春告げ
「ノイス!」
 やたら元気の良い声で呼び止められ、ノイスは何事かと振り返った。雪の降る景色を四角に切り取る窓が、等間隔に並ぶ長い廊下。その真ん中を、はねた茶色の髪を揺らせながらぱたぱたと走ってくる、赤い子ども。
 腰には、遠くからでもわかるほどに上等な剣が提げてある。今朝彼を見かけた時は無かったものだ。近づいてくる心底ご機嫌らしい快活な笑顔と、ここ最近の出来事を思い返し合わせてみれば、ノイスには自然にこれからのことが予想できた。その場で立ち止まったまま、少年の到着を待つ。
「どうした、エディ」
「あのな、レオナルドが」
 少年を呼んでみれば、弾んだ声で返ってきたのはやはり、彼にとって特別なものらしい、そんな名前だった。
 エディはノイスの前で立ち止まる。そういえば、はじめて出会ったころと比べて、ずいぶんと目線が近くなった。ああそうか、背が伸びたのか。何を今更そんなことをと、ノイスは己の認識に苦笑した。
「あいつが、この剣、俺にくれたんだけどさ」
「ああ……?」
 ああ、やっぱりか。エディの世間話、というよりは報告に近いそれに、ノイスは大いに納得すると同時に、あることを不思議に思って首を傾げた。

 記憶は数週間前に遡る。エディの相棒である金の髪の少年が、珍しく自主的な頼みごとをしてきたのだ。彼は普段、自分では出来ない類の無理なことはけっしてしない性質であるので、不覚にも驚いてしまったことを、ノイスは未だに覚えている。
 少年の相談とは、要約すれば『ある剣を手に入れたいのだけれど、非常に珍しいもので、おまけにこの情勢だから』ということであった。弓兵である少年がなぜ剣なんか、というごく当たり前の疑問は、もちろんノイスの頭には一瞬たりとも浮かばなかった。少年の傍には、いつだって剣使いの相棒がいるからだ。どうやら本人には内緒にしておきたかったらしく、話を持ちかけられたとき、隣にその姿はなかったのだが。
 レオナルドが話した剣は、なるほど確かに手に入りにくいものだった。風を切る剣の最上位に在るそれは、非常に扱いが難しく使い手が限られてしまうため、流通らしい流通は皆無である。それ以前の問題で、そもそもの数が少ない。以上のことから、とんでもない高額でもある。
 いくら元士官学生であるとはいえ、こんな子どもが、一体その存在をどこで知ったのか。ちょっとした興味で尋ねてみると、昔、家で。と、短く返された。支払いの方はたぶん大丈夫だから、とも付け加えられた。そういうところは相変わらずだ。
 少年がそんなものを欲しがる理由、その根底にある思いはなんとなく想像が出来たし、理解もできた。あちらこちらに話を聞いて回って、いろいろな問題を経て、ミカヤ他あらゆる方向に協力を得て   結果、なんとか手に入りそうだと告げたとき、少年は嬉しそうに、幼く笑った。そんな無防備な表情を相棒以外の前で見せるのもまた、珍しいことであった。人見知りをする傾向にある少年が、自分にはかなり懐いている方であるのだと知ってはいても、意外なことだった。

