voice
 澄んだ声で淡々と告げられた、とても人道的とは思えないその策を聞いた時から、エディには漠然とした不安があった。リバン河でラグズ連合軍を待ち伏せしたあの時でさえ、こんな気持ちにはならなかった。どうしようもなく、心がすっきりとしなかった。不安で不安で、たまらなかった。
 物心がついた頃には既に親も無く、家も物も無く、必要になれば人だって殺した。それすらも生活の一部であり、後悔なんてするわけもない。奪わなければ奪われる。殺さなければ殺される。奪われることは、殺されることは、生きるためにけっしてゆるされないものだったから  そしてそんなエディですら、今回の作戦には黙って頷くことが出来なかった。
 エディは尋ねた。この戦いの意味を。この戦いで、最終的に得るものを。自分たちの急務は故国を建て直し、守ることであるはずなのに。最初から、そして今までもずっと、それだけを信じて剣を振るってきたから。こんなのは正しくない。考えることを放棄した頭より、真っ直ぐに前を見ていた心が、はっきりとそう感じた。こんなのは正しくない。自分たちを取り巻く状況は、何かがおかしいと。ならばその原因を話せば良いのに、誰も教えてはくれない。軍の誰かも、古い仲間も、国の王も、その傍らに佇む儚げな将も。
 河での戦いの時から溜め込まれていた不満が爆発し、ほとんど怒鳴るようなかたちになったのにも関わらず、銀の髪の少女は動じなかった。金細工の瞳を伏せ、曇り空にも響くような声で、ただきっぱりと言った。
   デインを、守るため。
 幾度も耳にし、口にし、勇気づけられた言葉。
 信じないわけには、いかなかった。エディの隣で口を噤んで、二人の応酬にじっと耳を傾けていたレオナルドが、その一言に頷いてしまったからだ。

 エディにはゆるせないだろうけど、良い作戦だと思うと言われてしまう。なぜなら、これは戦争だから。効率よく敵を倒せるものが、良いものに決まっている。か細い声が、しかしはっきりと告げた。ただ、デインを守るため。この手で、それが叶うのならば。
 大丈夫なのかと訊けば、大丈夫と返ってくる。いつもの遣り取りも、信じないわけにはいかないけれど、手放しで信じるわけにもいかなかった。レオナルドは大丈夫でなくとも大丈夫と言う性質であるし、ましてや、ミカヤが相手である。真面目なところや信頼した仲間に対してひどく情が深いところは、好きなところであるけれど、せめて自分にくらい、本当の本音を言ってくれれば良いのにと、エディはいつも思っていた。強がりのような“大丈夫”も、また、レオナルドの本当の本音であると、わかってはいるのだけれど。
 後には引けなかった。戦いは始まってしまった。
 デインを、守るため。
 そう言われれば、彼らの将がそう言えば、そして、自分がそうだと信じれば。戦わないわけにはいかないのだ。……ただ、デインを、守るため。

 エディは不安だった。ミカヤの策は思う通りに運び、やがて最終段階になった。後には引けない。実行しなければならない。もう、誰にも止められない。
 弓兵部隊、準備を。
 その声で、レオナルドは崖際へ出た。それを、エディは後ろで見ていた。臨む山道には突然の襲撃に隊列を乱した、神使親衛隊とクリミア王宮騎士団がいる。
 崖下に向かって、油を撒く。鼻を衝く臭いが充満する。神使を乗せた天馬が逃げようとする、それを狙って弓を構える。
 デインを、守るため。

 握り締めた手が震えているのは、この降り続ける冷たい雨のせいでは無いと、エディには確信があった。

 そして。



    っ、……」
「…………」
 明かりを閉ざした薄暗い部屋には、かすかに呻くような声が続いていた。寝台の上に腰掛けたエディは、その腕に、顔を伏せたレオナルドを抱いていた。エディの胸に縋りながら、レオナルドは、何かにじっと耐えていた。耐えながら、震えていた。震えながら、泣いていた。
 こうして腕の中に収めてしまえば、脆いところが簡単に伝わってきてしまう。純粋な意思や、純然たる意志の美しさ。普段、彼を強く見せているそれらは、間違いなく彼自身の、生来の優しさでできているのだから。それが揺らげば、感情なんか、手に取るようにわかってしまう。銀の髪の少女のような、特別な力など無くても。
「……、こ、わ……、……た……」
「……うん」
 途切れ途切れの心が聞こえる。エディはレオナルドを、いっそう強く抱きしめる。
 ああ、そういえば。こいつが泣くのなんか、本当に久しぶりだ。
 街の路地裏ではじめて出会ったときのことを思い出しながら、エディは目を伏せレオナルドの濡れた髪を撫でた。
「……こわかった、……こわかった……!」
「……うん……、」
 人を殺すのは是か非か、生きるために、人を殺すのは、正しいことか、ゆるされることなのか、生きるために殺したものは、生きるために戦っていたのではないか、生きるために殺すなら、殺してきたのなら、それなら、この戦いは。
 何度も何度も繰り返し回る。エディにはじめて命のことをたずねたのは、他でもないレオナルドだった。大丈夫なわけがない。耐え切れるはずがない。わかっていたけれど、エディは見逃してしまった、許してしまった。ただ、デインを、守るため。
 窓の外には、未だ雨が降っている。この季節だ。じきに雪になるだろう。
 レオナルドの吐息を近くに感じながら、エディはひたすらに、遠い夜明けを思った。

-END-

(09,12,03)
でも、生きるために戦ったんですよね。なんだかな。

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