリンクを見上げる。
子供だけしか持ち得ない、真っ直ぐなこころのままに。
「リンクは、二人の親友なんでしょ?
どうにも、できないの?」
「…………。…………」
それは。
どうにもできない、お願いだった。
「……無理、だよ。ごめんな」
「…………」
「オレじゃあ、あの二人の悲しい理由が、わからないんだ」
「…………」
正直に言ったリンクの青い瞳を見つめてから、ネスは視線を再び、地面に向けた。
追いかけてみれば、水溜りに、悲しい顔をした、子供の顔が映っている。
……思えばネスは、超能力を使うのだ。
普通の人より第六感は冴えているだろうし、きっと少しくらいはわかるのだろう。
人の心の変化が。
「……ごめんな」
ぽつり、と謝り、リンクは雨に濡れた黒い髪をそっと撫でてやった。
湿った黒髪が、ネスの目を隠す。
水溜りの中で、空が動く。灰色、青、真っ白な雲。
「…………」
居た堪れなくなり、リンクはネスから視線をそらす。
地面が剥き出しの坂道の両側に広がるひまわり畑。
雨粒が太陽の光を浴びて、きらきら光って綺麗だった。
「…………あ」
そのまま、空に目を向けて。
リンクは、空に似た色の瞳を、見開いた。
そして。
「ネス!」
「……え? 何?」
「おい、あれ、見えるか?」
「……え? 見え……?」
慌てた様子でネスを呼び、リンクはひまわり畑の遥か向こうを指差す。
どうやら何か見つけたらしい。
……が。
「……あの、リンク。
僕、リンクみたいに、背、高くないから」
「え? ……あー……。……そっか、じゃあ、」
「え、」
ネスが見えないことを伝えると、リンクは持っていた買い物袋を、突然ネスに押し付けた。
勢いのまま受け取ったネスが、不思議そうにリンクを見上げる。
するとリンクは、地面に片膝をつけてしゃがんで、
「……わっ、ちょ、リンク!?」
両腕で軽々と、ネスの身体を持ち上げた。
子供らしさが抜けない両足を、自分の肩にかけさせる。
肩車、の形で。
「え、え? リンク、あの」
「いいから、落ちるなよ。……ほら、見てみろよ!」
安定していそうで微妙に安定していない肩車の上で、ネスはリンクが示す方に目を向ける。
視線より下にあるひまわり達が、きらきらしていて綺麗だった。
どこまでも続く空、いつもより動きの早い白い雲。
青い空、地平線の、少し上のところに。
「……わ……、……!」
鮮やかな、七色の。
大きな虹が、浮かんでいた。
「どうだ? 見えたか?」
「うん……! すごい、あんなにくっきり見える!」
頭の上から、先程までとは明らかに違う声が聞こえてきて、
リンクは思わず頬を緩めた。
ちら、と視線を上げてみれば、ネスは子供そのものの楽しそうな笑顔で、
ひまわり畑のずっと向こう、大きな虹をずっと見ていて。
ぽつり、と。
リンクは、呟く。
「……ごめんな。
……これくらいしか……、オレには、できないんだけど」
「……リンク」
けれど、やまない雨は無い。
どんなに深くても、どんなに冷たくても、どんなに長くても、
いつか必ず、空が戻る。
こんなに大きな虹が、架かる。
「……ううん。大丈夫。
……みんなに元気出してほしいなら、僕も元気でなくちゃ、だめだよね」
「……そうだな。……それにさ、」
雨は、雨だ。
水の雫。
いろいろなものを含んで降ってくる、
水の雫。
「……雨降って、地固まる、って言うしな」
「……そうだっけ」
「そうだよ。……多分」
自信は無いけどな、と言って笑ったリンクにつられて、ネスも笑う。
いつもと違う視線の高さ。
ひとしきり笑いあった後で、リンクは言った。
「さて、と。じゃあ、帰ろうか」
「あ、うん。……屋敷の方は、もう晴れてるよね」
「ああ、多分な。雲、見えないし。
……で、どうする?」
「? 何が?」
ネスは、リンクに肩車をされたまま、リンクを見下ろす。
それを、いつもより子供っぽく見上げて。
「どうせなら、このまま、屋敷まで帰ろうか?」
「……え!?
いや、別にいいよっ、こんなのおかしいよっ」
「平気だよ。どうせ、誰にも会わないだろうし。
この道、雨の日は泥だらけになるから、人が通らないんだよな」
訊くだけ訊いてリンクは、ひまわり畑の中、坂道を歩き出す。
ひまわりよりも少し高い、しめった黒髪が、騒ぐ。
「いいよ、いいってばーっ! 降ろしてよ、リンク!」
騒いでも、帽子を引っ張ってみても、リンクはまったく聞こうとしない。
子供なんだから、少しくらい甘えろと言って。
子供子供と言われて、何だか腹が立ったが、どうにもならない。
ひまわりに下りた雨粒が、太陽の光できらきら光る。
青い空、虹の下。
雨上がりの道の上を、仲の良い兄弟のように、歩いて。
その後、屋敷に辿り着く直前で二人は、散歩に行くらしい、ロイとマルスに見つかって。
ロイに散々馬鹿にされたりしたが、気にしたのはやはり、ネスだけだった。
どうしてもカップルになりませんでした……す、すみませ……。
何かもうとりあえず肩車を書きたかったので、
書けてよかった……です。