両腕いっぱいの愛

 朝の読書を終え砦の外に出た青年は、早朝の涼やかな日差しの中ぽつりと佇む背の高いその人を見つけると、顔を明るくして駆け出した。聖職者の白い衣はすらりとした印象をいっそう際立たせ、今日もその人をひどく寂しげに見せる。そんなものの正体については青年の知り及ぶところではなかったが、人の過去に詮索できない自分の事情を鑑み、あまり気にしないようにしていた。どのみち青年にとっては、今ここにあるものが全てであるからだ。
 距離を縮め、ふと気づく。金の髪、オリーブ・グリーンの瞳、それから、白い肌。全体的に淡い色彩を纏うその中に、たったひとつ、場違いなほどあざやかなものが紛れ込んでいるのである。
 ああ、今日もか。本当に、毎日毎日。一体何なんだ。
 その色を認めた瞬間、青年の頭に浮かんだ言葉は、だいたいそのようなものであった。
「リベラ!」
 瞬間、胸中に傾れ込んだ正体不明の様々な感情を打ち払うように、青年は大きく息を吸い声を上げた。その人は青年に気づくと、たおやかな動作で振り返る。
「リベラ、おはよう。今朝も早いんだな」
「ルフレさん。はい、おはようございます」
 穏やかに返ってきたリベラの声は、今日も透き通って美しかった。
 安堵の笑みをひとつ。
 しかし青年の目は、すぐにリベラの手の中に向けられる。視線の移りに気づいても、リベラはただ困ったように首をかしげるばかりであった。
「今日も、か」
「はい。今日も、です」
 何度も聞いた返事が、青年には状況そのもののように感じられた。こんなやりとりに慣れてしまうというのも微妙な話である。今度は、溜め息をひとつ。
 祈りの似合う長い指に支えられ、そこには一輪、真っ赤な薔薇があった。
「ヴィオールから、だよな。これで何日目だ?」
「これで、十日と……六日目だったと。……これは、なんなのでしょう?」
「それは俺が訊きたいくらいだ。本当に、心当たりはないのか?」
「はい、すみません。そうですか……ルフレさんにも、わかりませんか」
 答えたリベラは俯き、やわらかな眼差しを手の中の薔薇に注ぐ。そんなことをしているとまるっきり女性のようだ――という感想は飲み込んで、青年は思考を巡らせた。
 ヴィオール。
 自称、貴族。成り行きで迎えたという経緯に関わらず客将にまでなった、確かな腕前を持つ弓兵。頼りになるはずなのだが、行動や言動があまりにしょうもないために、全体的な評価としては胡散臭いの一言にとどまっている。しかしそれだけでは終わらない底の知れなさを併せ持つ、要するに謎の人物である。
「誰かに何かを贈られること自体は、今までも何度かはありました。
 でも、それは、私を女性と間違えてのことでしたから。
 誤解だと知っても贈り物を続けていただくのは、ヴィオールさんが初めてですね……」
 彼らの間にあった出来事については、盛大に落ち込んでいたヴィオールからそれとなく聞き出しおおよそ把握している。ふざけた態度をとりながら、その実、たいへんな切れ者でもある彼の珍しい失敗に、悪いと思いながら大笑いしたものだ。青年としては、それで終わった話だったのだが。
 リベラの横顔を見上げる。本人が気にしているから口にはしないが、青年の目から見ても、やはり目の前の人はとびきりの美人である。職業や仕草がそうさせるのか、その美しさはどちらかといえば女性的なものに近い。時折、どこか人を寄せつけない不安定な孤高を感じはするが、基本的には穏やかで優しい人だ。たまに見せるやわらかな微笑みが、人となりをよく表している。
「好きなんじゃ、ないのか」
「え?」
 ふと浮かんだ憶測を口にする。リベラはきょとんとした顔で青年を見たが、それはすぐに苦笑へ変わった。
「まさか。私は男ですよ」
「いや、それはそうなんだが……」
 深く考えた発言ではないうえに、あまり真面目につつきたくない類の思いつきでもあったため、青年は詳しく説明することが出来なかった。リベラも特に興味を持った風ではなく、既に意識は元あった場所に戻されている。気にかける間でもない、ほんのささいな冗談。しかしそれで終わらせていいものか、青年は疑惑を拭い切れなかった。
「……、何にしても、理由くらい、はっきりさせてほしいもんだな」
 この後のことに思いを馳せ、青年はなんとも言えない気持ちに捕らわれる。リベラはきっと今日も薔薇を花瓶代わりの入れ物に挿し、空いた時間にはそれを眺めるのだろう。日に日に増えてゆくあざやかな赤に、戸惑いながら、安らぎを感じながら。ヴィオールとリベラが親しいというのは、青年にはなかなか不思議な事実であった。しかしヴィオールが目に見えてリベラを気にかけていること、リベラがそれを悪く思っていないことも、確かな事実である。
 リベラは、気がついているのだろうか。ヴィオールとの話の最中、リベラはよく笑う。正体不明の寂しさも、彼といるときのその人からは微塵も感じられないのだ。それがヴィオールの成したものであるのなら、彼はつくづく得体の知れない人物である。
「このままじゃ、リベラが、花に埋もれちまう」
 あらゆる思いを込めた一言を素直に吐き出す。
 そうですねと短く答え手の中の薔薇を大事そうに握り締めたリベラに、やはり青年はなにか釈然としないものを感じるのであった。


あの薔薇あの後どうしたんでしょう…… >支援C

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