 というわけなので、ノイスには、今、目の前にいるエディの剣が、どういうものなのかは知っていた。それ以外考えられないが、やはりエディに渡すためのものだったのだ。
 が、そこで話が終わらないのはなぜだろう。そこだけがわからなかった。この剣俺にくれたんだ、すごいだろ   これで終わるならわかる。エディの、レオナルドにまつわる惚気はいつものことだ。
 これ以上何の話が続くのだろう。純粋に疑問に思いながら待つと、エディはさらりと続けた。
「ありがとな」
「……は?」
 いや待て。どうせもうあらゆるおまけ付きで言っただろうが、その台詞は、その剣を贈った相棒に言うべきなのでは……。
 ノイスの反応をどう取ったのか、エディは、彼にしては殊勝なことに、きちんと説明をつけてきた。
「レオナルドが、ミカヤたちにも協力してもらった、って言ってたからさ」
「……ああ」
「ノイスも、なんかしてくれたんだろうなと思って。
 あんた、むかし商人だったって言ってただろ?」
「ああ、まあ、そうだな」
「うん。だから」
 お礼を言いにきたんだ。何の迷いもなくきっぱり言いきったエディは、じゃあそれだけだからと告げてさっさと踵を返した。こちらもこちらで、相変わらず落ち着きのないことだ。ノイスの返事も待たず走り出そうとしたところで、
「ああ、そうだ。なあ、ノイス」
「うん? どうした?」
 エディは立ち止まって振り返った。長い廊下、石壁、窓の外、冷たい雪が降り続く景色。
 裾の長い胴着の赤が、逆光で沈んだ灰色の世界から、少年だけを切り取り浮かび上がらせているような錯覚を、確かに見た。
「勝てば、いいんだよな。
 勝てば、生きていられる。生きていれば、できないことなんか何もない。
 だよな?」
 懐かしい台詞だ、そう思った。以前エディは、まったく同じことをノイスに言ったことがある。ノイスが二人に出会ったころ。エディは、幼い少年特有の透明な残酷さで夢と現実を同時に見据えながら、そう言った。今とは、まったく違う意味を含んで。
「おれさ、ぜったい勝つから。約束したんだ   じゃあな!」
 やはり答えは待たず、というよりは、もともとそれが欲しかったわけではないのだろう。エディは今度こそ、くるりと背中を向け駆け出した。凍えるような寒さなどものともせず、少年はあっという間に見えなくなる。
 ノイスはその場に立ち尽くし、何事かをじっと考えながら、エディが消えていった廊下の奥を見つめていた。



「……ノイス?」
 どれほどそうしていただろうか。ノイスは、再び聞こえてきた自分を呼ぶ声に引かれ、ふと我に返った。先程とは、調子も質も違う声。エディが駆けていったのと同じ方角から、今度は金色の髪の少年が歩いてくる。
 レオナルドはやはり、ノイスの目の前で立ち止まった。こくんと首を傾げ見上げる瞳の端が、わずかに赤い。それは、少年の顔を見慣れているからこそ気づけたような、ささやかな変化だった。
「どうしたの、ノイス。こんなところで」
「ああ……いや、ちょっと考え事をな」
「へえ。……まあ、いいけど」
 あまり納得はしていない様子だったが、レオナルドはそれ以上言及しようとはしなかった。素直な表情で、少年は自身が本当に訊きたかったことを切り出す。
「ノイス。エディを見なかった?」
「エディなら、さっきまでここにいたぞ。お前が歩いてきた方に走っていったが……」
「ああ……あっちは、途中で廊下が分かれているから。
 僕は兵の部屋がある方から来たんだけど……エディは逆に曲がったのかも」
「ミカヤ達がいる方か。なるほど、続き、か」
 続き。そんな言葉を耳に留め、レオナルドは不思議そうにノイスを見上げた。
「あの剣のことだ。ちゃんと、収まる場所に収まったみたいだな」
「……エディに、聞いたの?」
「礼を言われたぞ。後は、まあ、見せびらかしに来たんだろうな。
 だから、ミカヤの部屋に向かったんだろうが……、
 俺達のことまで正直に話すなんて、お前らしいな。レオナルド」
「うん。だって、本当のことだし……」
 僕ひとりでは無理だったから、とレオナルドは曖昧に微笑む。エディよりは軍の中央に近い位置にいる少年の、安心しているような、不安に揺れているような、心の模様が複雑に入り組んだ表情。理由を察したノイスは、頭をぽんぽんと軽く撫でてやった。許容できる程度に、出来るだけぞんざいに。己の胸中を、知られないように。
 レオナルドは驚いたように目をまるくし、ほんの一瞬すねたような視線をノイスに向けたが、最終的には、やわらかな苦笑に落ち着いた。この少年も、出会いのころの印象から比べれば、ずいぶんと逞しくなった。成長期という言葉のままに伸びた背丈。追いかけるように、沿うように磨かれた、弓の腕前。
 彼は、強くなった。時折ふと零れる生来の優しさや脆さが、痛々しいほどに。
「……大丈夫か?」
「え?」
 思わずそう尋ねていた。呟いていた、という方が正しいかもしれなかった。レオナルドはきょとんとしてノイスを見上げる。深い、夜の色の瞳。
 レオナルドはしばらくノイスをそのまま見つめていた。やがて、
「ノイスこそ、大丈夫?」
 同じ核心を突かれ、ノイスは返事に詰まった。時を止めたような、深い沈黙が訪れる。風が吹く。風向きが変わる。花のように、雪がこちらへ舞い落ちてくる。四角い形に並ぶ景色を、絶望的に、あざやかに、白く眩く飾りながら。
 乱れた髪を軽く撫でつけながら、先に唇を開いたのは、レオナルドの方だった。
「ノイス。……僕は、この戦いに、どんな理由があるのか知らないけど」
 続きを知っている気がした。さっきも、聞かされた気がした。
 少年たちは、この冬を越えて。雪が花に変わる季節を、真っ直ぐ見ている。
「意味はあるよ。……生きたいんだ」
 この国で。
 レオナルドは子どもそのものの顔で笑うと、白い軍服の裾を引きながらノイスに背中を向けた。
「エディは、向こうに行ったんだったよね?」
「……ああ」
「わかった。ありがとう」
 しっかりとした足取りで、少年は廊下を歩く。逆光の中を、雪と同じ色を身に纏いながら、後を追う暗い影を自らの手で振り払って。
   生きたいんだ。
 残響が思考を支配する。少年二人の、声となり、言葉となった意志。それらを頭の中で繰り返しながら、ノイスは無意識で握り締めていた手に、ぐ、と力を込めた。
 ノイスは、少年たちが知らないことを、知りたがっていたことを、知っている。

 気の遠くなるような話だった。ある意味、夢のような、と言っても良い。ひどく現実離れした、それは呪いだった。彼らが守っていたはずの、この国を滅ぼすための。
 血の誓約。
 存在も、それがもたらす災厄も、とても信じたくはなかったが、ミカヤが真実だと語ったのなら、そうなのだろう。彼女の言葉には、彼らにしかわからない信頼がある。
 後はあんたにだけ話す、サザはそう言った。
 話を聞き終え、ノイスは悟った。理解した。漠然と感じていた、この雪にまぎれてこの国を侵食する、終焉の気配を。それが示す、未来の姿を。

   そう、思っていたのに。

「…………」
 あの時もそうだった。ネヴァサの路地裏で少年たちを見つけた、あの時。傷つき動けずにいた茶髪の子どもを、自らも命の危機に晒されながら、震える腕を懸命に伸ばして守っていた、金色の子ども。あの状況で二人は、当たり前のように一緒にいた。お互いのために戦うことが、当然だった。生まれも育ちも正反対、まったく長い付き合いではないと聞いて、ずいぶん驚いたものだ。
 二人とも、今よりずっと頼りなかったけれど、瞳は光に満ちる未来を見ていた。生きたいと、願っていた。二人一緒の明日を、疑ってもいなかった。
 瞳に、希望を見たのだ。そして、それは今でも変わっていない。
「……まいったな……」
 忘れていたのは自分の方か。唇の端に笑みを浮かべて、ノイスは窓の外に視線を向けた。
 雪が、降っている。今年も、花に変わる季節まで。

 石造りの長い廊下を、ノイスもまた歩き出した。吐く息は白く、景色もまた白いが、もう何を恐れることもなかった。

-END-

(10,03,19)
ノイスさんは知っていた、に一票。

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